第26話 私が消えたあと3

「父上、エミリーを家に帰すとかどういうことですか?」

「陛下と呼べレオニス、ここは王の執務室だ」

「失礼いたしました。陛下」

私は胸に手を当て頭を下げる、恭順の礼を示した。父王はひとつ頷くと視線で長椅子へと促した。向かい合って腰をおろす。


「それで陛下、エミリーの件ですが、しばらく城への滞在を許してくれたではありませんか。なぜ急に」

「状況が変わったのだ」


「状況、ですか?」

「ローザリンデがな、婚約破棄を認める書類を破って公爵家から逃げ出したそうだ」

「ローザリンデが家を? そんな…、あの、それに婚約破棄というのは? 婚約解消だったと記憶していますが」


父王が小さくため息をついた。

「お前は王太子、王を継ぐものだ。瑕疵はつけられぬ。ゆえにこのローザリンデの有責で婚約破棄とすることにした」

「ですが、それではローザリンデが」

「何をいまさら。お前がしたのはそういうことだ。どこにも角が立たず、傷もつかずに婚約解消などできようはずもない」

父が言い募る私の言葉を鬱陶しそうに遮った。


「大体、なぜあの男爵令嬢が城に滞在きることになったと思っている?」

「陛下がエミリーを認めてくださったのだと」

「バカな。あれはディケンズの出した“条件”だ。ローザリンデ有責で婚約破棄にする代わりのだ」

「なぜディケンズ公がわざわざ娘の経歴に傷をつけるような真似をするのですか?」

理解できないというと、父王は口元に苦笑を浮かべた。


「“肉を切らせて骨を断つ”というだろう。ローザリンデの公爵令嬢としての価値は地に落ちた。代わりにディケンズ公爵家はいくつかのものを手に入れたのだ。お前の次の婚約者はフロレンツィア、ローザリンデの妹だ。王家の外戚という立場は揺るがぬ。そしてさもお前のためのような顔をして、男爵令嬢をしばらく城に滞在させることを申し出てきた」

なぜかわかるか?と父王に問われる。

「私に恩を売るため、でしょうか?」

「逆だ、お前の弱みを握るだめだ。お前の妃はディケンズ公爵令嬢。男爵令嬢の実家などひとひねりだ。でもやらない。それどころかディケンズは娘を王妃にしても、男爵令嬢がお前のそばに侍ることを許すだろう。ディケンズ家の庇護のもと、お前は強い後ろ盾をもつ王妃と、恋しい女を手に入れる。そしてお前はディケンズを蔑ろにできなくなる」


私は言葉を失った。

「お前とディケンズ公爵令嬢の間に生まれる子供はいずれ王となる。ディケンズの孫がな」

「それはローザリンデが相手でも同じではないですか」

「あれは“王家のご意向”に逆らわぬ娘だ。自分の子供であろうと王家の跡継ぎとして接して育てよう。だが妹は違う。いわばディケンズの分身。王妃になろうと国母になろうと家の利を忘れず動く。青い血の通った女だ」


父王はにやりと笑った。

「後ろ盾の厚さの割に御しやすいかとローザリンデを婚約者にしたが、あの狸め、最高のタイミングで面倒なほうと差し替えてきた。それも王家に恩を売る親切顔でな」

父王が表情を消して私を見る。

「これ以上ディケンズに取り込まれるようなら、お前ごと切り離すことも考えなければならない。」

「心して臨みます」

父王がうなづいた。


「そんな状況だからな、これ以上お前の弱みを増やすわけにいかない。男爵令嬢は密かに実家に帰す。しばらく身を慎め」

「申し訳ありません」

「よい、これも王となる者の勉強だ。若気の至りでごまかせる今のうちに女あしらいを身に着けさせようと思って放っておいたこちらの落ち度でもある。ディケンズに喰われるな、利用するんだ。そうすれば、お前は利をもたらす王妃と恋しい女を同時に手に入れることもできよう」

私は返す言葉を見つけられなかった。


「まあ、それもこれもローザリンデが無事に見つかってからの話だ」

「王家からも捜索されているのですか」

「当然だ。書類が揃わないせいで、まだお前の婚約者だからな。ディケンズはこちらに隠して血眼で探しているが、市井に放ってある密偵から確認がとれている」

「このことは王妃殿下は」

「もちろん、共有している。万が一にもローザリンデが無残な姿で見つかってみろ。ディケンズは表向き被害者だ。王家だけが厳しい立場に立たされる」

王家の外戚となりたい貴族もいれば、王家の力を少しでもそぎ落としたいと手ぐすね引いてる貴族もいる。そういった父王と、しばし無言で見つめあった。



「しかし、あの娘。“承知しました”しか言えぬと思っていたが、まさか書類を破って逃げ出すとはな。書類が整っておれば“元婚約者”のその後など、王家とは関わり合いのないことと扱えたものを。おかげでこのざまよ」

