第35話 ノブレス・オブリージュ
「じゃあ、行ってくるね」
私は厩として使っていた倉庫の扉を戻して、小屋に声をかけた。タビーにまたがり、玄関側に集合している一団に合流する。
「お待たせしました」
「よい、支度はすんだか」
「はい、皆様にご迷惑はお掛けいたしません」
私は気合を入れて頷いた。
「そういう意味ではない。まあ、いい。では、出発する」
ノルド様が騎士たちに声をかける。先導役の二人の騎士が馬をすすめていく。
「ローリは俺の横に続け。後ろにヴォイドとシュヴァルツがつく」
「いえ、私は後ろのほうで」
大丈夫ですという言葉を遮られた。
「慣れぬ者が列の後方につくと、遅れた時に逸れやすい。目の届く前方につくのが定石だ」
なるほど、そういうものか。確か登山でもそんな話をきいたことがある。
「存じ上げず、すみません」
「よい。ヴォイド、シュヴァルツ、頼む」
ノルド様が後ろの二人に声をかけた。御意、と二人が声を揃える。いやー、シュヴァルツさんの『御意』、いただきました! 朝からいいもの見ちゃったなー。やっぱりついて行くことにして良かった! この先どんな場面が見られるか、私はウキウキとノルド様に続いて馬をすすめていく。
「ローリ、昨日はよく眠れたようだな」
「はい、おかげさまで。体調は万全です」
「そうか、だが無理はするな。体調だけでなく、ブチ馬にも異変などがあればすぐ申し出るように。どんな些細なことでもかまわぬ。我らはこれより一隊として行動する。遠慮や我慢などはかえって隊の統一を乱すと心得よ」
「承知いたしました」
私は改めて気合を入れた。こうしていると、ノルド様はやはり人の上に立つお方なのだなと実感できる。指示に対する理由もきちんと話してくれるところもいい“上司”だ。“私”が勤めていた役所にも先輩や上長はそれなりにいたけれど、これを実行してくれる人のほうが少なかった。理由がよくわからないまま、指示だけだされるのは案外ストレスなのだ。その点、ノルド様は“上司”として合格といえる。
まあ、私の合格なんかはそもそも必要ないけれど。私としては、シュヴァルツさんの上司が“理不尽タイプ”でないことがわかって満足だ。
そんなこともあってか、ノルド様の印象が昨日までとは少し違って見えた。元々詳しく知っているわけではないけれど、なんというか、今日のノルド様は落ち着き? 貫禄? のようなものがある。
昨日まではとても身分が高そうなのに、どこかイタズラ小僧のような子供っぽいところもあったのに。今日はすっかりとなりを潜めて、高位貴族にふさわしい表情のない顔つきだ。
昨日までの、大勢の部下たちと逸れた強制スローライフ生活に、彼も少なくない解放感を得ていたのかもしれない。そして部下たちと合流し、一夜明けて上位者としてのふるまいを思い出したのかもしれない。そう思うと、彼が少し気の毒にも思えた。
私は貴族社会を逃げ出してここにいる。町へのルートを確認したら、また湖の畔でのんびりまったり生活に戻れるのだ。だけど、彼はまた“貴族らしい”生活に戻っていくのだろう。時には命を狙われるような危険を抱えて、感情を読ませない顔をして。貴族は裕福な暮らしをする。その分、大きな義務を背負って。
物語にでてくるような放蕩貴族など、めったに存在しない。だから物語になるのだ。貴族社会は生き馬の目を抜くような場所だ。放蕩などしていれば、すぐに分家や寄子に差し替えられたり、乗っ取られたりする。その家が無事に存続しなければ、連なる者たちが割を食うのだから致し方ない面もある。
だから、父の言い分は正しい。この私の血肉は公爵家の資産によって作られたものだ。それなのに、かかった費用を返さずに、私は逃げ出してしまった。しかも大量の物資をもって。私の人生のためにした選択を、後悔はしていない。ただ、その義務をしっかりと背負い、これからも果たしていくのだろうノルド様が、私にはないその強さが少し眩しく思えた。
「この先に開けた場所がある。そこで少し休憩にして昼食をとることにする」
先導役よりさらに先行していた偵察隊が、ノルド様のところに戻ってきた。報告を受けたノルド様の指示が、後方に伝えられていく。
「先を急ぐゆえ、馬を休めて、人はパンとチーズをかじるくらいだ。温かいものを食べさせてやれぬ。すまない」
「お気になさらないでください」
おお! また『すまない』を言われたよ。最初はずいぶん居丈高に思えたけど、敵認定も解除され、今回隊列に混ぜてもらうことで仲間認定を受けられたのかな?
お互い馬を降り、水を飲ませたり世話をしていく。私はノルド様に角砂糖を差し出した。
「ナハトにどうぞ」
「よいのか? ブチ馬の分であろう」
「まだありますから」
にっこりと笑ってみせる。
そして近くにいるヴォイドさんとシュヴァルツさんに近づいていく。
「お二人もどうぞ」
ヴォイドさんは黙ったまま、私の手のひらから角砂糖を摘まんだ。いいんだよ、別に。本命はシュヴァルツさんだからね。上司と同僚にもあげないと、シュヴァルツさんはきっともらってくれない。だからヴォイドさんにもあげただけだから!
「かたじけない」
そういってシュヴァルツさんも角砂糖を手に取った。愛馬に与えるシュヴァルツさんの横顔は優し気だ。ああ、やっぱりついてきてよかった! いいものを見れた。
大型バイクにまたがってショットガンをぶっ放すところもいいけど、愛馬と触れ合う姿というのは希少価値が高いのではないだろうか。
「立派な馬ですね」
私は思い切って話しかけたみた。
「自分を乗せて走れる馬はなかなかいない。こいつにはいつも苦労をかけている」
お返事までいただいて、もう今日のノルマは果たしたなと思えた。
私は満腹気分でタビーに角砂糖を差し出した。ブフンッと鼻を鳴らして角砂糖を舐めとる。一番最後にもらったからか、ちょっとだけ不機嫌そうだった。
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