第27話 ”私”が消えたあと3
「もう、お母さんいつまで寝てるの? 私お腹すいちゃった。早くご飯にしてよ」
みうが部屋の入口に仁王立ちして、ベッドで横になっている私を見下ろしてくる。
「ごめんね、でもお母さん今日は具合が悪くて、どうしても起き上がれないのよ。みうだってもう結婚して今度はお母さんになるんだから、ご飯の支度くらい自分でできるでしょ」
「なにいってるの? 私はお腹に赤ちゃんがいるんだよ? 無理しちゃいけないって、お母さんだっていつもいってるじゃない」
「だからいつもはお母さんがちゃんとしてるでしょ? でも今日はお母さん具合が悪いのよ。だから今日はみうがして欲しいの」
「いやよ、面倒臭い。それにみうだって具合悪いの。なんだか怠いし、横になりたいの。その前にお腹がすいたからご飯食べたいのに、お母さんが寝てばっかりいるから」
小さく頬を膨らませるみう。
「そんなにお腹がすいているなら冷凍庫にチンして食べられるやつが入っているでしょ。食パンだって置いてあるんだから、適当に自分で食べなさい」
「そんなの、健康に悪いじゃない。赤ちゃんのためにちゃんとしたものを食べないといけないのに」
「大げさね、一日くらい大丈夫よ」
みうがムッと不機嫌像に顔をゆがめた。
「なによ、お母さんがちゃんと全部してくれるっていうから東京からこんな田舎に帰ってきてあげたのに。サトシくんなんて仕事だって辞めてきてくれたのに。ちょっと具合悪いからってお母さん無責任なんじゃない?」
「お母さんいつもちゃんとしてるでしょ? 今日ちょっと具合が悪いくらいで。お母さんは休んだらいけないっていうの? まったく。どうしてそうだらしないの? “お姉ちゃん”は家のことだってちゃんとできていたのに」
「なによ、“お姉ちゃん”なんてどっかいっちゃったんでしょ。関係ないじゃない」
「みう! 家族になんてこというの!」
「もう、そういうんじゃなくて。大体お母さん嘘つきだよ。赤ちゃんも乗れる大きい車を買ってくれるっていったのに、いつまで駐車場がからっぽなの? この前の検診だって私、バスを乗り継いでいってすごく大変だったんだから。サトシくんだって車なくて不便してるんだからね」
私はカチンときてしまった。
「車がなくて不便なのはお母さんもよ。お母さんが毎日スーパーまで4人分の買い物をしに歩いていっているのよ? みうはともかく、サトシさんは仕事してないんだし自分たちが食べるものくら買い物くらいしたって当たり前じゃない。家にお金もいれないで当たり前みたいに上げ膳据え膳のくせに。何でもかんでもお母さんのせいにしないでよ」
「サトシくんは就活で忙しいの! こっちにくるために仕事辞めてくれたんだから、お母さんは感謝する立場じゃないの?」
「何言ってるの? お父さんが紹介してくれたところ、ひと月ももたずに辞めちゃったのはサトシさんでしょ! あのあと、お父さんとお母さんでお詫びにいったのよ。もうお父さんの顔を潰すようなマネして! お母さんだってご近所で恥ずかしい思いしてるのよ」
「しょうがないじゃない! サトシくんは東京の人なんだから、田舎の人とは合わないこともあるの。車があれば就活だってもっと上手くいくのに!」
もういいよ、とみうが部屋を出ていく。私はため息をついた。
みうが帰ってきてもう二月経つ。結婚して子供を産むというのだからそれなりになったのかと思っていたのに、家のことを全くやろうとしない。“お姉ちゃん”がいなくなってただでさえ負担が増えたところに、何もしないみうがあれしろ、これしろと我儘ばかりいう。
娘と同居で孫が生まれるなんて、理想の生活だと思った。ご近所の人にも羨ましがられた。でも実際にやってみたらなんか違う。これじゃあ、まるで私は女中みたいじゃない? お父さんはお給料を家にいれてくれるけど、みうは何もしないし、生活費も入れないし、みうの旦那さんの面倒までみなくちゃいけない。お金は減って家事ばかり増えて、その上文句ばっかりいわれて。みうの旦那はお父さんのコネで紹介したところを無断で退職して今は無職。就活といって家を出ていくけど、全然決まった様子もない。庭に増築した分のお金だって払わなきゃいけないのに、みうはベビーベッドだけでなく、二階で自分たちが使う家具も買い足したいと欲しがるばっかり。このままじゃ私たちの老後資金が食い潰されてしまう。
