第11話 “私”が消えたあと2

「自慢の娘なんです。何も言わずにどこかに行ってしまうような子じゃないんです。きっと誰かに騙されて連れていかれてしまったんです。だから探してください」

「お母さんねえ、そうはいっても娘さん30歳になるんでしょう? 聞いた限りじゃあお勤め先も円満退職されてるようだしね? 事件性はないってことになるんですよ」

「でも、だって、おかしいじゃないですか! どうして何もいわずに勝手にどこかにいってしまうんですか? もうすぐ下の子が帰ってきてお産なんです、私はもう歳だしとても一人じゃ世話できないと思うし。“お姉ちゃん”のために家の増築だってしてるのに」


警察官はため息をついた。

「じゃあお母さんね、とりあえず捜索願をお預かりしますよ。でもね、娘さんももういい大人でしょう? 自分で判断して自分で行動できる。お母さんが知らないことだってあるはずです。まあ、あんまり思いつめないで。今はその下の娘さんのお産の準備をしたらどうですか?」

パトカーで家まで送りましょうか? という警察官の声を振り切って、私は交番をあとにした。


“お姉ちゃん”がいなくなってもう半月になる。あの日、役所の仕事で何日か出張するといって車で出たっきり。一週間経っても帰ってこなくて、出張先の電話番号でもないかと“お姉ちゃん”の部屋に入ってみたらもぬけの殻だった。何も、何もなかった。心臓がバクバクと激しくなって、息が苦しくなって。携帯が上手く握れずに、何度もやり直しながらようやく“お姉ちゃん”にかけてつながらなかった。“この番号は現在使われておりません”という女性の声が聞こえてくる。もちろん、向こうからの連絡もない。


どうしてしまったのだろう。何か事件に巻き込まれたんじゃないかと勤め先の役所に駆け込んだら、もう退職したと、転職先は知らないと、素っ気なくいわれた。そんなはずはない。これから妹が帰ってきて、お産をして孫が生まれる。若夫婦と同じ階の部屋も気まずいだろうし、赤ん坊の泣き声もうるさくなるだろう。だから“お姉ちゃん”のために庭に部屋を増築するといったのに。“お姉ちゃん”だって賛成してくれた。手付金だって払ってくれた。喜んでいたはずなのに。車だって、あの子と旦那さんと孫が増えれば6人乗れる大きいのが必要になる。だから今の車を売って新しいのを買おうっていってくれた。ディーラーさんで下取りの査定もすませたといっていた。あとは新しい車の納車を待つだけだって。でもディーラーさんに電話をしたら、新車は注文されていなかった。下取りだけだった。“お姉ちゃん”が出張にいくって出て行った日に、車は下取りされていたって。書類を見せてもらったら確かに“お姉ちゃん”の字だった。


“お姉ちゃん”が役所に就職が決まったときに、地元で勤めるなら車通勤にすると自分で買った車だ。その後、お父さんが普段はどうせ乗らないからと車を処分してしまって、今では一台だけの自家用車だったのに。車がなければあの子の検診の足がなくなってしまう。これから赤ちゃんが生まれるとなればいろいろ必要なものもあるし、大きいものや重たいものもある。車がなければみんなが困るのに、簡単にわかることなのに、なんで“お姉ちゃん”は車を売って出て行ってしまったのだろう。生まれてくる赤ちゃんは“お姉ちゃん”にとっても甥か姪で、新しい大事な家族なのに。そんなに思いやりがない子だったなんて思わなかった。


いつだって自慢の娘だった。県立のトップ高から地元の国立大学に進学して、役所でも結構なお仕事をしているって近所の人も親戚もみんなが褒めてくれた。時々聞き分けのないこともあったけれど、言い聞かせればちゃんと飲み込んでくれる良い子だった。だから私はいつも言い聞かせた。


「“お姉ちゃん”でしょ」

「“お姉ちゃん”なんだから」

「“お姉ちゃん”のくせに」


そういう度に“お姉ちゃん”はどんどん良い子になって。成績もどんどん上がり、家のこともよく手伝って、妹の面倒もよく見るしっかりした子になっていった。”お姉ちゃんでしょ”はまさに魔法の言葉だった。東京の大学に行きたいとか、東京で就職したいとかわがままを言ったこともあったけど、危ないからと反対すれば受け入れてくれた。就職してからはお給料も半分入れてくれたし、家にお金がないときはボーナスを全部出してくれたこともある。


「“お母さん”大丈夫?」

「体調が悪いの? 私がやるから横になっていて」

「今日お給料日だったから、“お母さん”の好きなの買ってきたよ」


いつだって、私のために動いてくれていた。なのに、なんでこんなことになってしまったのだろう。私も年齢のせいか体調が悪いことが多くて、一人じゃとても妊婦や赤ちゃんの世話など手が回らない。お金だってたくさんかかるし、車だって必要なのに。これから家族が増えて、もっともっと幸せになるはずだったのに。


交番からの帰り道、スーパーによった。

「はあ、重たい…」

自宅から1キロくらいのお店で買い物を済ませ、両手に袋を下げで休み休み歩いて帰る。重たい。手提げが手に食い込んで痛い。普段重いものを持って歩いたりしないから足も痛む。“お姉ちゃん”がいなくなって、もう冷蔵庫が空になってしまった。いつもなら。車ならすぐなのに、歩きでいくと結構距離がある。本当は牛乳やトイレットペーパーも欲しかったけれど、持って帰れる気がしなくて諦めた。こんな年齢になって、今更こんな思いをすることになるなんて。自慢の娘だったのに。自慢の娘だったはずのに。

私はこれからずっと、暑い日や寒い日も、雨の日もこうして買い物にでなければならないのだろうか。いや、そんなはずはない。”お姉ちゃん”がいなくなるなんて、きっと何かの間違いだ。きっと、帰ってくる。何か勘違いや誤解があったのかもしれない。”お姉ちゃん”だもの、きっとわかってくれる。すぐに帰ってくる。たぶん。きっと。

私は手提げを握り直してまた歩き出す。

「“お姉ちゃん”、どうして…」

何度も何度も繰り返した言葉。もう無意識に口から出てくるくらい繰り返した言葉を、私は今日もまた繰り返した。

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