少しだけ愉快そうに笑ったあと、父王は感傷的な目の色を見せた。

「17歳の令嬢がたった一人夜更けに姿をくらますなど、無謀なことを」


父王の執務室を辞して、自室に戻った。

「ローザリンデに万が一のことがあれば、私は…」


婚約をしたのは5年前、彼女が12歳の時のことだ。国有数の公爵家の長女。こげ茶の髪にこげ茶の瞳。金や青、碧といった彩の華やかな高位貴族が多い中、地味な色彩の彼女は万事控えめな人だった。初対面の時、互いに笑顔で挨拶をして、お茶の席についた。世間でいうような“ピンとくる”ことはなく、そしてそれはお互い様のようで。城の庭園で30分程、天気や目についた植物、最近王都で流行っているという店についてなど、当たり障りのない世間話をして別れた。その店に一緒に行こうとは、どちらからも言い出さなかった。


それでも、婚約者同士の交流を深めるために、月に一度、王宮の庭園でお茶の時間が設けられた。私たちはいつも、貴族らしい世間話を繰り返すだけだった。彼女は私に興味がないのだろう。私がそうであるように。


私は王太子だ。国内の勢力バランスや自分の即位後の国家運営、家格や年齢を考慮して選ばれた彼女と、互いに恋情はなくとも波風を立てず上手くやっていかなくてはならない。両家に成果が求められるのが貴族の結婚だ。王族であれば時に国益も乗ってくる。互いの家に利をもたらし、敵対しないことを保障するための関係。


理解していた。理解しているつもりだった。だが、エミリーに出会い私は変わってしまった。まるで巷の三文小説のように陳腐だが甘美な新しい世界。エミリーといると心が浮き立つ。何をしても話しても楽しくて、あっという間に時間が過ぎ去り焦燥感を覚える。明日も会えるだろうか、どうすればもっと一緒に過ごせるだろうかと。


私は必死になった。予定を詰めて少しでも時間を捻出し、同伴できそうな場所には連れ出した。婚約者がいる男として、王太子としてふさわしくない行動だとわかっていても止められなかった。恋の病の無様さを自嘲する自分と、理性を麻痺させる甘美さ浸っていたい自分。こんなにも弱く愚かな人間であったのかと驚いた。


当然人の口に上るようになってきたが、そこで意外なことがおきた。私の不誠実さやあるべき姿を諫言するのではなく、これまで実直にやってきた王太子の微笑ましい恋と評価された。エミリーが男爵令嬢であることも大きかったのだろう。


これまでの慣例として王太子妃は伯爵家以上の家門から選ばれる。エミリーでは私と結婚することはできない。貴族の思惑はわかっていた。エミリーとの仲を歓迎してみせることで私に瑕疵をつけず、ローザリンデと破断にさせたいのだと。そして後釜に自らの家門の令嬢を据え王家の外戚の座を手に入れる。


だからローザリンデの前で聞えよがしに噂を立てる。それが彼女を苦しめ、傷つけ、立場を悪くしていくことをわかっていた。止めなければいけないと思っていた。でもできなかった。彼女をそこに置いておけば、自分はエミリーと過ごし、周囲から仮初の祝福を受けられる。その状況を手放せなかった。


彼女なら許してくれると思ってしまった。いつもどんなことでも彼女は私を優先してくれていたから。“承知しました”、“殿下のよろしいように”、“王家のご意向のままに”。そういって受け入れてくれていたから。だから今回も許してくれると疑わなかった。


実際に彼女に婚約解消を持ちかけた時、ディケンズ公と話して欲しいといったけれど、彼女自身が嫌だとは言わなかった。

「なのに、なぜ……」

彼女は婚約破棄の書類を破り、夜更けにたった一人で姿を消してしまった。王家と公爵家の捜索でも見つからないなんて。

「どこにいる、どうしている、生きていてくれるだろうか」


私は彼女が好きではない。でも嫌いでもないのだ。近づくことも遠ざかることもなく、一定の距離を保って続いた私たちの5年間。いつも私を気遣ってくれる優しい人だと知っていた。エミリーと過ごしているときにたまたま彼女と鉢合わせても、彼女は何もいわず、少し悲しげな瞳で挨拶をして去っていった。彼女には何も瑕疵はない。私の欲と弱さが、彼女を王家と公爵家の思惑に巻き込んでしまった。だから私は耐えられない。彼女の不幸に、耐えられない。


「ローザリンデ、頼む。無事でいてくれ」

私の弱い心と、王家の対面を守ってくれ。愚かな王太子、愚かな王家。こんな私が国を治める? 一時は継承権を返してエミリーと男爵領を継いでもいいかと思っていたのに。なんて傲慢だったことか。王家に自分に、矛先が向くことが今はこんなにも恐ろしい。


「ローザリンデ、すまない。どうか、無事で……」

“はい、殿下”。名を呼ぶと、いつも小さく微笑んで返事をする。儚げな姿がもう失われてしまったというのだろうか。

「ローザリンデ……」

許してほしい。もう一度、答えてほしい。

「ローザリンデ……」

いまさらになって、何度も彼女の名前を呼んでいる。

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