第41話 ロバの脚

殿下を見つけた俺たちは、その湖畔で一晩を過ごして翌日の出発となった。夕食にはいつも通り、殿下お手製のスープが振舞われた。森の中で保存食ばかりかじってきた俺たちには素晴らしいごちそうだ。そうして、隊のみんなで腹の中から体をあたためている頃には、大体の様子がつかめてきた。


シュヴァルツ隊長が気になって仕方がないご令嬢。そのご令嬢が気になって仕方がない殿下。その殿下が気になって仕方がないヴォイド様だ。


ヴォイド様は近衛ではない。殿下の守役、今は側近といったほうが正しいか。俺たちとは所属が違うが、殿下についている者同士、ほぼ一緒に行動する。ヴォイド様も伯爵令息で、独身で家を出ていないから隊の大勢より目上となる。隊長よりは年下で、俺たち隊員のほうと年齢が近い。本来、俺たちに命令する権限はないが、まあ、雰囲気的には上司として扱われている。そこらへんはヴォイド様も理解しているので、俺たちに対して居丈高にふるまうことはない。


俺たちは近衛というお上品な部署に所属しているが、本質的には日々、筋肉を鍛え強さを競うことが生業だ。特にシュヴァルツ隊にとって、頭とはかぶとを乗せたり、組手で頭突きなどに使うものなのだ。なので、20歳を過ぎても色っぽい話のなかった殿下の、遅めの春に隊はたいそう盛り上がっていた。僭越ながら、俺たちにとって殿下は、“小さなシュヴァルツ隊員”であり、“年の離れた弟”のような存在だから。


というわけで、俺たちはヴォイド様が醸し出す“歓迎されざる事態”という雰囲気には迎合できない。ご令嬢になんとか名前を呼んでもらおうと頑張っている殿下、いいじゃないか! ご令嬢が自慢のスープを食べる姿に目を細めている殿下、いいじゃないか! 


そりゃ、こんな湖の小屋で一人で暮らしているなんてあやしけれど、目を輝かせてシュヴァルツ隊長の後を追っている姿を見る限り、あのご令嬢に悪心なんてありはしない。大体にして、隊長のあとをついて回るのは、隊員の子供でも息子連中しかいない。女の子はどんなに幼くても、隊長ではなく、殿下によっていくんだ。


ところがあのご令嬢、高位貴族の出だろうに、殿下にはまるで興味を示さない。その身分やお立場をしらなくても、見目だけで十二分に女の気を引ける殿下より、女児や貴婦人が避けて通る隊長しか眼中にない。あれをみて、ヴォイド様は一体、ご令嬢の何を疑うというのだろう。


いいじゃないか、あの殿下が好きだというのなら。髪は短いが、どうみても高位貴族の出身だ。どこかの養女にでもして、結婚させてやればいいじゃないか。あの、いつもつまらなそうにしていた殿下が。年よりもむしろ少し幼いくらいに見えるほどに必死になっている姿を見て、どうして応援してやれないんだ。あんなに楽しそうじゃないか。あんなに嬉しそうじゃないか。ヴォイド様は側近という立場で、政治的な何やらとかいろいろ考えているんだろうけど。俺たちはそういうことには頭を使わない性質だ。だから。


明日、ご令嬢も一緒に街まで移動することになった。その夜。俺たちは決めたのだ。海の向こうのどこかの国では、『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬ』というらしい。ヴォイド様に死なれては困る。だから俺たちは、馬ではなくロバの脚になることにした。邪魔をする奴は、死なない程度に蹴飛ばしていくのだ。天上の神様が乗っている馬には脚が8本あるらしい。皇太子殿下のロバなら、4~50本脚があってもいいだろう。


しかし、翌日。俺たちの決意とは裏腹に、昨日まで楽し気に過ごされていた殿下は、いつもの皇族然とした様子に戻ってしまった。シュヴァルツ隊長も、いつもより更に言葉が少ない。ご令嬢には変わりがないので、犯人はヴォイド様だろう。何やら忠言ぶったんだろうか。許すまじ。殿下の恋路を確保するため、俺たち「ロバの脚」はさっそく活動を開始した。


今回の行程は、最短距離で街道にでるだけなら本当は簡単なことだ。だが、それではこの固い雰囲気のままに殿下とご令嬢が別れてしまうことになる。それはだめだ。ヴォイド様は俺たち騎士ほどには各種訓練を受けていない。殿下はむやみやたらと逃げた結果、たどり着いたのが湖だった。だから、捜索をしながら退路を確保して移動してきた俺たちが、少し遠回りしたところで二人は気がつかない。隊長はさすがに気づいたようだけど、何もいわなかった。隊長も、ぶっといロバの脚になったようだ。心強い。


休憩や野営は、近くに花が咲いているとか、よい雰囲気の場所があるとか。そんなことまで考慮しながら場所を設定していった。食事や休憩の時には、若い二人の時間を確保するために、代わる代わる報告や指示確認を行うことで、ヴォイド様を殿下から遠ざけた。そんな俺たちの作戦が功を奏したか、別れ際には二人は大分いい雰囲気になってきた。しかし殿下、一体ヴォイド様に何をいわれたのか、すっかりと“遠くから幸せを見守る”状態になっているのがもどかしい。娘を嫁に出す親父じゃないというのに。


ご令嬢も。そんなに泣くなら殿下について行けばよかったのに。馬上の小さな背中を見ながら、俺は思う。


まあ、女の側からいえることでもないか。そもそも、このご令嬢はまだまだ恋情には程遠いように見える。湖の畔で一人で暮らすより、見知らぬ街で見知らぬ人に囲まれて暮らすことの心細さや不安が大きいのだろう。それでも、シュヴァルツ隊長しか眼中になかったご令嬢が、殿下に“また、会えますか”と口にしただけでも大変な進歩といえる。


今後、殿下の身分やお立場を知るときがくれば、ご令嬢はいっそう難しい立場に立たされるだろう。それでも、二人が再会を約束できたことは喜ばしいことだった。俺たちは殿下の一番お傍近くでその身を守る護衛隊だ。殿下の恋路だって守って見せる。立派なロバの脚として。


だけど、泣いている姿を見てしまったことは、殿下には内緒にしておこう。男っていうのは、好いた女が泣いている姿を見るのもつらいが、自分の手の届かないところで泣かれるのはもっとつらいものだ。弟分への、騎士の情けだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る