第14話 正体



 廟を出るとすでに三更の寒空が広がっていて、急いで門へと向かう朱璃たち。

 そんな中、一つ気になることを胸中に抱えた伯蓮が並んで歩く貂々に問いかけた。


「ところで貂々……」

「どうした?」

「先ほど鮑泉様の話をしていた時、貂々は皇后の自作自演の件を語っていたな」

「……ああ」

「それは侍従の手記には書かれていない内容なのだが、一体どこで知ったのだ?」


 突如冷たい北風が吹いて、皆の髪を靡かせた。

 王宮に置かれた歴史書には、暗君として記録されている第十代皇帝の鮑泉。

 しかし鮑泉の侍従が書いた手記には、そうなるに至った経緯と理由が記されていた。

 それを以って、鮑泉の本当の姿を学んだ伯蓮だけが気づけたこと。

 伯蓮だけが知る手記には書かれていない内容を話した貂々に、違和感を覚えた。


「……伯蓮様、どういうことですか?」

「貂々は鮑泉様の侍従さえも知らなかった真実を知っていたのだ」

「え?」

「おそらく皇后が“自作自演”だと暴露したことを、直接聞かされた張本人だったから……」


 言いながら立ち止まった伯蓮は、貂々を正面にして沈黙した。

 話についていけない朱璃は不安な表情を浮かべていたが、流は顎を触りながらその答えを待っている。

 すると俯いたまま微動だにしない貂々が、三日月を背に顔を上げた。


「少々喋りすぎたようだな、私は……」

「いいえ。おかげでまた一つ真実がわかってよかったです。……


 伯蓮が最後に呼んだ名にピクリと反応した朱璃は、馴染みのあやかしの顔を見る。

 じっとしたままの貂々の姿と、先ほど見た塑像の鮑泉の凛々しさを思い出して声を震わせた。


「……鮑、泉様? 貂々が、鮑……」

「ふ、なんだ朱璃。昼寝しているばかりの私が皇帝だったとは想像できないか?」

「え、え……?」


 あやかしは“元人間”。

 そう教えてくれた貂々の正体が、なんと二百年前の第十代皇帝、鄧鮑泉だという。

 今まで中庭で仲良くしていたあやかしが、とてつもない高貴なお方だったと知り。

 朱璃は血相を変え、伯蓮に抱き抱えられた状態で何度も頭を下げた。


「ひぇぇ数々のご無礼申し訳ありませんでしたぁぁ!」

「おい……いつも通りで良い。今はもうただのあやかしなのだから」

「いや、でも……もういつも通りなんて、無理……」


 昼寝中にずっと話しかけていたり、毛並みが綺麗だからとよく撫でたりしていた。

 それが元皇帝陛下だったというのだから、恐れ多くて顔を上げられない朱璃。

 すると貂々は、朱璃を見上げてそっと語りはじめる。


「私は毎日、朱璃の雑談を聞くのがなかなか楽しみだったぞ?」

「……え?」

「それに撫で方も優しい。あやかしへの敬意を感じられて、心地がよかった……」

「……貂々……」


 少し照れくさそうに話す貂々の、今まで話さなかった分の気持ちを受け取った朱璃は、感動で瞳を潤ませた。

 正体が鮑泉だとしても、あやかしの貂々として接してほしいと言われては、そのように努力はしよう。

 そう思って頷いていると、二人の仲に少しだけ嫉妬のような危機感を覚えた伯蓮が会話に割って入った。


「では私も、憧れの鮑泉様としてでなく貂々として接しよう」

「む……同じ皇族から言われると少し複雑だな」

「これからもご指導ご鞭撻をよろしく頼むぞ、貂々」


 伯蓮は爽やかな笑顔を浮かべていたが、その腹の内に秘めた感情を、貂々はなんとなく察していた。

 朱璃に優しく扱われている貂々に嫉妬したのか。貂々の言葉に下心でも感じたのか。

 いずれにしても、まだまだ青い皇太子であることに変わりないなと鼻で笑う。

 ただ、朱璃を傍に置いておきたいのなら、皇太子としての伯蓮にもっと厳しくする必要があった。

 次期皇帝としての彼が、自分と同じ道を歩まないように――と貂々が大事な話をはじめる。


「私がずっと華応宮の中庭にいたのは、尚華妃を監視するためだった」

「それでいつも中庭に? どうして尚華妃を……」

「朱璃には難しい話だが……伯蓮には、この意味をわかってもらわないと困るのだが?」


 そう問われた伯蓮は、少し考えるように沈黙して静かに頷く。

 尚華が入内したのと同時期に、中庭の木の上に現れたあやかしの貂々。

 てっきり国一の美女と謳われる尚華見たさにやってきたのかと朱璃は思っていたけれど、

 どうやらそれは、もっと重大で複雑な事情を抱えていたようだ。


「尚華妃推しとか言って、ごめんね……?」

「朱璃の変な思考回路はだいたいわかっていた。もう良い」

「……もしかして、初夜の日に部屋へ侵入したのも、尚華妃をずっと威嚇していたのも……」

「全部計画していたことだ」


 冷静に説明する貂々に、朱璃は理解が追いつかなくて戸惑い、流は興味ない様子で明後日を見る。

 しかし伯蓮だけは、まるで自分の憶測と答え合わせをしているように聞き入っていた。

 そして――。


「……貂々も気づいていたということか、宰相の陰謀を」

「え! 陰謀⁉︎」


 思わず大きな声を出してしまった朱璃が、すぐに自分の口を両手で塞ぐ。

