第40話 シュヴァルツ隊

ああ、あんなに泣いて。あんな風に袖でぬぐったら顔が赤くなってしまうだろうに。


俺はご令嬢の背中を眺めながら、微笑ましいような、いたたまれないような、何とも言えない気分になっていた。地を蹴る馬のひづめの音に紛れて、小さく嗚咽が風に乗って流れてくる。時々しゃくりあげて、あれでは手綱など握っているだけだろう。


まあ、訓練された馬というのは、先導役の馬のあとをしっかりとついていってくれる。ご令嬢の乗っている馬は本職の騎士である俺が羨ましくなるくらいの馬だから、乗り手があの状態でも移動には問題ないだろう。


俺はぴいっと口笛を吹いた。先導役がぴぴいっと吹き返して、町の入口を目前に、くるりと方向を転換した。やはり、ヤツにも後ろから泣き声が聞こえてきていたのだろう。俺たちがこのまま門に行っても、“涙に濡れた年端もいかぬ少女を連れた二人の男”になってしまう。あまりにも怪しい。身分を証明すれば町に入ることは容易いが、目立たずに門をくぐりたいのだ。ご令嬢の涙が乾くまで、町の周囲をぶらりと周ることになった。


俺は伯爵家の三男として生まれた。跡継ぎの長兄には早々に甥っ子もできて、家督には関係のない立場だったため城に仕官した。実家の家格と、ちょっと見てくれよく産んでもらえたために近衛に任官できた。皇族のそば近く警護を務める立場から、近衛には皇家に服従を示す実家という保証と、華麗な制服が映える背格好が求められるからだ。


式典などは警備と同時に、晴れの場を引き立てる舞台装置としての役目もある。それなりの強さが必要なのに、筋骨隆々は好まれないという難しい職場だ。そのかわり、近衛に任官されれば自動的に騎士爵に叙される。結婚して家を出れば無位無官になってしまう俺にとってはうってつけといえた。


その上、次代の皇帝となる殿下の護衛隊に潜り込むことができた。平平の俺が何故、と不思議に思っていたが答えはすぐにわかった。殿下の護衛騎士、シュヴァルツ隊長だ。


シュヴァルツ隊長は、強い。その強さは皇族を、とりわけ次代の皇帝を守るにふさわしい。しかし、近衛という立場にはまったくそぐわない人だった。まさに筋骨隆々。不愛想で言葉が極端に少ないために、発する言葉が敬語として成り立っているのか微妙なところがある。威圧感が強く、貴婦人などからは遠巻きにされている。一部の皇族や貴族からは、殿下の護衛騎士を交代するべし!という声が上がっていたが、いや、今も上がっているが。殿下からの信頼が厚く、父親である陛下が問題視しないまま、今日まできた。


そんなわけで、近衛の中でも家柄や容姿に自信のある連中や、強さ自慢の輩から、隊長は目の敵にされていた。殿下の護衛隊に入ることは、すなわちそのシュヴァルツ隊長の下につくことなので、集まってくるのはどうしても、家柄が低めで年齢の若い者ばかりになってしまったようだ。


内情はともあれ、いずれは皇帝の護衛隊となる俺たちは、家格低めながらおかげさまで無事結婚を果たし、今では子供を持つ親が多い。そして 、“強さ”という言葉を擬人化したらこうなりました、といっても過言ではない隊長は、隊員の子供たちから“崇拝”といっていいまなざしを受けている。


なんでこんな話をしてるかって? それは、あのご令嬢が隊長を見る目が、うちの息子にそっくりだからだ。隊長のあとをついてまわっては、やれ武器がどう、戦い方がどうと嬉しそうに話しかける姿。殿下も最初はやきもきしておられたようだけど、父親である俺たちには、ご令嬢が恋情から追い回しているのではないことがすぐにわかった。


自身も父親である隊長もわかっていたのだろう、無下にすることなく話につきあっていた。年頃で、しかも見るからにかなり家格の高いご令嬢だろうに、大木のような隊長をキラキラとした目で見上げ、言葉少ないながらそれに付き合う隊長の姿。就寝時間のたびに、ひそひそ、こそこそと隊の中で話題になったものだ。


