第12話 再会
書庫の一番奥の隅には、人間離れした空色の髪をうなじで束ねる見知らぬ男。
そしてその男に背後から抱き抱えられる朱璃が、眠るようにぐったりとしていた。
「朱璃! 朱璃!」
すぐに駆け寄った伯蓮は、その冷たい頬に触れながら名前を呼び続ける。
最悪の事態が一瞬よぎったものの、すぐに朱璃の小さな寝息が確認できて肩を撫でおろした。
唇は青白く、顔色も良くないが呼吸をしていることに安堵する。
問題は意識のない朱璃を抱き抱えていた、この不審な男。
「お前は一体っ、いや、まず侍女をこちらに渡してくれないか」
伯蓮はたくさんの質問を我慢して、朱璃の引き渡しを願い出た。
すると不審な男は突然、伯蓮の首筋あたりの匂いを嗅ぎはじめて、軽蔑の眼差しを向けてくる。
「おいおい、催淫臭を纏った男に女を渡すなんて、無理に決まってんじゃ〜ん!」
「なっ、これは、飲まされたのだ!」
「まあどっちでもいいけど、その状態で女の体に触れない方がいいよ」
「くっ……」
言われて何も反論できなくなった伯蓮だが、決して朱璃をどうこうしようなんて思っていなかった。
しかし、完全に火照る症状が治まったわけでもなく、体内に薬が残る以上は触れない方がいいのかもしれない。
ようやく発見できたのに、冷たくなった体を暖めてあげることもできないとは――。
不審な男の勝ち誇ったような表情を前に、伯蓮は拳を握り締めて悔しさに耐えた。
しかし、その隣にちょんと座った貂々が、冷静な声色と顔で不審な男に指摘する。
「お前こそ、全裸のくせに何を言っている」
「え……全……えっ……⁉︎」
「あ、バレた? だって普段から服なんて着せてもらってないもん」
男の顔ばかり見ていた伯蓮は戸惑い、不審な男は頭を掻いて照れ笑いを浮かべている。
こんなふざけた不審な男の指示など聞くか!という気になった伯蓮が、朱璃の体を力ずくで奪った。
すると、朱璃を抱き抱えている時には確認できなかった裸体が、今ようやくお披露目される。
「こ、こんな変態に朱璃を触れさせていたなんて……!」
「はあ⁉︎ 違う、俺は変態じゃない! 全裸は仕方ないんだよ!」
「朱璃、私だ。目を開けてくれ」
不審な男の主張を無視して、ひたすら朱璃に呼びかけた。
伯蓮の腕の中に収まった朱璃は、その声に刺激されてピクリと瞼を動かす。
そしてゆっくりと目を開けて、最初に見えた伯蓮の心配そうな表情に声を発した。
「……伯蓮、様……心配ばかりかけて、すみません……」
「いいんだ。私こそ、こんな目に遭わせてしまってすまなかった。痛むところはないか?」
「は、はい……寒気はしますが、先ほどよりは良く――」
そんな朱璃に自分の外套を羽織らせた伯蓮は、更に暖めるようその上からキツく抱きしめた。
突然の密着度に朱璃も一瞬驚くが、恥ずかしさより安心感が勝ってしまい、伯蓮の襟元をキュッと握る。
その仕草がとてつもなく伯蓮の心を刺激して、一気に愛おしさが増加するとドキドキがおさまらなくなった。
しかし、初々しい反応を傍観していた不審な男が一言、二人の再会に水をさす。
「変なこと考えんなよ」
「……なっ! 考えてなどいない!」
「まだプンプンにおってんだからなー」
その声を聞きハッとした朱璃は、意識を失う前に手足の縄を解いてくれた人物だと気づく。
やっとその姿を確認できると顔を上げた途端、廟内に悲鳴が響き渡った。
「キィヤアアアア! ななななんではだか!」
「朱璃までなんだよ! せっかく助けてやったのに!」
「前を! せめて前を隠してくださいぃぃ!」
真っ赤にした顔を背ける正常な反応の朱璃に、納得しかない伯蓮はお返しと言わんばかりに不審な男を軽蔑の眼差しを向ける。
こんな寒い夜に、一体どういう理由があって全裸なのか。
普段も服を着ていないとは、この男はまともな人間なのか。
男子禁制の後宮内であってはならない事態が発生し、伯蓮が頭を悩ませていた時。
朱璃が大事なことを思い出して、伯蓮に共有した。
「伯蓮様! ここで流を発見したんです! 会えましたか⁉︎」
「え! 流が⁉︎ 私はまだ見ていないが……」
「また棚の下に隠れちゃったのかもしれません……!」
命の危険にさらされた自分の体のことよりも、流について必死に訴える朱璃。
底知れぬ優しさと心の清さを感じた伯蓮は、自然と笑みが溢れてしまった。
そしてあたふたする朱璃の手を取って、優しく落ち着かせる。
「わかった。朱璃の体温が戻ったら共に探そう」
「あ、ありがとうございます……」
いつになく近距離に伯蓮を感じるせいか、朱璃の心もざわざわと騒がしい。
すると、ついに不審な男が正体を明かしはじめた。
「その“流”とは、俺のことだ」
「…………え?」
「だからー、朱璃の手足の縄を解いて助けがくる間ずっと人肌で暖めていたのは、おーれ!」
わけのわからない話と状況に、朱璃と伯蓮は顔を顰めた。
しかし同じあやかしである貂々だけは、流だと名乗る男の話す意味がわかっている。
そして、もっと上手に説明してやれとも思っていた。
