第18話 私が消えたあと

「おい、きいたかよ! 上のお嬢様がいなくなっちまったらしいぞ」

「あー、何でもお城で悪さをして領地に押し込められるってえ話だな。もう領地に立ったのかい?」

「男爵令嬢をひっぱたいたんだって? 王太子殿下もなあ、お嬢様という婚約者がいながら他の女をお城に連れ込むなんて悪い男だよ」


「は? 何の話だよ?」

「いや、だから上のお嬢様の話だろ?」

「町場じゃあ、家に女を連れ込んだりしたら、男のほうが痛い目を見るもんだがな」

「ちげえねえ」


「もしもうちなら、かかあに家から蹴りだされるな」

大きな笑い声が響く。庭師たちが立ち話に興じているのを聞きながら、俺は馬の世話をしていた。

「俺が聞いた話じゃあ、上のお嬢様は旦那様のお怒りに触れて地下牢に入れられたって」


「怖や怖や。浮気をされたほうなのに、尻軽女に一発食らわせてやった実の娘を牢屋に放り込むなんてお貴族様のなさることはわからねえなあ」

「相手は男爵令嬢だろ? 公爵令嬢のお嬢様が殴ったくらいで、一体何の罪になるんだよ?」

「王様のお住まいになるお城でな、暴力沙汰を起こした罪ってことらしい」


「ああ、どっかの東の国じゃあ、剣を抜こうと柄を持ってほんの人差し指くらい刃が見えただけでお家が取り潰されたって話だ。公爵家はお嬢様一人の処分ですんで、王家は寛大だって上級使用人どもが話していたぞ」

「息子の不貞は棚に上げて、寛大もクソもあるものかよ」


「それがお貴族様流ってことよ」

「おい、めったなことをいうもんじゃないぞ。 お偉い方のお耳に入ればお前だって牢屋行かもしれん」


「しかし、いつの間に出立なされたのか。お別れの挨拶なんぞできる身分じゃないが、せめてお好きな花束くらいは馬車に乗せてさしあげたかった」

「最近のお嬢様は前より元気そうに見えたくらいだったけど、まさかこんなことになるなんてなあ」


「おい、お前たち! こんなところで何をしている? おかしな話をしていないでさっさと仕事に戻れ」

「これは騎士様。それがですね、困ったことになぜか作業小屋がなくなっちまいまして」

「作業小屋がない? なぜだ?」


「それがわからんのです。昨日までそこにあったものが今朝来たらなくなっておりまして。わしらもどうしたらよいものかと相談しているところでした」

騎士様は何かご存じでしょうか? と逆に尋ねる。


「作業小屋のことなど知ったことか。さっさと執事にでも相談にいけ。だがいいか、あちこちで余計なことを話すなよ」

騎士様が庭師たちに向けて手を払った。庭師たちはお屋敷に向かって駆け出していく。騎士様はずかずかと厩舎に歩いてきた。


「おい、厩番。先ほど頼んだことは終わったか」

「へえ、騎士様。お調べいたしましたが、こちらには何もございやせん。馬たちのそれぞれの馬房に置いてありましたハミと頭絡はそのままですが、手綱も鞍も、あぶみも何一つ残っちゃおりやせん」

「それでは馬が出せぬではないか!」

「へえ、裸馬でよければご用意できますが」

「王都でそんなもの乗れるか! いいか、もう一度よく探せ。あとでまた来る。このことは誰にも話すな。いいな!」


騎士様は速足でお屋敷に戻っていった。俺はフォークを置いて、馬房の奥に積まれた箱からりんごを一つ取り出した。

「タビーがいなくなっちまって、お前も寂しくなるなあ」

馬柵棒越しに栗毛の馬に差し出すと、嬉しそうにりんごを食んでいる。


上のお嬢様、ローザリンデ様は真面目な方だった。お屋敷の中に入ることがない俺たちでもそれはわかった。ご令嬢なのに、幼い頃から剣や乗馬の訓練を欠かさない方だった。貴族じゃそれが普通なのかと思ったが、下のお嬢様は全くやらなかった。

