第42話 マクラウド老

「こちらが我が主が託せし御令嬢です」


町の周囲をぐるりと巡ったあと、俺たちはようやく帝国でも十指に数えられる豪商の家へとやってきた。帝都にも家はあるが、そちらには実質的に本店を取り仕切っている息子一家がいて、会頭はこの町で半分楽隠居といったところだ。


「お預かりいたしましょう。甲斐性なしによろしくお伝えくだされ」

応接室に案内された俺たちを待ち受けていた老が、目の周りをまだ少し赤くしたご令嬢をみて、少しあきれたようにいった。

「そういってくださるな、主には主なりのお考えがあってのこと」

「さようでございましょうとも」

大店の主らしく愛想よく微笑んでみせるが、目が笑っていない。違うんだ、御令嬢を泣かせたのは俺たちでも殿下でもないんだ。だが、いっても仕方のないことだ。ここは流しておくことにする。


「御令嬢、こちらがマクラウド商会の会頭です。我らはマクラウド老と呼んでいます」

「ローリと申します。この度はご厚情を賜り、ありがとう存じます」

御令嬢が小さく膝を屈めた。美しい発音、美しい所作。それらにそぐわない短い髪に少し焼けた肌。乗馬ズボンに編み上げブーツ。声変わりを迎える前の、高位貴族の少年のようでもある。

「これは、これは……」

老がちらりと俺たちをみた。そうだよ、訳アリだってわかっていただろう? それでも受け入れてくれたんだろう? 殿下の大事な御令嬢だ。しっかり保護してくれよ。


「わしは連れ合いを亡くしまして、息子も孫も帝都に暮らしております。ここはきままな老人の一人暮らし。お嬢さんの事情を詮索したりはせんので、気楽に過ごしてくだされ」

「ありがとう存じます」

「では、部屋に案内させましょう。数日はゆっくり休まれるとよい」

メリンダ、と老がお仕着せ姿のふくよかな女性を呼んだ。

「家政婦長のメリンダでございます。これからお世話をさせていただきますので、遠慮なくなんでもいってくださいね」

「よろしくお願いもう、いたします?」

言葉遣いを崩そうとして、怪しい帝国語になってしまった御令嬢に、メリンダは

人の好さそうな笑顔を見せる。家政婦長からみれば、御令嬢はちょうど孫くらいの年齢だしな。さすがマクラウド老、任せても問題なさそう人選だ。

「さあ、さあ、お嬢さん。お風呂を準備してありますよ」

メリンダに促されながら、御令嬢が俺たちを振り向いた。


「あの、ここまで本当にありがとうございました」

「いえ、私たちも楽しい旅でした。ここでお別れするのが残念です」

連れの答えに、御令嬢の目がわずかに曇る。違う、そうじゃない。

「あー、また様子を見に寄らせてもらいますよ。構いませんね、老? 」

「そちらのお嬢さんが嫌でなければ」

「私は皆さんのご迷惑でなければ、これからいろいろ御礼もさせていただきたいと思っております」

旅の間はしていただくばかりで、何もお役に立てませんでしたから。そういって、御令嬢が貴族らしい笑顔をみせた。


こんな風によくよく身についた貴族としての振る舞いの中に、時折見える、年相応のいたいけな少女の一面。殿下はきっと、こんなところにやられてしまったのかもしれない。妻子のある中年男としては、ただただ痛々しく感じてしまうけれど。


「御令嬢は我らが主の恩人です。それに、ここは帝都から馬なら1時間もかからずとても近い。貴族が立ち寄らない宿場だから、値段のわりに盛りがよくて上手い店が多いため、騎士連中には密かに人気な町なのです」

「そうそう、誰かしら飯を食いにきてますよ。帝都はね、値段ばっかり高くて鳥の餌みたいな飯しかでてこないからね」

連れと大きな声で笑ってみせると、御令嬢も顔をほころばせた。


「まずは体をゆっくり休めてください。数日とはいえ、野営など御令嬢の身には大きな負担になっているはずです」

「そうそう、我らの主も心配されてますからね」

連れはさっきから、そうそう、ばかりだな。調子のいい奴だ。


「もし、手紙なんかを書かれたらちゃんと預かっていきますから。心配なことや今後のことで相談があればね、マクラウド老はこう見えても気さくで話のわかる御仁です。でも、年寄りには聞きにくいことがあれば、若い私たちにご相談ください」

