第37話 分かれ道

おはようございます」

天幕を出ると、ノルド様がいた。

「おはよう。昨夜はよく眠れたか」

「ありがとうございます。おかげさまで良い夢を見ることができました」

その内容を話すわけにはいかないけど。私にとって良い夢だった。

「そうか。今日も長い移動になる。無理のないように」


それから、また私たちは出発した。湖から街道までよりも、こちらの林の中は随分と明るくて歩きやすいので楽になった。ペースも大分上がっている。確実に目的地が近づいていることがわかるので、モチベーションが維持できる。天幕や毛布を譲ってもらったとはいえ、やはりベッドを使わないで眠るのは体が痛む。それでも、一人でフラフラとあてもなく町を探して歩くよりはずっといい。先導役やノルド様から離れないように、私はひたすら進んでいった。


昼休憩になった時だった。

「ローリ、少しよいか」

タビーの世話をしていた私に、ノルド様が声をかけてきた。

「どうされました?」

「話したいことがある。町に着いた後のことだ」

「承知しました」


周囲の騎士達には聞かれたくないことなのだろうと、私はノルド様のあとを追った。

「手を」

ふいに立ち止まったノルド様が、こちらに手を差し伸べてきた。

「足元に気をつけよ」

下を見ると、いくつもの木の根が絡み合うように大きく盛り上がっていた。乗馬用にズボンとブーツを履いている私だけど、さすがにひと跨ぎにするには大きすぎた。ノルド様の手を借りて、内心、よいしょと掛け声をかけて隆起を超えた。


これは、もしや世間でいうエスコートというものではないだろうか? 公爵令嬢で王太子の婚約者だった頃にはさっぱり縁がなかったのに。人里離れた林の中で、乗馬ズボンに短髪という令嬢にあるまじき姿になってから経験するというのもおかしなものだ。私、あの頃、本当に公爵令嬢だったんだろうか? という疑問が今さらわいてこないでもない。まあ、立場的に周囲にいた男性が殿下と父兄だけだったし、あのメンツがそんな気の利いたことをしてくれるはずもなく。


違うか。ノルド様だから、か。きっと彼は林の中でも、帝都の社交場でも、乗馬ズボンでもドレスでも、髪の長さにさえ関わりなく手を貸してくれるのだろう。天幕や毛布を譲ってくれるように。さすがシュヴァルツ様仕込み! 私はまたシュヴァルツ様のお手柄を一つ発見してしまった。


そのまま、手を取られて少し開けた場所にでた。朽ちた大木が倒れて、そこだけ天窓のようにぽかりと空が見える。日差しが照明のように明るく差し込んでいた。


「本来はこのように扱われる立場なのだろう?」

足を止めたノルド様が振り向いた。私は驚いて、預けていた手を引っ込めた。

「お前の事情を詮索するつもりはない。だが、町に出るつもりならばいっておかねばならぬと思ったのだ」

「どういうことですか?」


ノルド様は倒木に外したマントをかけて、座るようにとまた手を取ってくれた。私が座ると、ノルド様もその隣に腰を下ろした。


「お前の話す言葉は美しすぎる。そのように話す女性は、帝都でも上位貴族の箱入り娘か、言語の教師、皇城の上級侍女くらいであろう」

私は小さく息を呑んで、何も答えられなかった。教師としか話したことのなかった帝国語に、そんな落とし穴があったとは。


「先ほどもいったが、お前の事情を詮索するつもりはないのだ。そのような顔をするな」

きゅっと喉の奥が締まる感覚がする。

「言葉遣いだけではない。お前は所作も美しい。髪こそ短くしているが、お前こそどこぞのやんごとなき立場であることは見ればわかる」

わかってしまうのだ、とノルド様は繰り返した。


「今さらこんな話をするのは、お前を怖がらせるためではない。そのような顔をしてくれるな」

目を合わせることのできない私の、胸元で握りしめた手を、ノルド様がそっと包んでくれた。温かいと感じるほどに、手が冷えていたようだ。

「お前に悪いようにはせぬ。オレの恩人であるからな。だから、まず息を継げ。そのように手を握りこんでは痛むであろう」

私は小さく息を吐きだした。


横顔に温かい感触があった。

「ほら、ブチ馬が心配しておる」

いつの間にか、タビーがきて顔を摺り寄せてくれていた。

「タビー……」

鼻づらを撫でると、少し気分が落ち着いた。その様子を見て、ノルド様が手を離してくれた。



「町に出たいといったであろう? だが、お前のような女が、騎士垂涎の馬を連れて一人で市井に出ればどうなるか。身の程知らずな貴族や豪商に絡まれるだけではすまないであろう。オレは、お前の身が心配なのだ」

わかってくれるか? というノルド様の声は、とても優しかった。


「私は、どうしたらよいのでしょうか?」

唇から不安がこぼれてしまうのを止められなかった。今さら、湖に戻るしかないだろうか。言葉の問題だけでないのなら、帝国だけでなく他の国に逃げてもトラブルに巻き込まれてしまうかもしれない。どんどん不安が膨らんでくる。ノルド様は、”お前の身が心配だ”といってくれた。“恩人”とも、“悪いようにはしない”とも。頼っていいのだろうか。でも、”お前の主ではない”といわれたこともある。なぜこんな話をするのか。怖い。ノルド様の顔を見ることができない。


”そういうところよ”。ふと、王妃様の声が脳裏によぎった。父に逆らい、婚約破棄の契約書を破って家を出た。タビーと逃亡生活を送り、湖で暮らし、人を助けた。野営に行軍もしている。自分の足で、自分の意思で前に進んでいると。随分と強くなれたと思っていたのに。これでは父に否定されるのが怖くて、顔を見られずに俯いていた私のままだ。頼りたいのに、信じることもできない。私はまだまだ弱いままだった。


「ローリ、すまない。不安にさせたか。そのような顔をさせたかったのではない。オレの言い方が悪かったか」

ノルド様が、不意に私の前に膝をついた。大きな両手が私の肘を包んで、焦ったように、ノルド様が私を覗き込んできた。私はつい、顔を背けてしまった。だって、こんな風にしてくれた人はいままでいなかったから。


「これから向かう町は、以前にも話したように徒歩や乗合馬車を使う平民や商人が集まる、貴族は素通りする宿場だ。そこにオレの知人が家を構えている。豪商のくせに、帝都の賑わいや貴族との付き合いを嫌って、わざわざそこに住んでいる変わり者だ。だが、悪い奴ではない。しばらく、そこに身を寄せてはどうか」

お前が嫌でなければ、とノルド様はいった。


「あの町であれば、貴族の目につくことはない。豪商の家は警備も設備もしっかりとしているし、使用人も質が良い。あの人嫌いの家を訪れる来客も少ない。お前は料理も馬の世話もできる。市井らしい言葉遣いや振る舞いが身に付けば、もっと自由に生きられよう」



私はここにきて、初めてノルド様の顔を見た。先ほどまでの、貴族らしい感情を感じさせない顔ではなかった。優し気に、そして少し寂しそうに微笑んでいた。彼も、湖での生活を楽しんでくれていのだと思った。貴族社会に戻ることが寂しいと思う程に。詮索はしなくても私の身を案じて、自分には叶えられない道を私に示してくれている。その貴族の力を使って、市井で暮らす術を与えようとしてくれる。湖で火の扱いを教えてくれたように、惜しげもなく、ただ私のために。大勢の部下に囲まれても、孤独なのかもしれない。そして、とても優しい人なんだと理解できた。


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