 そして貂々は、深刻な表情でコクリと頷いた。

 現在宰相として皇帝の政を補佐する重要人物、胡豪子に陰謀の疑いがあったなんて。

 政権を揺るがす歴史的に重大なことが、朱璃の知らないところで進んでいたらしい。

 伯蓮は朱璃にもわかりやすいよう、説明を付け加えた。


「その手始めとして娘の尚華妃を入内させ、やがて皇后にのし上げようとしていたのだ」

「……確かに伯蓮様と尚華妃の婚姻は、政略的なものを感じていましたけど。あくまで良好な関係を築くためだと……」

「周囲がそう思うのも仕方ない。そうして皇族と臣下は長い歴史の中で関係を深めていたのだから」


 だからこそ四百年も続く鄧王朝が滅ぶことなく、皇族と臣下が協力してより良い国づくりを心がけてきた。

 しかし、その長い歴史のしきたりが、時に鮑泉のような悲劇を生むこともある。

 そして今回は、大きな野心を持ちはじめた豪子が、密かに陰謀を企てていた。

 胡一族の血を引く皇帝を育て、いずれ鄧王朝を乗っ取ろうと――。


「豪子は二代に渡り皇帝に仕えている優秀な宰相だ。しかし近年、裏では私利私欲を満たしていいように政を運ぶ」

「正体を現してきた、ということでしょうか?」

「元々野心家だったのだろう。現皇帝で今は床に臥せっている父上も豪子に全てを任せている始末。もはやどちらが皇帝かわからないな」


 皮肉を口にする伯蓮は、それでも豪子の手のひらで転がされている父親を救いたい。

 そのため、豪子の行動を侍従の関韋に見張ってもらうこともあったが、なかなか証拠が掴めず困っていた。

 すると、何やら得意げな顔をした貂々が口を開く。


「なぜ私が最近、中庭から姿を消していたと思う?」

「え?」

「初夜を妨害した次は、豪子を見張るために外廷に行っていたからだ」


 他の人間には視えないあやかしという立場を利用して、なんと豪子の仕事場に潜入していたと貂々は言いはじめた。

 流といい貂々といい、あやかしの自由な行動に振り回されている感を覚える朱璃。

 ただ、そこで重要な証拠を掴んだ貂々は、伯蓮にある指示を出した。


「今回の尚華妃の件で、近々豪子から呼び出されるだろう」

「……わかっている」

「その時は私も駆けつけるから、決して負けるな」

「っ……!」


 そう念を押してきた貂々は、もうすぐ後宮から出られる門には向かわず、塀を乗り上げて姿を消した。

 今、宰相の陰謀で政権が脅かされようとしている中、かつての暗君、第十代皇帝の鮑泉がそれを救おうと奮闘している。

 姿は違えど、国を思う気持ちはあやかしになっても変わらない貂々に、伯蓮は改めて憧れの心を抱いた。



 後宮を出るための門前に辿り着いた朱璃たちは、ようやく外で待たせていた関韋と合流する。


「伯蓮様! 朱璃殿! ご無事で何よりです」

「ご心配をおかけして、すみませんでした……」


 伯蓮の外套を身に纏い抱えられてきた朱璃と再会して、関韋も肩を撫で下ろした。

 自らの足で歩けないほどの出来事があったのだと推測した関韋は、伯蓮に向かって両手を差し出す。

 皇太子にいつまでも侍女を抱えさせるわけにはいかないという、侍従としての気遣いだった。

 しかし、伯蓮は無言のまま首を横に振って微笑みで応える。

 “このままでいさせてくれ”そう訴えていると感じて、関韋は仰せのままにと身を引いた。

 すると、伯蓮の背後にいた一人の男性に気がつく。


「ん? この者は一体……」


 関韋は男子禁制の後宮から出てきた、やけに美しい空色髪をした流を指差して軽蔑の眼差しを向けていた。

 あやかしが視えない人も、人間の姿をしたあやかしはどうやら見えるようで。

 朱璃と伯蓮はその新事実に、互いを見合って驚いた。

 すると、門番の二人も不審な男に向かって槍を向ける。


「おいおい、槍は洒落にならねぇって」

「心配ない。この者は……その、後宮に来たばかりの宦官だ」


 伯蓮の言葉に、ならば問題ない。と槍を納めた門番たち。

 しかし流は腕を組んで、今の伯蓮の言い逃れには納得していなかった。

 実際には宦官ではないし、むしろ美女が大好きな男(あやかし)だったから。

 そして関韋も同じく、伯蓮の上衣を着ている流について少し納得いかない表情をしていたのだが。

 ここではあえて言及しないことにした。


「関韋。先ほど尚華妃に謹慎処分を言い渡した。周知を頼む」

「それはまた急な……何があったのですか?」

「詳細は後ほど。こちらには流を供につけ先に蒼山宮に戻っている」

「かしこまりました」


 関韋は官庁街のある外廷に向け、夜間にもかかわらずその一報を知らせに走った。

 明日以降、出勤して知らせを聞いた豪子が伯蓮に抗議してくるだろう。

 その最終決戦を前に、同じく志を共にする貂々と、その陰謀を打ち砕かなければならない。

 そうしないと、伯蓮の恋心はいつまで経っても実らせることができないから――。




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