第五章 皇太子の憧れ

第13話 悲恋



 扉を壊してしまった書庫から退室した三人と、あやかし一匹。

 伯蓮に抱き抱えられる朱璃は、その腕の中で大人しくしつつも緊張気味な表情をしていた。

 その後ろをついて歩くのは、実は人間と話せることが判明した貂々と、今だけ人間の姿となった流。

 するとこの建物の中心に、大幕を掛けられた何かの存在に流が気づく。

 伯蓮と同じ背丈ほどの大きな物体だった。


「なんだあれ、確認してみよっと」

「え、おい流!」


 伯蓮の制止も聞かず、幕を掴んだ流は好奇心いっぱいの笑みを浮かべて、思い切り引っ張った。

 そこに突如現れたのは、仏座に佇んでいる一つの塑像。

 目鼻立ちの整った顔と表情はとても凛々しく、冕服を着用しているところを見るとおそらく皇帝。

 鮮やかに着色されていて痛みも少なく、頭には本物の冕冠が被せられていた。

 今の伯蓮にとても似ているように感じた朱璃が、顔を上げて確認しようと瞳に映す。

 すると、言葉を失い瞠目する伯蓮が歩みを止めた。


「……伯蓮様?」

「あ、すまない。少し……驚いて」

「立派な塑像ですよね。知っている方ですか?」


 何気なく朱璃が問うと、視線を落とした伯蓮は一つ瞬きをしたのち、その人物の名を口にした。


「……鄧王朝第十代皇帝、とう鮑泉ほうせん様だ」

「第十代皇帝……ということは、二百年も前の皇帝陛下⁉︎ こんなに美しいお方だったなんて」

「そうだな。私も簡易的な肖像画と記録書で読んだだけだが――」


 すると伯蓮の言葉を遮るように、今まで沈黙していた貂々が詳細を話しはじめる。


「政治に関心がなく臣下任せで、酒と女遊びにうつつを抜かしていた暗君だ」

「え、そうだったの⁉︎」

「おかげで子孫繁栄には役立ったが、後続者争いで宮中は不穏が続いた」

「でもそれは鮑泉様のせいでは……」

「政治を任せきりにしていた臣下たちは賄賂に手を出し、国の財政を危機に陥れたのだ」


 言いながら貂々は怒りと悲しみに満ちた表情で、鮑泉の塑像を睨む。

 こんなに感情を表に出す貂々を見るのは、初夜妨害以来だと感じた朱璃が少し不思議に思っていると。

 同じように考えていた伯蓮が、不意に問いかけた。


「詳しいな、貂々……」

「……暇だったから王宮の歴史書を読んでいただけだ」

「しかし、それはあくまで後世に残された王宮都合の評価だ」

「なに?」

「私が知っている鄧鮑泉という皇帝は、その侍従が残した極秘の手記から学んだもの」

「……侍従……?」


 伯蓮がまだ後宮で暮らしていた幼い頃、どこからかやってきたあやかしが咥えていた古びた手記。

 それを聞いた貂々はひどく驚愕したように、目を丸くしたまま言葉を失う。

 その詳細を知りたげな様子を察した伯蓮は、自分が知っている鮑泉という皇帝のことを語りはじめた。



  ***



 今から二百年前、鮑泉が第十代皇帝となる以前の出来事。

 十八歳の皇太子だった鮑泉には、密かに想いを寄せる姚羌ようきょうという同い年の侍女がいた。

 やがて二人は身分差を超えて慕い合う仲となり、ついに鮑泉は姚羌を妃にしたいと父親である当時の皇帝に申し出る。

 すると皇帝はある条件を出してきた。


『宰相の娘を妃として迎え、のちの皇后とすること』

『そんな、まだ世継ぎもなく即位もいつになるか不明だというのに――』

『昔から皇后は格式が求められている。お前も知っているだろう』

『ですが姚羌はとても誠実で深慮深く――』

『フン、農民の出の皇后など聞いたことがないわ。お前は鄧王朝の歴史に傷を作るつもりか』

『……父上……』


 つまり政略結婚を強いられた鮑泉は、身分の低い出の姚羌を妃にしたところで皇后にすることはできず。

 正妻として臣下や国民に認めてはもらえないのだと悟る。

 しかし姚羌は、鮑泉のそばにいられるなら妾で充分だとして入内を決意。

 渋々条件を飲んだ鮑泉は、姚羌を貴妃の位に置き宰相の娘を皇后候補として迎えたものの。