もう一つの話題は、殿下の恋だ。俺たちにはなぜ、ご令嬢があの湖畔で暮らしていたのかなどはわからないが、あの殿下がどうやら恋をしてしまったことはよくわかった。


お小さい頃からなんでもよくおできになる方だった。いつもつまらなそうな顔をして、年齢の近い友達もおつくりにならず。15歳も年上とはいえ、その頃はまだ独身で子供の扱いなどわからない隊長なりに、このままではいけないと思ったのだろう。殿下に兵士としての基礎を教え始めた。


勉学とは違い、武術は体の大きさがものをいう。麒麟児と呼ばれた殿下でも、10歳に満たない子供なのだから当然戦闘訓練ではシュヴァルツ隊の誰にも勝つことができず、そしてそれがおもしろいようだった。俺たちは本来、近衛では行わないような泥臭い野営訓練や体術、潜伏訓練などを当たり前のように日々殿下と行っていた。シュヴァルツ隊は、近衛の中ではますます浮いた存在となっていったが、殿下が楽しそうにしておられたのだからそれでよかったのだろう。


長じて、殿下は立派な騎士、いや、兵士となられた。その気になれば国境の砦のような過酷な環境でも、従士など必要とせずおひとりですぐに勤められるだろう。そのお陰で今回のように、護衛隊と離れても一人逃げ延びたのだから。


今回、殿下は視察ということで馬車で目的地へと移動されていた。何かと面倒だからと紋の入っていない、貴族家でも当主は使わないような地味目の馬車を使用された秘密裡の移動だった。にもかかわらず、途中で襲撃を受けた。俺たちが襲撃犯を足止めしている間に、馬車に飽きた時ようにと、鞍をつけて伴走していたナハトに乗って、殿下は大森林へと逃げた。


襲撃犯はなかなかの手練れだったが、実態は流れの傭兵たちだった。ここを金持ちが通ると酒場で聞いて、思いついての犯行だったという。この場を殿下が通ることを知ってる立場の黒幕がいることに、隊は騒然となった。


これまで、こんな風に殿下のお命を狙われたことはなかった。殿下はその優秀さゆえ、誰もが認める“次代の皇帝”だった。弟妹は何人かいらっしゃる。それぞれに優秀でお人柄もよいが、帝国の跡継ぎとしてはどなたも殿下に及ばない、というのが世評だ。兄弟仲も悪くなく、長子相続の不文律もあり、弟妹方は殿下を支えることを公言している。


そもそも陛下は若くご健勝で、あと20年はその治世が続くと思われる。誰が何を目的にしているのか。まったく読めず、隊長は城に応援要請や報告を行わず、この場にいる者のみで極秘に対処することを決定した。


秘密裡に速やかに。殿下を見つけて、城へ戻る。そのために、森の中を新たな襲撃を警戒しつつ捜索しながら移動してきた俺たちがみつけたものは……。


かわいらしいご令嬢と、火にかけた鍋を眺めている殿下だった。敵に捕らわれている殿下、という光景でなかったことに胸をなでおろしつつ、むしろその光景であればあっさり受け入れられたかもしれないと思う自分がいた。


火を焚いているそばで並んで座らせているのだから、殿下が警戒していないことが見て取れる。火にかけている鍋は、野営の時にいつも我らに作ってくださるスープだろう。だが、その隣のご令嬢は? 地べたに座っている次代の皇帝たる殿下の隣で、重ねた毛布の上に優雅に腰を下ろしているのはなぜですか? 


いつも、城ではどんなご令嬢に声をかけられても、素っ気なくあしらっておいでだったのに。殿下はずいぶんとくつろいだ様子だ。むしろご令嬢のほうが我らを見て怖がってしまっている。すると、立ち上がった殿下がご令嬢を背中にかばった、俺たちから。え? 俺たちが敵なんですか? 森の中を何日も移動して、探しに来た俺たちが悪者ですか? そこはちょっと納得できません。でも、殿下は妙に誇らしげだ。何かいいことあったんですが? お顔がほころんでしまっていますよ? え? 今殿下、ご令嬢に「すまない」とかいいましたか? 長年殿下にお仕えしてきましたが、すまないという謝罪の言葉が殿下の辞書に載っていたとは驚愕です。


だが、近衛というものは皇族のどんな面を見たとしても取り乱すことなかれ、と教育を受けている。大丈夫。ご無事な殿下を見つけた。戦闘は発生しそうもない。そして城に帰る。問題ない。俺たちはまだちゃんと任務を遂行できている。

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