「まったく、天下のマクラウド商会の会頭をつかまえて、言いたい放題の騎士どもじゃな」

老がことさらに顔をしかめてみせた。


「ありがとうございます。私、がんばりますので。あの……、皆さんにもよろしくお伝えください」

御令嬢が小さく膝を屈めてみせた。そうして、家政婦長に促されて部屋を出て行った。


「まったく。なんだというんだ一体。坊主も坊主だ。惚れた女ができなたら、離宮に囲うくらいの甲斐性を見せんかい」

老がどかりと椅子に座り込んだ。俺たちも向かいの長椅子で腰を下ろす。

「じいさまよ、邪魔をしてるのはお宅の孫だ」

「そうそう、いつも苦虫をかみつぶしたみたいな顔で御令嬢を見ているよ」

老はわずかに天井を仰いで、小さなため息をついた。

「あいつは真面目なんだが、どうも頭でっかちでいかんな。また余計なことをグジグジと考えておるんかな」


「間違いないな。恋に浮かされた殿下に冷や水をどばっと浴びせてな。次の日にはいつもの殿下に戻ってしまったよ」

「そうそう。ヴォイド様はよくできる側近ではあるけど、今回ばかりはそれが裏目にでたな」

俺たちはローテーブルに並べられたティーセットを勝手に使ってお茶を飲んだ。


「俺たちシュヴァルツ隊は殿下のお味方になると決めた。これは隊の総意だ」

じいさんもこっちについてくれるだろ? ときくと。

「さてなあ。わしは御令嬢の味方になるとしようかのう。うちの孫は男ばかりで華がない」


このマクラウド老の娘の一人、ナタリー様が伯爵家の内縁の妻となり、生まれたのがヴォイド様だというのは社交界で有名な話だ。伯爵さまには釣り合いのとれた貴族令嬢の正妻がいたのだけれど、ナタリーさまに惚れ込んでマクラウド商会に日参し、どうにかこうにか口説き落としたという。庶子として生まれたヴォイド様はその後、正妻の養子として伯爵家の三男になったのだ。それが今や次期皇帝の右腕。大出世といえるだろう。


そんな関係もあって。

帝都からほど近く、狩りや野営におあつらえ向きの大森林もある。ヴォイド様の母方の実家が居を構える、飯が上手くて貴族の寄り付かない町。幼い頃から殿下のお忍びといえば、この町周辺が定番だったのだ。じいさまも鷹揚な人柄で、殿下をただの子供の一人としてかわいがってくれていた。


「なんだ、じいさま。薄情じゃないか」

「むさくるしい男どもが20人も30人も集まって坊主の味方になるんじゃろ? わし一人くらい御令嬢の味方についても罰はあたるまい」

「それじゃあ、まるで殿下と御令嬢の望みが一致しないみたいじゃないか」

「一致しなかった時に、御令嬢が孤立無援ではかわいそうだ、という話じゃ」

「まあまあ、じいさまがヴォイド様の味方でなければこの際いいじゃないか」

そう、連れにとりなされてしまった。


「しかし、あんな生粋の箱入り娘。一体どこからさらってきた?」

「さらってないんていないさ。湖に一人で暮らしていたんだよ」

殿下の使いから聞いているだろう? というと、老は肩をすくめた。


「聞いてはいたけど、まあ、なんというか」

「悪い娘ではない。わかるだろう?」

「それはわかるがなあ。でも、今はヴォイドの気持ちも少しわからんでもない」

「どういう意味だ? 」

「近衛などと気取っていても、所詮、騎士というのはあまり物事を考えることをしないのだなということだ」

「考えたからって、何が変わるわけでもないだろう?」

「まあまあ。ヴォイド様まで考えなくなったら、殿下以外に考える奴がいなくなってしまうから、俺たちはこれでいいんじゃないか」

俺と連れは顔を見合わせて笑った。


こんな風に。殿下の恋という極めてプライベートかつ、国家の重大事について、俺たちはそれぞれのとるべき立場を確認したのだった。

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