 娘の宮に赴くことはなく姚羌の宮ばかり通い、寵愛し続けていた。

 そうして三月が経った頃、宰相の娘が体調を崩して寝込んでしまったという知らせがやってくる。

 見舞いに向かった鮑泉はそこで、娘が少量の毒を盛られたことによる体調不良であると告げられた。

 そしてその策謀の犯人が、貴妃の姚羌だと報告を受ける。


『姚羌が? そんなはずがない』

『わたくしに恨みを持つ者は、この後宮内に姚羌妃だけです』

『証拠もないのに何を――』

『現にわたくしはこうして倒れました! それが証拠です!』


 そう言いがかりをつけて、捕らえるよう騒ぎ立てる宰相の娘を宥める鮑泉。

 しかし噂は瞬く間に広がって、宰相や皇帝の耳にも届いてしまう。

 根拠も証拠もない中で、宰相の娘の証言だけが信用される現実。

 どう足掻いてもこの国の皇帝の決断は絶対で、重要参考人という名目で姚羌は牢に閉じ込められた。

 そして皇帝は、姚羌に心酔している鮑泉が証拠隠滅に加担するのを恐れて、姚羌との面会も禁止する。

 鮑泉はそれから毎日、皇帝と宰相、そして宰相の娘に抗議した。


『姚羌はそんなことをする人間ではない! 何者かが陥れようとしているのです!』

『お前はあの性悪女に騙されているのだ。地位欲しさに毒を盛るとは――』

『その毒の出どころを調べてください! 真犯人は別にいます!』

『くどいぞ鮑泉。次期皇帝となるお前が冷静さを失っては国は成り立たぬ』


 どの口が言っているのかと反論したかった鮑泉だが、ここはグッと言葉を飲み込んだ。

 実の父とはいえ皇帝に刃向かえば処罰される。

 そうなれば姚羌を救ってやれないと察し、鮑泉は耐えに耐えた。

 しかし新たな重要参考人はなかなか見つからず、姚羌の疑いは晴れないまま――。

 捕らえられて、二月が経ってしまった。

 いつも信頼できる侍従に頼んで、牢で過ごす姚羌の様子を知らせてもらっている鮑泉。

 すると、ついに姚羌は牢の中で嘔吐を繰り返したり、ぐったりする様子が増えてきたらしい。

 精神的にも肉体的にも苦しい牢生活は、姚羌だけでなく鮑泉にとっても耐え難く。

 恥を承知で、宰相の娘に「姚羌を許してはくれないか」と懇願した。

 すると、返ってきた言葉は――。


『姚羌妃を王都柊安しゅうあん、いえ国外追放してくださるなら許して差し上げます』

『……後宮だけでなく国を去れというのか』

『殺されかけたわたくしは、一生会いたくありませんので』

『っ……』


 今の皇帝は宰相の言いなり。

 そんな独裁的宰相の娘は、それを知っていて皇太子である鮑泉に物申す。

 強気な態度と駆け引き上手は、父を宰相に持つだけあって非常に用意周到で腹立たしい。

 しかし、このままでは姚羌の命が危ないと知っている鮑泉は、苦渋の選択を迫られた。

 貴妃の位を剥奪し、国外追放することで姚羌はこの世のどこかで生きていける。

 この手で幸せにしてやれないことを悔やみながらも、今の自分では皇帝どころか宰相にも勝てない。

 鮑泉は今の己の無力さを痛感しながら、姚羌との別れを覚悟した。


 それから十日後。

 国外追放の命が下った姚羌は、ようやく牢の外に出て間も無くその足で後宮を去る。

 見送りに行けない鮑泉は、侍従に金子と文が入った小包を託し、姚羌に渡すよう頼んでいた。 

 そして自分の宮の最上階から、王宮の出入り門の方角を眺める。

 姚羌を妃にしたことで、一連の騒動に巻き込んでしまった責任を感じつつ、これからの幸せを願っていた。

 この時の鮑泉が、人知れず涙を流していたということだけは、侍従の手記には記されていない。



  ***



「……とても悲しいお話です」

「鮑泉様は最も愛する人と別れを経験し、次第に気力を失っていったと」

「そうなりますよ、鮑泉様も姚羌様もかわいそうです」


 二百年前の鮑泉の悲恋を聞いて、朱璃は悔しそうに唇を噛んでいた。

 真相はわからなくても、あまりに一方的な処罰に納得ができない。

 そんな思いが表情に現れていた。

