第14話 正体




 全員で廟を出るとすでに三更の寒空が広がっていて、急ぎ門へと向かう。

 そんな中、一つ気になることを胸中に抱えた伯蓮が、並んで歩く貂々に問いかけた。


「先ほど鮑泉様の話をしていた時、貂々は皇后の自作自演の件を語っていたな」

「……ああ」

「それは侍従の手記には書かれていない内容なのだが、一体どこで知ったのだ?」


 突如冷たい北風が吹いて、皆の髪を靡かせた。

 王宮に保管されている歴史書には、暗君として記録された第十代皇帝の鮑泉。

 しかし鮑泉の侍従が書いた手記には、そうなるに至った経緯と理由が記されている。

 鮑泉の本当の姿を学んだ伯蓮だけが、知ることができた真実。

 そんな手記にすら書かれていない内容を話した貂々に、ずっと違和感を覚えていた。

 理解が追いつかない朱璃が、困惑しながら尋ねる。


「……伯蓮様、どういうことですか?」

「皇后が自白したという話は、鮑泉様が一番信頼している侍従さえも知らなかった真実だ。それを貂々は知っていた」


 ではなぜ、あやかしの貂々がそのことを知っているのか。伯蓮はその可能性を考えた。


「皇后の“自作自演”という自白を貂々も聞いたのではないか? それは、二百年前の宴の場に貂々が存在していたことになる」


 言いながら立ち止まった伯蓮は、貂々を正面にして沈黙した。

 普通の人間には視えないあやかしの姿で、たまたま鮑泉と皇后の会話が聞こえてきたのか。

 それともあやかしになる以前の、人間だった頃に聞いたのか。

 伯蓮の見解に朱璃は不安な表情を浮かべていたが、流は顎を触り興味半分な雰囲気で返答を待った。

 すると俯いたまま微動だにしない貂々が、三日月を背に顔を上げた。


「……少々、喋りすぎたようだな」

「いいえ。おかげでまた一つ真実を知ることができました。……“鮑泉様”」


 伯蓮が最後に呼んだ名にピクリと反応した朱璃は、馴染みのあやかしの顔を見る。

 じっとしたままの貂々の姿と、先ほど見た塑像の鮑泉の凛々しさを思い出して声を震わせた。


「……鮑、泉様? 貂々が、鮑……」

「なんだ朱璃。昼寝しているばかりの私が皇帝だったとは想像できないか?」

「え、え……?」


 あやかしはみんな“元人間”。

 そう教えてくれた貂々の正体が、なんと二百年前の第十代皇帝、鄧鮑泉だと明かされた。

 今まで中庭で仲良くしていたあやかしが、とてつもない高貴なお方だったとは。

 朱璃は血相を変え、伯蓮に抱き抱えられたまま何度も頭を下げた。


「ひぇぇ数々のご無礼! 誠に申し訳ありませんでしたぁぁ!」

「朱璃、いつも通りで良い。今はもうただのあやかしなのだから」

「いや、でも……鮑泉様と知っていつも通りなんて、無理……」


 貂々が昼寝中にしつこく話しかけたり、毛並みが綺麗だからとよく撫でたりしていた。

 それが元皇帝陛下だったというのだから、恐れ多くて顔を上げられない。

 すると貂々は、朱璃を見上げながら安心させようと語りはじめる。


「私は毎日、朱璃の雑談を聞くのがなかなか楽しみだったぞ?」

「……え?」

「それに撫で方も優しい。あやかしへの敬意を感じられて、心地がよかった……」


 少し照れくさそうに、貂々が口元をもごもごさせた。

 貂々が今まで話さなかった分の秘めた思いを受け取った朱璃は、感動で瞳を潤ませる。

 その正体が鮑泉だとしても、あやかしの貂々として接してほしいと言われては、そのように努力はしよう。

 朱璃の緊張が少しだけ解けて、ゆっくりと頷いた。

 すると、二人の仲に嫉妬のような危機感を覚えた伯蓮が、無理やり会話に入ってくる。