息を切らせて座り込んだローザリンデ様に、「そんなことでは次期さまのようになれませんよ」と教師が言い聞かせているのをよく目にした。


次期さまは貴族社会でも文武両道で優秀な跡取息子と名高いらしい。だがローザリンデ様はご令嬢だ。軽く小さな体、細腕で次期さまと同じことができるはずもない。いつしか剣や乗馬からは遠ざかっていた。それが最近になって、急にまた乗馬がしたいと厩に現れた。小さな馬に横乗り用の女鞍をつけようとすると、止められた。なるべく大きな体力のある馬に普通の鞍で乗りたい、と。

「お嬢様、申し訳ねえんですがそういう馬は騎士様方の仕事で出払っておりまして」

「あの馬は? 大きくて立派な馬じゃない?」


「あちらでよろしいんで?」

「問題ないわ。それとも怪我でもしているのかしら?」

「とんでもねえ、あいつは馬体も大きくスタミナもある。足も強い。それでいて性格は温厚でね。この厩舎でも指折りでさあ」

「いいわね! あの子で準備をお願いするわ」

でも、何でそんないい子が騎士の仕事につかないの?、とお嬢様が不思議そうな顔をする。


「あいつは、あの通りの白黒のブチ模様でね。牛みたいだって騎士様方からは嫌がられるんでえ。馬鎧をかけても隠れない大きさだから騎士様のお役目につくことはねえんです。“牛で王都を走れるか”ってねえ」

「まあ、毛の模様で馬を選ぶなんて。それにあの子はこの厩舎で指折りなんでしょ?」


「普段は荷馬車なんかを引いたりしてますがね、膝下の太さはあいつが一番ですよ。いざというときはご領地への伝令の馬にだって選ばれるはずだと俺は思ってます」

「速さとスタミナが抜群ということね! 頼もしいわ。なんて名前なの?」

「へえ、タビーでこざいます」

「タビー、よろしくね」

お嬢様が差し出した角砂糖を、タビーは鼻を鳴らして喜んだ。


それから昼間のひととき、厩舎近くのお屋敷からは見えない馬場にお嬢様がタビーに乗りに来られるようになった。幼い頃は女鞍でしか練習したことがなかったはずなのに、初日から問題なくタビーを乗りこなしている。お城で何かあって、ローザリンデ様がお屋敷に籠められているらしいということは使用人の間でも噂になっていた。馬を歩かせるお嬢様の楽しそうな顔が少しでも長く続けばいいと思っていた。


「それがなあ、まさかタビーごといなくなっちまうなんてな」

栗毛の馬がもう一つりんごを強請るように鼻を鳴らす。

今朝厩に来たら、タビーと馬具が消えてなくなっていた。代わりに人参とりんごの箱が積み上げてあった。そして角砂糖の箱が一つ。馬の好物ばかりだ。


ローザリンデ様が領地に帰ったはすがない。厩舎にはタビー以外、全ての馬が揃っている。そして馬具は一つもない。公爵様も騎士様たちも、馬具が整うまではこの家から出られない。お貴族様が王都を歩いて移動するなんて、裸で町を歩くようなものだからだ。


「クククッ」

ざまあみろ。俺は心のうちでうそぶく。公爵家のどの馬よりも強くて速いのに、いつも荷馬車を引いていたタビー。今から馬具を準備したって、誰もあの馬に追いつけやしない。騎士どもめ、よくも牛呼ばわりしやがって。公爵様め、お嬢様は全然悪くない。だから俺は誰にも言わない。牛がいつの間にかいなくなっていたところで、厩番の俺には関係ない。


「お嬢様をしっかりお連れするんだぞ、タビー」

白い馬体に黒いブチ。牛のようだといわれた馬は、美しいご令嬢を乗せて、今頃どこかの街道を風を切って走っているだろう。

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