第3話 妹
10歳頃だっただろうか。いつものように、母と妹がサロンでお茶を楽しんでいるのが見えた。その日はなぜか勉強に疲れを感じてしまい、侍女に自分もお茶に同席したいと頼んだのだ。母も同席を許してくれた。私は舞い上がり、すぐに支度にとりかかった。私は日頃濃いめの衣装を着ることが多い。朝の着替えの時に侍女が渡してきたものをそのまま着ていたから。勉強の時にドレスにインクが飛ぶことがあるから、侍女が染み抜きを厭うていたのかもしれない。その日も紺色のドレスを着ていた私は、母と妹のように、淡い色合いのドレスに着替えたかった。けれど、支度をしている間にお茶会が終わってしまっては困る。同席は許されたけれど、あの二人が「私が来るまで待つ」とは思えなかった。その程度には現実を認識できていた。ならばせめて、と髪のリボンを外し、小さな生花を飾ってもらった。鏡の中、こげ茶の髪と瞳の地味目な自分でも、花を飾ると見栄えがよくなった気がした。
髪に花をさして、母娘のお茶会。これからは私も「後継ぎのスペアのできそこない」はもうやめて、妹と同じように令嬢らしい生活をしようか。勉強はそれなりにして、刺繍や楽器を嗜み、ドレスを作ったりお茶会をしたりするのだ。刺繍はこれまで教師と二人で学んできた。なかなか筋がいいと褒められている。まあ、兄は刺繍をしないし、妹はまだ手が小さく拙いのでまともに比べる対象がないともいえるけれど…。
サロンで、母と妹と三人で刺繍を刺す光景を思い浮かべる。二人は手より口が忙しいかもしれない。私は二人のお喋りを聞きながら刺繍を刺す。上手くできたら、誰かにプレゼントするのもいいかもしれない。私は浮き立つ気持ちでサロンへ向かった。
「お母さま、フロレンツィア、ごきげんよう」
扉をくぐったところで挨拶をする私を、二人が驚いた顔でみている。やはり明るい色のドレスに着替えてくるべきだっただろうか。
「あの、私…」
気持ちが一瞬で冷え、挨拶用の笑顔が崩れていくのが自分でもわかる。
「あなた、その花は何?」
母が厳しい口調できいてきた。
「花? こ、これはリボンの代わりに飾ってみました。その、季節感を-」
「あなた、お茶会で生花を髪に飾るのはマナー違反よ。お茶の香りを濁らせてしまうでしょう」
「でも、その…」
前にフロレンツィアがつけているのを見ました、とは言えずに飲み込んだ。
「もういいわ、下がりなさい」
母が顔をそむけた。
「全く。公爵家の長女として、自覚が足りないわ」
私は侍女に促され、踵を返す。
「勉強だけは少しはできるのかと思っていたけれど、酷いものね」
ドアが閉まる前に、こぼれた母の呟きが私の背中にぶつかった。
それから、また私は勉強に励んだ。妹なら許されることも、私には許されない。妹と同じことをしても両親の好意は得られないとわかったから。私は「後継」にも「愛娘」にもなれないけれど、「公爵家の長女」に相応しい程度の能力や評価は得なければいけない。それこそがこの家での私の存在価値なのだから。
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