「私たちあやかしは“元人間”なのだ」
「て、貂々⁉︎ 喋れるの⁉︎」
久々に会えた貂々に元気が出てきた朱璃だが、話している姿に口を開けたまま固まった。
今までどこにいたのか、何をしていたのか。
聞きたいことはたくさんあったが、あやかしが元人間という驚きの情報に耳を傾ける。
「天の神の監視の下、あやかしは人間界で生活できている」
「天の神……」
「故に人間を脅かすあやかしは天の神によって処罰され、正しいあやかしにはご褒美が」
「それは、どんなご褒美?」
「あやかしが流星へ届けた願い事を叶える。というものだ」
つまり流れ星に願い事をしたあやかしは、その願いを天の神に叶えてもらえるという話だった。
言葉を話したいと願うあやかし。飛べるようになりたいと願うあやかし。
もちろん、願い事の中には叶えられないものもあるようだが、それは天の神の匙加減で決まる。
その話を聞いた伯蓮は、自責の念に駆られながら流に問いかけた。
「そこで流は“人間の姿になりたい”と願ったのだな?」
「そうだよ。あやかしの姿のままじゃ暖められないし、こういう時は人肌が良いって聞いたことが」
「流星なんて、見ようと思って見えるものでもないのに……」
一日の流星の数は計り知れず、だが実際に目に見えるものはごく僅かな上に一瞬の出来事だ。
流星を見た瞬間、自分の叶えたい欲望よりも朱璃を助けたいと思ってくれた流だから、今の人間の姿がある。
そのことに感謝の気持ちでいっぱいの伯蓮は、自身が着ていた深緑色の上衣と飾りの腰帯を流に渡した。
「誤解してすまなかった。朱璃を助けてくれて、感謝する……」
「もういいよ。伯蓮にはいつもフカフカの
「……しかし、あの可愛らしい流の正体が、私と歳の近い男だったとは……」
両手のひらに収まるほどに小さく、空色の毛並みが美しい流。
つがいの星と共に部屋で面倒を見ていただけに、衝撃を受けるのは仕方ない。
上衣を着てようやく普通の男として見れるようになった流に対し、伯蓮は複雑な心境を抱えた。
そして朱璃の無事を確認し、流も発見できた今だから聞ける疑問を口にする。
「それにしても、流はなぜ私の部屋からいなくなったのだ?」
「あーそれね。知りたい〜?」
心配していた伯蓮の気も知らず、行方不明だった理由を流は意味深に勿体ぶる。
それに関してはさすがの伯蓮も苛立ちを覚えたが、流の行方不明がなかったら朱璃との出会いはなかったとも思っていた。
侍女としての昇進も、あやかし捜索係の任命も考えなかったかもしれない。
何より、特別な感情を抱くまでに大切な存在になることも……。
朱璃との繋がりは、全て流の行方不明から始まった。
「……俺、好きなんだよねぇ」
「え、何が好……?」
「美女」
「…………は?」
耳を傾けていた伯蓮は眉を顰め、朱璃はどんな顔をしたらいいのか迷っていた。
そして貂々は、大きなため息をついて呆れ果てている。
「この国一美しいといわれる、あの胡尚華が入内するって聞いてどうしても一目見たかったんだ!」
「そ……それで蒼山宮を抜け出し、後宮に向かったと……」
「だけど胡尚華の宮がわからなくて、他のあやかしと会話もできないから迷子になっちゃって。帰るに帰れなく」
「……つがいの星が聞いたら泣くな」
今頃、私室で大人しく眠っている星を哀れに思った伯蓮。
そして流がそれほどに見てみたかった尚華はおそらく、もう後宮にはいられなくなるだろう。
その父、宰相である豪子もまた、今回の件を罪に問いたいところだが。
果たして証拠となるものは見つかるだろうかと、伯蓮は考える。
しかし、ひとまず今は――。
「……朱璃、蒼山宮に帰ろうか」
「はい、そうですね」
顔色が徐々に回復した朱璃は、伯蓮の言葉に笑顔で応えた。
そして自分の足で立ちあがろうと床に足裏をつけた途端、なぜかふわりと宙に浮く。
朱璃の体は伯蓮に抱き抱えられたまま、運ばれようとしていた。
「伯蓮様っ⁉︎ 自分で歩けますので!」
「無理をするな。それに朱璃を抱えている方が暖かい」
「ええ⁉︎ あ、この外套もお返します! 伯蓮様が風邪を引いてしまいますから!」
するとほんのり赤い頬をさせた伯蓮が、抱き抱える朱璃を愁色の瞳で見つめて答えた。
「私がそうしたいのだ。嫌かもしれぬが、しばし我慢してくれ……」
「っ……!!」
伯蓮はこの状況を、朱璃に我慢させていると思ったらしい。
しかし我慢というほどの苦痛は一切なく、むしろ伯蓮の体調を心配しての発言だった。
今も顔を紅潮させて、熱でもありそうな様子は朱璃にもわかっていたから。
「……い、嫌ということでは、ありません……」
「そうか。なら良かった」
安心した伯蓮が落とさないように朱璃を抱き抱え直し、そしてニコリと嬉しそうな笑顔を咲かす。
思わず胸が高鳴った朱璃は、慣れない状況に気持ちが追いつかない一方で、徐々に異性を意識するような感覚が芽生えてきた。
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