第17話 陰謀



「なぜ娘が謹慎を言い渡されたのですか!」


 宰相の執務室に招かれた伯蓮と関韋は、尚華の父でもある豪子に詰め寄られていた。

 その背後では数人の豪子の従者が控えていて、真正面からの圧を感じる。

 しかし謹慎処分はそれ相応の理由があったわけで、緊張しながらも毅然な態度で伯蓮が説明した。


「尚華妃は“ある薬”を茶に混ぜて私に飲ませた。それが謹慎の理由だ」

「……薬? 後宮の妃がそんなものどうやって手に入れるのですか」

「記録は残っていないが、豪子殿が手引きしたと尚華妃から聞いている」

「そんなこと私がするはずありません。薬の話が真実ならば娘が勝手にやったことです」


 尚華は確かに、催淫薬は豪子の指示かと尋ねた伯蓮の問いに、そうだと答えた。

 ただ、今の豪子はそれを否定し、その瞬間に実の娘を切り捨てたも同然となる。

 娘はあくまで駒。常日頃からそう考えているであろう豪子の返答としては、意外だとは思わなかった。

 しかし、今回の薬が毒であったら、伯蓮は死んでいたかもしれない。

 今後の危険性を考えると、そのような行為を恐れもなく実行する者に、政は任せられない。


「ところで豪子殿は、鄧北国を出入りする異国商人に、知り合いも多いようだな」

「え、ええ。異国の品に興味があるので個人的にも仲良くさせてもらっていますが」

「では異国の商品は管理が必要と知っているはず。しかし国に提出された報告書を確認すると、不可解なところが多い」


 事前に集めた豪子と商人との取引報告書の紙束を持っていた伯蓮が、机にどさっと置いた。

 一冊の教本ができるほどの厚さの紙束が、三つ。

 その全てが実在しない商人との取引履歴で、取引した商品は全てが“陶磁器”と書かれている。


「実在しない商人、これは追跡を防ぐための偽名ではないのか?」

「濡れ衣でございます。商人が偽名を使っていたとは私も知りませんでした」

「では商品の全てが陶磁器と記載しているのは、国で認めらていない違法な商品を仕入れるための偽造だろう」

「いいえ。商品の陶磁器は、本当に取引したものにございます」


 言いながら、執務室を見渡すように視線を動かした豪子。

 それにつられて伯蓮が周囲に視線を向けると、壁沿いの棚にはたくさんの瓶や壺、茶碗が展示されている。

 趣味、と言えばそれまでなのだが異様に数は多いし、ここにはない分の行方も伯蓮は見当がついていた。


「商人から購入した異国の商品を、高値で市場に転売しているという噂もある」

「っ……噂は噂。皇太子ともあろうお方が惑わされないでください」

「何もないところに噂は立たない」

「私に恨みを持つ者のでっち上げにございます。断じてそのような悪どいことは致しません」


 言いながら善人そうな笑顔を作る豪子だが、伯蓮と関韋は一切信じていない。

 娘に罪をなすりつけ、取引した違法商品は隠す。異国の商品を高値で横流し、噂は噂と言い逃れをする。

 これでは正直に話した尚華も浮かばれないなと思っていると、豪子の反撃がやってきた。


「しかし伯蓮様。そこまでおっしゃるほどの証拠があったのでしょうか?」

「この取引報告書の捏造が――」

「ははは。それだけでは私が異国の違法商品を仕入れたり、高値で転売している証拠にはなりません」

「ではなぜ商人の名も商品の記載がないのだ」

「私の部下のかも知れませぬな」

「なん、だと……」


 あれこれと言い逃れをしてくる豪子に、伯蓮も苛々が積もる。

 しかし、ここで引き下がるわけにはいかないと更に指摘した。


「部下の失態の責任は上司にある」

「私はしっかり指導していたので部下個人の失態です。出来の悪い部下を持つと苦労が絶えませんね」

「今度は部下のせいにするのか」

「せいではありません、部下が私を陥れようと勝手にやっていたことですから」


 保身的な発言ばかりで、娘も部下も切り捨てることに躊躇がない。

 人の心というものを感じられない豪子に、伯蓮も関韋も呆れていた。

 だがこの男が今、紛れもなく政を動かしているということにも恐怖を覚える。

 早く宰相の座から引き摺り落としたい。

 ただ、決定的な証拠がない限り豪子も折れない。

 すると豪子の背後にあった窓から、顔を覗かせているあやかしに気づいた伯蓮。

 この国の第十代皇帝だった鮑泉で、今はあやかしとなった貂々だ。


(貂々! やっときてくれたか)