 しかし伯蓮だけは、鮑泉のその状況がよく理解できる。


「結局、皇太子といえど政の駒、利益の駒に利用される無力な人間なのだ」

「伯蓮様……」

「だからこそ鮑泉様は、皇帝に即位できれば力を得られると思っていた」

「……それで第十代皇帝に……?」

「ああ。一年後、鮑泉様は皇帝となられた。しかし即位後の侍従の手記には……」


 突然、躊躇するような素振りをみせた伯蓮に、朱璃も首を傾げてしまう。

 きっと言いにくいことが記されていたのだろうと思っていると、伯蓮の代わりに貂々が語り出した。


「鮑泉が皇帝となったことで、宰相の娘は念願の皇后の座に就いた」


 しかし――。

 その祝いの宴の場で、ついに皇后が鮑泉に耳打ちで暴露してきた。

 あの事件は、最初から毒など盛られていなかった。

 全てが皇后の自作自演だった――と。


「え⁉︎ そんな……」


 衝撃を受けた朱璃が、珍しく憤りを覚えて瞳を潤ませる。

 貂々の話を聞いた伯蓮は、続くようにその後の鮑泉について語った。


「皇后への怒りよりも、まずは国外追放となった姚羌を呼び戻すため、鮑泉様は侍従に捜索を依頼した」

「そうですよね。濡れ衣だったと判明しましたからもう一度……」

「隣国を探し始めて一年。ようやく邑のはずれで姚羌様を見つけた侍従だったが、手記にはこう記されていた」


 その一文を脳裏に蘇らせて、胸が締め付けられる感覚に陥った伯蓮。

 初めて手記を読んだ時、十歳の伯蓮はそこまでの感情は湧かなかった。

 それは単に幼かっただけで、成長し経験を積んだ今だからこそ沸き立つ感情がここにある。


「“姚羌様は相変わらずお美しかった。ただ……その傍らには立つのを覚えたばかりの幼な子と、薪を抱えた温厚そうな男の姿”」

「え……」

「鄧北国を追放されてから二年。新たな家族と幸せに暮らしていた姚羌様に、侍従は声をかけずに立ち去ったらしい……」


 王宮に戻った侍従は、鮑泉に事実を伝えようか迷った。

 しかし、全てを知りたいと本人が望んだため、目撃したままを包み隠さず報告する。

 姚羌の現在を知った鮑泉は、ただただ悲しげに笑っていたという。

 それからの鮑泉は、政は宰相の思うままに運ばせ、毎晩酒を飲むようになってしまった。

 後宮への入内を希望する者は皆快く迎え入れ、寂しさを埋めるように宮にも通ったという記録がある。

 酒に溺れ女に溺れた、歴代皇帝の中で暗君と呼ばれる鮑泉の、世間には知られていない悲しき恋の物語。


「しかし酒の飲み過ぎが祟ったのか、鮑泉様は四十代の若さで……」

「……どうかあちらの世界では穏やかに過ごせていると良いですね」

「そうだな。鮑泉様は心優しいお方だったのだと思う。私の密かな憧れ、十代皇帝陛下……」


 そう言って目を閉じ祈りを捧げる伯蓮に、朱璃も塑像に向かって手を合わせた。

 二人の姿を横目に、貂々も黙って鮑泉の塑像を見上げる。

 幕を被せられ、忘れ去られていた塑像が今、少しだけ微笑んだように見えた。


「さあ、そろそろ廟を出ようか。流は幕を元通りに」

「わかってるよ。しっかし皇帝ってなんだか孤独だなー」


 言いながら塑像に幕を掛け直した流に、伯蓮は眉を下げて悲しげに微笑む。

 そう、皇帝も皇太子も、皆孤独だ。

 だからこそ、その宿命にある伯蓮は今のしきたりや習慣を変えていきたいと考える。

 鮑泉の経験した悲劇が、よもや自分にも当てはまってくるとは、伯蓮も予想していなかったから。


(いや、私はまだ朱璃とはそこまでの仲ではないが……)


 と思いつつ、特別な感情の芽生えは自覚している伯蓮が、そっと視線を落とす。

 すると自分の腕に抱き抱えられるままの朱璃は、すっかり安心した様子で自分の吐息を両手に当てていた。

 このまま想いだけが先走っても、鮑泉の時のような悲劇を招き兼ねない。

 この恋路を突き進むためにはまず、戦わなければいけない者の存在を伯蓮は理解していた。



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