第30話 主従

「主、迎えが遅くなり申し訳ありません」

「ご無事でなにより」


森と草地の堺のあたりで馬を降りた者たちが、胸に手をあて地に片膝をつく。先頭の二人だけは前に進み出て、オレのすぐ前で同じように跪いた。

「よくきてくれた。皆の者、大儀であった」

「もったいないお言葉です。して、そちらの方は?」


オレは立ち上がり、ローリを自分の背に隠した。

「ヴォイド、彼女はローリ。オレの命の恩人だ」

「なるほど、主に代わり礼を申します」

まったく、礼をいうとは思えない厳しい顔つきだ。


「代わらずともよい、オレが自分で礼をいった」

「さようですか」

ますます険しい目付きでヴォイドはじっと彼女を見ている。その灰色の瞳は、日頃は知的さを感じられるが、こういう場面になると酷く冷酷そうに見える。品定めをしているか。いささか令嬢らしからぬところはあるが、彼女は姿も所作も美しい。とはいえ、このような森の中で馬と暮らしているのだから素性が怪しまれるのは仕方ない。


「ヴォイド、控えよ。オレの恩人だ。怖がらせるな」

「……御意」

「彼女に他意があれば、オレもナハトも今頃無事では済んでおらぬ。彼女には世話になった。わかるな」

ヴォイドが頭を下げて恭順を示す。隣のシュヴァルツはといえば、彼女よりもブチ馬に興味があるようだ。彼は騎士団長をも凌ぐ強い男だ。いつでも片手で捻れるような女は気にならないのだろう。


「いい馬であろう」

「ええ、あれなら私が乗っても潰れないでしょう」

「そうだな」

二人でニヤリと笑う。


シュヴァルツはオレよりも更に身長が高く、全身を筋肉で鎧っている。武器を持ち、防具をつけたら並みの馬ではそう長くは走れない。ブチ馬は馬体も脚も素晴らしく、滅多にお目にかかれない代物だ。騎士なら誰しも羨む馬だ。自分を乗せて実戦に耐えられるような馬を見つけると、彼は機嫌が良くなる。表情はほとんど変わらないが、子供の頃から護衛騎士として長く共にいるオレにはわかった。ブチ馬は合格点のようだ。そうであろう、ローリの馬であるからな。


しかしローリめ、不安になったからと何故馬にすがる? オレが隣にいようものを。俺は国でも指折りの騎士と名高いのに。馬より頼りにならぬというのだろうか。おもしろくない、全くおもしろくない。


「出発は明日とする。ここは水には困らぬ。今日のところは兵も馬もゆっくり体を休めよ」

内心の不満を隠して指示を出せば、兵たちが野営の準備を始めていく。どれ、オレも皆に温かい食事で労ってやらねば。


「ローリ、一番大きな鍋を……」

振り返ると、ブチ馬にしがみついたままのローリが顔を真っ赤に染めあげて、ポカンと呆けた顔をしている。

「どうした? 長く日に当たって具合が悪くなったか?」

「いえ、あの……。あの方のお名前は?」

「あの方? 灰の瞳の優男か?」

「いえ、あのマ……、大きい方のほうです」

なんだ、俺の名は訊かなかったのに。教えても聞こえぬふりをしているくせに。


「彼はシュヴァルツ、俺の護衛騎士だ」

「シュワルツ?」

なんだ、ますます顔を赤くして。先ほどまであんなに怖がっていたではないか。

「シュヴァルツ、だ。帝国の公用語で発音すれば確かにシュワルツだが、彼は父祖の地に誇りを持っている。その地方の発音でシュヴァルツと呼んでやってくれ」

「承知いたしました」


なんだ、そんな嬉しそうな顔をして。オレの名は呼ばぬのに。アイツの名は呼ぶつもりなのか。アイツだって貴族だ。いつもオレを呼ぶときと同じように木で鼻をくくったような顔をして、『貴きお方』と愛想なく呼べばいいではないか。


ブチ馬といい、シュヴァルツといい。何故だ。シュヴァルツなど、ローリの父親くらいの年周りではないか。おもしろくない、全くおもしろくない。

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