“お姉ちゃん”がいなくなってから、家の中がなんとなく雑然として片付かない。みうもみうの旦那も汚すばかりだ。食べた後の食器を洗いもしない。流しまで下げたらまし。テーブルの上にそのままのことさえある。洗濯物だって私に押し付ける。いい年をして親に下着を洗わせて恥ずかしくないのかしら。洗って干してあげたんだから、せめて畳んでしまうくらいは自分たちですればいいのに。放っておけばいつまでもベランダに洗濯物がぶら下がっている。どうしてみうは“お姉ちゃん”みたいにちゃんとできないのかしら。あれで赤ちゃんが生まれたあとに、ちゃんとお世話ができるのかしら? 授乳の時以外は寝転んで、赤ちゃんが泣いても何もしないみうしか想像できない。
「こんなはずじゃなかったのに」
“お姉ちゃん”がいてくれたら。私が具合が悪いといえば、代わりに家事をやってくれたはずだ。「具合が悪いなら寝てて」といって、「具合どう? 食べられそうかな?」って煮込みうどんとお茶を持ってきてくれたはずだ。
“お姉ちゃん”がいてくれたら。私は毎日スーパーに買い物にいって4人分の重たい荷物を運ばなくてもよかったはずだ。具合が悪ければ車で病院につれていってくれただろう。みうの検診だって、“お姉ちゃん”がいてくれたらバスを乗り継ぐ必要もない。みうがぐずぐず我儘をいったって、“お姉ちゃん”が上手くなだめてくれれば私が煩わされることもなかった。今頃は赤ちゃんも乗れる大きい車を買って、“お姉ちゃん”は庭に増築した部屋に住んで。私は夫と娘と孫に囲まれた幸せなおばあちゃんになって。みんなが上手くいくはずだったのに。
家を飛び出していったみうがようやく帰ってきて、みんなで楽しく暮らせると思っていたのに。実際には、みうが帰ってきてからあんな言い合いばかりだ。不平不満をぶつけられるばかりで、楽しかったことなんて一度もない。向かいの奥さんは、お嫁さんのプレママ教室で一緒に体操をしたり、赤ちゃん用品を買いに行ったりして楽しそうだったのに。みうって子供の頃はかわいかったのに、あんな子だったかしら。欲張りで図々しくて生意気。東京にいって変わってしまったのかしら。
「“お姉ちゃん”、どうして……」
また口癖がこぼれた。増築した新しい部屋に住んで、妹が帰ってきて、赤ちゃんが増える。いいことばかりなのに、なぜ“お姉ちゃん”はいなくなってしまったのだろう。なにが気に入らなかったのだろう。今までずっと上手くやってきていた。ご近所さんからも『本当に孝行娘ねえ』っていつも褒められていた。
進学や就職のときに東京に行きたがっていたのを反対したことを、今も根にもっているのだろうか。みうだけが東京にいって、結婚相手を見つけたことを怒っているのだろうか? 地元ではいい学校を出て、地元ではいい就職をした、実家に住んでお金も自由になる恵まれた“お姉ちゃん”。みうは専門学校にもいったけど中退してしまって、結局は高卒だ。結婚したといっても旦那は無職。そこに子供が生まれるのだ。
親が、家族が助けてやらなくちゃいけないのに。助け合うのが当たり前のことなのに。“お姉ちゃん”は何が気に入らないのだろう。それとも。もしかして、“お姉ちゃん”はみうがあんな風になってしまったことを知っていたのかしら? だから……。
「このままではこの家はダメになってしまう……」
“お姉ちゃん”がいてくれないと。“お姉ちゃん”になんとかしてもらわないと。“お姉ちゃん”は小さい頃からしっかりしていて、いつでも私を助けてくれた。お父さんもみうも、自分のことばっかりでいつもあてにならなかった。“お姉ちゃん”だけが私の味方だった。“お姉ちゃん”がいれば……。
“お姉ちゃん”がいてくれなくちゃ……。
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