第19話 感謝



 深々と雪が降り積もる、三日後の夜。

 本日の業務を全て終えた朱璃が、白い息を吐きながら腕を伸ばす。

 そして入母屋造りの侍女専用部屋に戻ろうと、単身雪道を歩いているところだった。


「んー! 毎日忙しいけど充実してるわー」


 ついこの間まで下女として働いていたのに、皇太子宮の侍女に昇進したり、あやかし捜索係に任命されたり。

 突然攫われて監禁されたり、あやかしの秘密が明かされたり……。

 色んなことが朱璃の身に起こったけれど、蒼山宮の侍女に昇進してからまだ一月も経っていなかった。

 時の流れがあっという間すぎて少し恐怖を覚えていた時、突然関韋に声をかけられる。


「朱璃殿、少しよいか?」

「関韋様! どうされましたか?」

「勤務時間外に悪いのだが、ついてきてほしい場所がある」

「はい、大丈夫ですよ」


 朱璃の返事を聞いて、歩きはじめた関韋の様子はいつも通り。

 しかし、仕事を終えた後にわざわざ呼ばれることがなかった朱璃は、なんとなくいつもと違うことに気づいていた。


「あの、関韋様。一体どちらに?」

「……伯蓮様のお部屋です」

「え? でももうお休みになられる頃ですよね?」

「はい」


 就寝前だとわかっていて、それでも伯蓮の部屋に向かう関韋に、朱璃の頭の上には疑問符が浮く。

 なぜそんな時に自分が呼ばれているのか、その理由を探しているうちに蒼山宮前に到着してしまった。


(あれかな? またあやかしのことで伯蓮様から相談でもあるのかな?)


 三階建ての宮を見上げながら予想していると、関韋が扉を開けて中へと誘導する。


「これより先は朱璃殿お一人で向かってください」

「え? 関韋様は行かないのですか?」

「私はここまでです。伯蓮様にそう言われておりますので」

「……?」


 侍女一人を皇太子の元に行かせるなんて、本来あってはならないこと。

 しかしそれを許してくれる関韋に、朱璃は困惑しながらも一礼して中に入った。


(……それほど信用されているってこと……?)


 伯蓮を通して、侍従の関韋とも良好な関係を築けている気がして緊張が解れる朱璃。

 それに、朱璃の予想通りあやかしについての相談であれば、部屋のすぐそばで侍従が控えていると話が聞こえてしまう可能性もある。

 だから伯蓮は前以て人払いをしているんだと、今の状況を把握した。

 朱璃は階段を上るたびに程よいドキドキ感を抱き、三階に到着した時には一旦足を止めて大きく深呼吸をする。

 そして私室の扉前までやってきたのだが、なぜか中は真っ暗で無音だった。


「伯蓮様? 朱璃です……」


 呼びかけたが返事がなく、すでに伯蓮は就寝しているのではと不安がよぎる。

 聞こえてなかっただけかも。そんな心配もあって、朱璃は扉をそっと開け室内を覗き込んだ。

 その瞬間、室内に設置されていた燭台全てに火が灯り、パッと目の前が明るくなった。

 まるで妖術のような不思議な現象に驚く朱璃だが、落ち着く間もなく視界に映ったのは。

 円卓を埋める点心や果物の数々と、甘い香りを放つ果酒。

 そして、お馴染みの三々や流と星の姿もあり、渋々呼ばれた様子の貂々が窓辺でそっと眠っている。

 それらに囲まれて、嬉しそうに微笑む伯蓮が中心に立っていた。


「よくきてくれた、朱璃」

「は、伯蓮様⁉︎ こ、これは一体……」


 状況が飲み込めずに戸惑っている朱璃を、伯蓮が優しく椅子に誘導する。

 そしてゆっくり着席させると、朱璃の様子を窺いながら丁寧に説明をはじめた。


「驚かせてすまない。実はずっと朱璃に、礼がしたいと思っていたのだ」

「え……?」

「流を搜索してくれた礼、発見してくれた礼。せっかくだから顔見知りのあやかしも誘ってな」

「礼だなんてそんな……でも、なんだか秘密の集会みたいでワクワクしてきました」

「そうか。……まあ、それともう一つ……」


 言いながら、筒杯に果酒を注いだ伯蓮。

 それを静かに朱璃の手元に置くと、ほんのりと頬を赤く染めて呟いた。


「……朱璃と初めて出会った日から、一月が経った」

「あの中庭で出会ってから、ですか」

「だから何かお祝いもしたかった。貂々らを誘ったのは、少しでも賑やかな方が朱璃は喜ぶかと……」


 徐々に声が小さくなっていく伯蓮は、顔を背けたまま自分の席に座った。

 そしてゆっくりと視線を上げると、熱を帯びたような眼差しが朱璃に突き刺さる。

 心に大きな衝撃を受けたと同時に、鼓動が速くなって息が止まりそうになった。


(くぅっ……ほらまた……! 前に三々が“恋だな”なんて言うから!)