「では私も、先祖の鮑泉様としてでなく貂々として接しよう」

「む……同じ皇族から言われると少し複雑だな」

「これからもご指導ご鞭撻をよろしく頼むぞ、貂々」


 伯蓮は爽やかな笑顔を浮かべていたが、先ほどまでの敬語をやめる。その子供じみた牽制を、貂々はなんとなく察していた。

 朱璃に優しく扱われている貂々に嫉妬したのか。貂々の言葉に下心でも感じたのか。

 いずれにしても、まだまだ青い皇太子であることに変わりないなと鼻で笑う。

 ただ、今後も朱璃を傍に置いておきたいのなら、皇太子としての課題が山積みだった。

 次期皇帝でもある彼が、自分と同じ道を歩まないように。そんな願いを胸に抱いて、貂々が真意を語る。


「私がずっと華応宮の中庭にいたのは、尚華妃を監視するためだった」

「それでいつも中庭にいたんだ? どうして尚華妃を……?」

「朱璃には難しい話だが、伯蓮にはこの意味をわかってもらわないと困る」


 そう問われた伯蓮は、少し考えるように沈黙して静かに頷く。

 尚華が入内したのと同時期に、中庭の木の上に現れたあやかしの貂々。

 てっきり尚華見たさにやってきたのかと、朱璃は思っていたけれど、どうやらもっと重大で複雑な事情を抱えていたようだ。


「もしかして……初夜の日に部屋へ侵入したのも、尚華妃をずっと威嚇していたのも……」

「全部計画していたことだ」


 冷静に説明する貂々に、伯蓮だけは自分の憶測と答え合わせをしているように聞き入っていた。

 そして一つの答えに導かれる。


「貂々も気づいていたのだな、宰相の陰謀を」

「え! 陰謀⁉︎」


 思わず大きな声を出してしまった朱璃が、すぐに自分の口を両手で塞ぐ。

 そして貂々は、深刻な表情でコクリと頷いた。

 現在宰相として皇帝の政を補佐する重要人物、胡豪子に陰謀の疑いがあった。

 政権を揺るがすほどの重要問題が、朱璃の知らないところで進んでいた。


「その手始めとして娘の尚華妃を入内させ、やがて皇后にのし上げようとしていたのだ」


 二百年前の、当時の宰相と同じような手法。

 豪子は自分の娘を利用して、皇帝を意のままにしようと企んでいたという。


「確かに、伯蓮様と尚華妃の婚姻は政略的なものを感じていましたけど。あくまで良好な関係を築くためだと……」

「周囲がそう思うのも仕方ない。そうして皇族と臣下は長い歴史の中で信頼関係を築いていたのだから」


 だからこそ四百年も続く鄧王朝が滅ぶことなく、皇族と臣下が協力して良い国づくりを心がけられた。

 しかし、その長い歴史の中で受け継がれていく因習は、鮑泉のような悲劇を生むこともある。

 そして今回は、大きな野心を持ちはじめた豪子が密かに陰謀を企てていた。

 胡一族の血を引く皇帝を誕生させ、いずれ鄧王朝を乗っ取ろうと――。


「豪子は二代に渡り皇帝に仕えている優秀な宰相だ。しかし近年、私利私欲で荒稼ぎをしているという話もある」

「正体を現してきた、ということでしょうか?」

「元々野心家だったのだろう。現帝であり、今は床に臥せっている父上も豪子に全てを任せている始末」


 もはやどちらが皇帝かわからないな、などと皮肉を口にする伯蓮。

 それでも豪子の手のひらで転がされている父を救いたい。

 そのため、豪子の行動を侍従の関韋に見張ってもらうこともあったが、なかなか証拠が掴めず困っていた。

 すると貂々が、何やら得意げな顔をしながら口を開く。


「なぜ私が最近、中庭から姿を消していたと思う?」


 問われて、朱璃と伯蓮は互いの顔を見合わせて考える。

