第29話 嵐の前
また数日が過ぎた。動けるようになればマメな人のようで、昼食は彼の担当となり連日外でプチキャンプをしていた。料理のバリエーションはあまりないらしく、初日に出してくれたスープか、厚切りベーコンを焼いてチーズと挟んだパンなど。いかにも野営向きな男メシメニューだ。でも、人に作ってもらうのも、焚火を見ながら食べるのも楽しいし、彼は後片付けまでしっかりやってくれるので楽でいい。
ついでに外での焚火の組み方や火の育て方、その後の火の始末まで。一通りを教えてくれた。知っていて損はないと。その通りだと思って、そこは素直に教えを乞うた。この先、人がいるところに移動すれば小屋や魔法が使えない状況に必ず出会うだろう。ただ、私が火打石を使ってもあまりにも火がつかないので、日頃本当に使っているのかと少し訝し気にされてしまったのはご愛敬だ。
彼も元々あまりしゃべる人ではないようで、私も話すこともなく。並んでキャンプランチを食べたり、それぞれの馬の世話をしていても、時折互いの馬自慢をする程度の、静かな時間が流れていた。
朝晩はこれまでと変わらぬ使用人モードでテーブルに同席することなく、彼には一人で食事をしてもらっている。これ以上接する時間を増やしてボロが出るのは困るからね。不便といえば魔法が使えないこと。かまどの火は外の焚火から火種を取っておくようにしたからいいのだけど、問題は水汲みだ。
今までは寝てばかりいた彼の眼を盗んで魔法で水瓶を満たしていたけれど、起きて動き出すようになってからはそうもいかず。仕方なく木桶で湖から汲んでこようとしたら、なんとそれも彼がやってくれた。身体強化と筋肉ポイントで両手に水を入れた桶くらいはなんてことないのだけれど、やってくれるというのでありがたくやってもらっている。
骨に皮を張り付けたような私の細腕に比べ。彼はこんがり焼いたら食べでのありそうなあの腕だ。水の入った桶など、コップ程度にしか感じないだろう。うらやましい。せいぜいたくさん運んでもらおう。ちなみに水瓶にはこっそり浄化魔法をかけている。日本人の感覚として、湖から汲んだだけの生水はやはり怖いので。
湖の周りを歩き始めた彼が、次の日には走り、その次の日には黒馬にまたがり周辺で足慣らしをし始めた。そろそろ出発するだろう。ようやくだ。黒馬はタビーと仲良くしてくれているし、彼も悪い人ではない。当初はともかく、今となっては少し物寂しさがある。それでもまた、遠からずタビーと二人の気ままな暮らしが戻ってくるのだと、私は心を浮き立たせていた。
そんなある日の昼過ぎ。今日も今日とて、私たちは並んで焚火と煮えていく鍋を無口に眺めていた。背後には草を食むタビーと黒馬。時折、上空から鳥の声や湖で魚が跳ねる水音が小さく聞こえるだけのいつもの静けさの中に。遠く、低い音が聞こえてきた。
トトン、トトンと規則正しく、雨音のように。空は晴れているのに? 不思議に思っていると、タビーに背中を小突かれた。振り向くと、少し鼻息を荒くして前足で地面を小さく掻いている。
「タビー?」
私は不安を感じた。立ち上がり、タビーの温かい首筋につかまる。慣れた体温を感じる。そうしている間にも、音はどんどん大きく、近くなってくる。今はまるでタイコのようだ。
音の正体はすぐにわかった。森の中から、立派な馬にまたがった男たち。騎士が現れた。20人程か。揃いの制服ではないけれど、先頭の二人に従って隊列を作る様は、しっかりと訓練をされた統率のある集団であると見て取れる。
彼を狙った一団に見つかってしまったのだろうか。
タビーにギュッとしがみつく。このまま逃げようか、という考えが頭をよぎる。ダメだ。タビーに鞍をつけていない。あの馬たちにタビーの脚力は負けないかもしれないけれど、馬具がなければ私はそう長い時間タビーにしがみついていられないだろう。タビーも私を気にして、本気で走ることができないかもしれない。
仕方ない。ここまで何とか魔法を隠してきたけれど、緊急事態だ。今がいざというとき、だろう。でも、魔法でも攻撃するのはやはり怖かった。そうだ、睡眠魔法で敵の一団を眠らせて、その隙にまた逃げようか。彼らの馬具を切ってしまえば、いくら騎士でもそうそう追いついてこられないはずだ。どこか安全なところまで逃げたら、そこで彼も眠らせて置いていく。そしてまたタビーと二人で、もっともっと遠くへ逃げればいい。
眠らせるだけだ、傷つけるわけではない。私は覚悟を決めた。
「貴きお方、私が隙を作ります。逃げる準備をしてください」
いまだのんびりと胡坐をかいている彼に、そっと耳打ちをする。この事態にも随分とリラックスしているようだ。ちょっと大物すぎやしないだろうか。
「大事ない。あれはオレの迎えであろう」
「お迎え、ですか?」
「ああ、はぐれてから探しているとは思ったがこの森は深い。大方、2~3日前の焚火の煙でもようやく見つけてくれたのだろう」
「お味方、でしたか」
私は足の力が抜けて、しゃがみこんでしまった。
「よかった……」
小さく息を吐きだす。
「気をもませてしまったか、すまない」
「いえ、お気になさらず」
そう答えはしたが、私は内心驚愕していた。おお! 謝った! どうした? 今日はこれから大雨か? 大雪か?
初日に『礼を言う』とはいわれたけれど、『ありがとう』とはいわれなかった。貴族の世界じゃ普通、偉い人あるあるだ。それがいきなり、『詫びよう』とかでなく、『すまない』という謝罪の言葉そのものを直接口にするなんて。身分が高くなるほどに湾曲的な言葉を使うようになっていくものだけど。彼も身分社会と少しの間離れてスローライフを否応なくされることで、何か変わるところがあったのだろうか。なんだか、私は少し微笑ましい気持ちになった。
「だがお前、敵かもしれぬと思ったのなら、尚さらなぜ馬にすがる? オレは国でも有数の騎士と呼ばれているのだ。逃げ足はともかく、敵と相対するのであればそのブチ馬より頼りになるぞ」
それから、少し気を悪くしたように、彼はそういった。襲われて、一人で逃げて行き倒れた彼の言い草に、説得力はまるでなかった。
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