 込み上げる感情を抑えて、朱璃は冷静を装うことで精一杯になる。

 つまり今夜は、流発見のお礼と、伯蓮との出会いから一月経ったお祝いの集会に極秘で招かれた朱璃。

 それはすなわち、二人の初めての出会いを伯蓮が特別に思っていた、と考えることもできて――胸の奥が熱くなった。


「……朱璃?」

「え! あ、はい! 賑やかな方が嬉しいですっ」

「そうか、良かった」


 色々と推測してしまい緊張してきた朱璃が、悟られないよう必死に返事をした。

 本人が喜んでくれていると知って安心した伯蓮は、目尻を下げて胸を押さえる。

 そんな様子を見ていると、朱璃の中で何か、今の伝え方では足りないような気持ちが沸々と込み上げてきた。

 他にもっと、伯蓮を喜ばせる重要な言葉を口にするべきだと思ったりもしたが、それはなぜだろうとも考える。

 すると、手元に三々が飛んできてなかなか進まない二人を仕切りはじめた。


「ほら二人とも、乾杯しねぇのか?」

「え?」

「緊張している時間がもったいねぇよ! ほらほら」


 早く筒杯を持てと強引に促す三々に、伯蓮も朱璃も従って目を合わせた時、自然と笑みが溢れた。

 互いにどこかよそよそしくて、だけど確実に信頼感は抱いている。

 そうして円卓の上でコツンと当たった筒杯は、「乾杯」と発せられたそれぞれの口元に運ばれた。


「ん! 美味しいですね!」

「葡萄酒だが強くはないはず、大丈夫だったか?」

「はい、平気です。食べ物もこんなにたくさん……」

「朱璃の好物がわからなかったから、少し多めに作ってもらった」

「ふふ、全部大好物なので嬉しいです。ありがとうございます」


 色々と考えて用意してくれたことを、素直に感謝する朱璃。

 そして目の前にあった桃饅頭ももまんじゅうを、幸せそうな表情を浮かべて頬張る。

 ただ、その準備段階で伯蓮は少しだけ反省することがあった。


「……私は、思ったほど朱璃のことを知らなかった――」

「え? 私のこと、ですか」

「好物もだが、酒が苦手ではないか、嫌いな食べ物はないかと悩んだ」


 好きな色、出身地、得意なこと、異性の好みさえも未だに聞けずにいる伯蓮が、寂しげな目で話す。

 しかしそれは朱璃も同じ思いで、噂にはよく聞く伯蓮の本当の姿は、自分の目で見て知った部分のみ。

 だから、知りたいことは尋ねていかないと、知らないまま終わってしまう。

 それは嫌だと思った時、考えるより先に口から例の言葉が出てしまっていた。


「……恋だな……」

「……は……?」

「ハッ⁉︎ え? は? 今なんと?」

「いや、言ったのは朱璃だが」

「私? 何を言いました⁉︎」

「……“恋だな”」


 伯蓮に指摘された朱璃は、顔を真っ赤にしながら円卓で桃饅頭を突いていた三々を睨む。

 「なんで俺?」という表情をした三々だったが、悪い予感がしたので桃饅頭を咥えて貂々のいる窓辺へと逃げていった。

 確かに今のは三々のせいではない。

 しかし、以前朱璃が相談をした時にしつこく言われた言葉が、ずっと頭から離れなかった。

 あれからというもの、伯蓮に抱く気持ちが恋なのかどうか、自分でも判別がつかなくて困っていたのは事実。

 ただ、その悩みを伯蓮には知られたくなかった朱璃が、慌てて取り消しを求めた。


「今のはなんでもありません! 忘れてください!」

「朱璃……?」

「それにしても本当に美味しいですね! この桃饅頭!」


 話題を変えようと必死な朱璃だが、脳内ではあらゆる記憶が再生されている。

 廟から助け出された帰り道で、伯蓮は「妃になればいい」と朱璃に言った。

 ただ、そんな恐れ多いことを即決も即答もできるはずがなく、本気かどうかもわからないから。

 伯蓮の気持ちに気づかないふりをして、誤魔化すように振る舞った。

 いっそ「妃になれ」と命令してくれた方が、こうして迷わずに済んだのかもしれない。

 今更ながらに朱璃が思っていると、筒杯に入る果酒を飲み干した伯蓮が、突然宣言した。


「……そうだな。私は、恋をしている」

「っ……⁉︎」

「朱璃と出会う一月前は、恋をするどころか、宿命に抗う力さえ湧いてこなかったというのに」


 記憶を振り返ってみて、その信じられない変わりように伯蓮自身が笑みをこぼした。

 それはとても優しい空気を纏っていて、なんだか引き込まれてしまった朱璃は息を呑む。


「尚華妃との婚姻も、初夜を迎えることも。皇太子だから仕方がないのだと思っていたが――」


 そんな時、貂々を捕まえるため自身の危険を顧みない朱璃に出会うことができた。

 あやかしが視える人間に初めて出会い、その驚きと喜びも大きかったが。

 なにより茶会の時と初夜の時、あの瞬間に決まって妨害が入ったことが、宿命から抗う機会を与えられた気がした伯蓮。

 実際には、妨害と伯蓮への忠告目的だった貂々の作戦にハマっていたわけなのだが、それでも朱璃には感謝している。


「あの時、朱璃を助けられるのは自分しかいないと思った選択が、宿命と戦う結果に繋がった」

「……それは、伯蓮様にとって良かったことなんでしょうか?」

「もちろん。私が一番、私らしく生きたがっていたのだから……」

「……でしたら、私も嬉しく思います」


 言いながら朱璃は、以前貂々に話しかけている時に何気なく口にした言葉を思い出した。

 『伯蓮様には、幸せになってほしいなって思うんだ』

 心優しい皇太子の幸せを陰ながら願っていたのは、後宮の下女をしていた頃から変わらない朱璃だった。

 それがまさか、こんなふうにお酒を交わすほどの関係になれるなんて思ってもみなかったけれど。

 伯蓮が伯蓮らしく生きられているのなら、それはきっと幸せになるための導きがあったと思いたい。

 そして、それに少しでも自分が関わることができたのなら、この上ない喜びだ。



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