 しばらく中庭で貂々の姿を見なかった。それも何か関係があったらしい。


「初夜を妨害した次の目的は豪子の監視だった。外廷に赴き、奴の隠蔽工作を見張っていたのだ」


 普通の人間には視えないあやかしという立場を利用して、貂々は豪子の仕事場に潜入していた。

 流といい貂々といい、あやかしの自由な行動に、人間の朱璃と伯蓮は振り回されっぱなし。

 ただ、監視の中で“ある重要な証拠”を掴んだ貂々は、伯蓮にある指示を出した。


「今回の尚華妃の件で、近々豪子から呼び出される」

「……わかっている」

「その時は、豪子に勝てる証拠を持って私も駆けつけるから、絶対に負けるな」


 強く念押ししてきた貂々は、突然近くの塀にひょいと乗り上げた。

 遠くに見えてきた後宮の正門には向かわず、「じゃあな」と言い残して姿を消した。

 今、宰相の陰謀で政権が脅かされようとしている。

 そんな中、かつての暗君で第十代皇帝の鮑泉が、国を救おうと暗躍していた。

 姿は違えど、国を思う気持ちはあやかしになっても変わらない貂々に、伯蓮は改めて憧れの心を抱く。


 *


 正門に辿り着いた朱璃たちは、無事に後宮を出ることができた。

 外で待たせていた関韋とも、ようやく合流を果たす。


「伯蓮様! 朱璃殿! ご無事で何よりです」

「ご心配をおかけしてすみませんでした……」


 伯蓮の外套を身に纏い、横抱きされていた朱璃がすぐに謝罪した。

 とにかく無事で帰ってきたことに、肩を撫で下ろした関韋も珍しく口元を緩ませる。

 そして、歩けないほどの出来事があったのだと推測して、伯蓮に向かい両手を差し出す。

 皇太子にいつまでも侍女を持たせるわけにはいかないから、朱璃を受け取る気でいた。

 しかし、伯蓮は無言のまま首を横に振り、余裕の笑みで応える。

 “このままが良い”と訴えられて、伯蓮の気持ちを察した関韋は仰せのままにと身を引いた。

 その時、伯蓮の背後にいた一人の男性の存在に気づく。


「ん? この者は一体……」


 関韋はやけに美しい空色の髪をした流に、軽蔑の眼差しを向けた。

 なぜなら、男子禁制の後宮から平然と出てきた不審な男だったから。

 あやかしが視えない人も、人間の姿をしたあやかしは見えるらしい。

 すると、門番の二人も不審な男と判断して、流に槍の先端を向ける。


「おいおい、槍は洒落にならねぇって」

「心配ない。この者は……その、後宮に来たばかりの宦官だ」


 伯蓮の言葉を聞いた門番たちは、ならば問題ないと槍を納めた。

 しかし、関韋だけは見覚えのない宦官に疑念が湧く。

 ただ伯蓮が何も言わないので、あえて言及はしなかった。


「もっとマシな言い逃れしろよな〜」


 宦官と言われて不満が溜まる流は、腕を組んでぶつぶつ文句を言っていた。

 実際には宦官ではないし、むしろ美女が大好きな男の中の男だと本人は思っている。

 そんな流を横目に、伯蓮は関韋に大事な報告をした。


「先ほど尚華妃に謹慎処分を言い渡した。周知を頼む」

「それはまた急な。何があったのですか?」

「詳細は後ほど。私たちは先に蒼山宮に戻っている」

「かしこまりました」


 拱手した関韋は、夜間にもかかわらずその一報を知らせに走り出した。

 明日以降、出勤して知らせを聞いた豪子が伯蓮に抗議してくるだろう。

 その最終決戦を前に、同じく志を共にする貂々と陰謀を打ち砕かなければならない。

 そうしないと、伯蓮の恋心はいつまで経っても実らせることができない。




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