 もちろん貂々の姿は関韋や豪子、その他の人間には視えない。

 すると窓を叩く素振りを見せてきて、“開けろ”という意味に捉えた伯蓮が一芝居打ってみた。


「……な、なんだか室内が暑いな。窓を開けてくれないか」

「こんな寒い時期に、窓を……?」

「一瞬でいい、新鮮な空気を吸いたい」


 何かと理由をつけると、豪子が自分の従者に指示を出して窓を開けさせた。

 その隙に執務室に侵入した貂々は、伯蓮の方には向かわずに従者の近くをウロウロする。

 そして一番若輩の従者の前でぴたり止まり、貂々は伯蓮に目配せしてきた。


「? ……其の方はこの取引の管理を任されていた者か?」

「い、いいえ。わ、私は何も……知りません。申し訳ありません……」

「そうか……」


 眉を下げて畏まる従者は、少し怯えながら青ざめているようにも見える。

 何か隠している。それを貂々が教えてくれているのだと悟った伯蓮は、彼を注意して見ることにした。

 しかし、伯蓮からはこれ以上の証拠は出てこないと判断した豪子が、髭を触りながら微笑む。


「伯蓮様。娘の処分はお任せいたします」

「重い罰でも受け入れるのか」

「はい。胡一族の恥ですから」

「尚華妃は父に認められたくてその身を捧げてきたというのに。簡単に切り捨てられるのだな」


 あの日、自分と同じような思いで宿命から逃れられなかった尚華を知っていた伯蓮は、彼女を心底可哀想な娘だと思った。

 そして、薬を盛ったことは決して許されることではないが、なんとか軽い罰で済ませてやりたかったけれど。

 豪子が罪を認めなければ、それも叶わない。

 悔しさが込み上げた伯蓮が机の下で拳を握りしめた時、貂々が再び動き出した。

 てとてとと小さな四肢で歩き、執務室の角で止まると再び伯蓮をじっと見つめる。

 そこには西瓜ほどの大きさの壺が棚の上に置かれてあり、色柄が派手でかなりの高級品であることが窺えた。


「……そ、その壺を、見せてもらってもよいか……」

「え? ええ、それも異国から仕入れたものですが……ご興味ありますか」

「ああ、少し……」


 席を立った伯蓮が、本当は全く興味のない異国の壺に向かった。

 きっと貂々が何かを示している。

 だが特に変わった様子はなく、伯蓮が腕を組んで悩んでいると、貂々が突然壺に飛びかかった。

 そして前足で壺を押し倒すと、ぐらりと傾いたそれはそのまま床に落下した。


「え……⁉︎」

 ガシャァァン!!


 あやかしが視える伯蓮には、壺をわざと倒した貂々を認識できる。

 しかし、あやかしが視えない他の者たちは、伯蓮が触れていないのに壺が勝手に均衡を崩して倒れたと思って驚愕していた。

 その謎の現象を前に豪子も言葉を失っていたが、皇太子の安全を確保したい関韋だけが伯蓮に駆け寄る。


「伯蓮様! お怪我はありませんか⁉︎」

「ああ、問題ない……しかし」


 先ほどまで美しい曲線を描いていた壺は、大きなものから細かなものまで様々な破片となって床にばら撒かれていた。

 その無惨な姿を見た豪子は、深く落ち込んだ様子で伯蓮に訴える。


「お手に触れず、どうやって倒されたのですか……!」

「あ、いや私は……」

「その壺は世界に数点しかない高級品でしたのに!」


 豪子の嘆きを聞いて、それは申し訳ないことをしたと弱気になった伯蓮。

 しかし、ふと視線を落とした先に、破片に埋まった一枚の折り畳まれた紙を発見する。

 その不自然なものに手を伸ばそうとした時、指を切る危険性を察した関韋に止められた。


「私が拾います」

「……頼む」


 破片を払って無事に紙切れを手にした関韋が、伯蓮に手渡す。

 そうして丁寧に開いた紙に目を通す伯蓮の様子を見て、豪子が不思議そうに尋ねてきた。


「なんですかそれは、なぜ壺の中に……?」

「……さあ。……ただ、もしかすると善良なあやかしの仕業かも」

「……は……あやかし?」


 意味不明なことを言い出した伯蓮に、あやかしの存在を確認できない豪子は首を傾げた。

 だが、目の前に差し出された一枚の紙に目を通して、ひどく驚愕する。


「こ、これは……」

「豪子殿、これが本物の取引の履歴だな?」


 そこには、国に提出された報告書とは別の、豪子の極秘取引一覧のような内容が記載されていた。

 最近の日付と取引した商品名、転売の際の倍額もしっかりと記されている。

 商人の本名や、その者からどんな商品を買い取ったのか、それはもう丁寧なほど事細かに。

 その中の一つに、怪しげな“樹皮茶葉”の買取も記録に残っている。


「この樹皮茶葉は転売の記録がないが、どうしたのだ……?」

「そ、それは、私用の……」

「どんな茶だ?」

「……ただの、よく眠れるという茶で、ございます」

「……そうか」


 明らかに動揺している豪子の様子を見て、貂々がわざわざ壺を割った理由がわかった。

 なぜそんな重要な紙が折り畳まれて壺の中に隠されていたのか。

 その詳細はあとで尋ねるとして、このまま豪子の悪事を暴きたい伯蓮が関韋に指示を出す。


「今すぐここに記載されている名前の商人を探し出せ。奴を聴取する」

「かしこまりました」

「他の商人、転売先も把握して聞き取りを頼む」


 突然の重要証拠出現に、豪子も対処が追いつかず沈黙したまま冷や汗だけが額に滲み出ていた。

 そこまでの根回しはしていなかったようで、商人らの証言が集まれば豪子の罪も明確になる。


「もしもこの樹皮茶葉に催淫効果が含まれる成分があったとしたら……豪子殿」

「……は、はい……」

「わかっているな?」

「っ……はい……」


 そう返事をした途端、膝から崩れるように座り込んだ豪子。

 やがて宰相の任を解かれる彼の野心は、元皇帝で今はあやかしの貂々と、現皇太子の伯蓮によって打ち砕かれた。



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