第11話 発見



 ドン!

 「きゃっ……!」


 無理矢理口付けしてきた尚華の体を、伯蓮はやっとの思いで突き飛ばした。

 呼吸は乱れたままだが、拒否できる意識を保てている。

 しかし、体中が未だに熱くクラクラするのは、いつになれば治るのか見当がつかない。

 とりあえず円卓に置かれた自分の筒杯に手を伸ばした伯蓮は、中に入っていた水を一気に飲み干した。


(これで少しは薄まると良いのだが……)


 その隙に尚華は起き上がり、特にショックを受けている様子もなく、伯蓮の背後から思い切り抱きついた。

 突き飛ばされても、拒否されていても、伯蓮に催淫効果がある内が好機と思って果敢に攻める。


「まだまだ、効果はこれからですわ」

「尚っ……! 離れて、くれ……!」

「伯蓮様は何もしなくて良いのです。わたくしがお慰めいたしますから」


 ふらついた伯蓮が再び床に手をつくと、そのまま押し倒されてしまった。

 そして馬乗りになる尚華に企み顔で見下ろされ、屈辱ともいえる体勢が伯蓮の心を引き裂いていく。


「服を脱がせていきますわね」

「っ、触るな……!」


 襟元に伸びてきた尚華の腕を、伯蓮は咄嗟に掴んで睨み返した。

 しかし、今まで興味さえ持たれなかった皇太子がやっと自分を見てくれる上に、感情を露わにしている様が尚華にとっては褒美そのもので、喜びを感じていた。


「ふふ。そろそろ抵抗する気力もなくなる頃でしょう」

「な、に……⁉︎」


 すると徐々に指先に力が入らなくなり、尚華と睨み合うことを無意味だと思いはじめた。

 この思考さえも催淫効果だとしたら、本当に汚い手法だと身をもって強く思った伯蓮。


(……随分と、舐められた皇太子だな……)


 人の気持ちを無視し、力尽くで事に及ぼうとする尚華も。

 尚華を利用して存分に操り、己の野心と策略を優先する宰相の豪子も。

 皇太子だからと一線を引き、かといって自由は奪っていく周囲の従者たちも。

 そんな人間はみんな伯蓮にとって敵同然だったが、一番の敵はそれでも何も変えられない自分自身。

 だから今から変わろうとしていたのに、その決断はまたしても豪子と尚華の手によって阻まれる。

 ふっと目の前が真っ暗になった伯蓮は瞼を閉じ、抵抗していた腕は尚華から静かに離れた。


「あら? やっと諦めてくださったのかしら?」


 何も言い返さない伯蓮の襟元に、尚華は手を伸ばしてゆっくりと侵入させていく。

 苦しそうに呼吸する伯蓮を楽にさせるためには、昂る欲望の解放しかない。

 そう思うと自然と笑みが溢れる尚華。

 これで子ができれば胡一族の地位も確約され、母体となった尚華は敬われる存在になる。

 婚姻の解消を望んでいた伯蓮も、子ができた以上は解消は認められなくなり、尚華を妃として扱わなければならない。

 全ては豪子の計画通りだが、慕う伯蓮と約束された関係を継続できると、尚華も安心した。

 そうして露わになった伯蓮の胸板目掛けて、上体を前に倒した尚華が唇を寄せた時。

 ようやく伯蓮が沈黙を破った。


「…………私は、もうどうなっても良い……」

「まあ、このまま身を委ねるという事ですね」

「その代わり……朱璃の身に何かあったら……その時は」


 言いながら伯蓮が目を開くと、まるで全ての憎悪が凝縮されたような瞳で尚華を睨んだ。

 そして、あの優しい穏やかな性格の伯蓮からは想像できないような言葉が、冷たく言い放たれる。


「お前も豪子も、胡一族全員……この世から葬ってやる」

「……っえ……」

「それがいずれ皇帝に即位した私の、最初の仕事となろう」


 自由がない皇太子を辞めたいと思っていたはずの伯蓮が、即位した未来の話をする矛盾。

 一族を滅亡させるほどの非道を行えば、二百年続く鄧王朝の歴史に傷がつく。

 それどころか元下女の命一つと、二代連続で皇帝に仕える宰相とその一族の命が同等のはずないのに。

 伯蓮にとって、朱璃がそれほどの価値のある人間なのかが充分窺えた。

 誰かに愛されたことを実感できない尚華には、それがとてつもなく悔しくて疎ましく、そして羨ましい。

 すると突然、尚華の意図とは関係なく目から涙が溢れ出ていた。


「……わたくしは、一体なんなのでしょうか……」


 豪子の望みを叶えようとすれば、伯蓮に一族の命を脅かされる。

 伯蓮をここで解放すれば、豪子には失望されて一生惨めに生きる。

 父親からの愛も感じられず、伯蓮を慕ったところで絶対に愛されることはない。

 そんな人生に、尚華本人の心も擦り減っていて限界を迎えていた。


「認められたい、愛されたいだけなのに……誰もわたくしを見てくれない……」


 ぼたぼたととめどなくこぼれ落ちる尚華の涙が、伯蓮の胸を濡らした。

 その反応を見て、落ち着きを取り戻していく伯蓮は少し責任を感じて視線を逸らす。


「……だからと言って、こんなやり方は……間違っている」

「っそれでも、父上の指示には逆らえません……!」

「私だけではない。娘である尚華妃も共に傷つける行為を促す父親など、それはもう……父親ではなく、鬼の所業だ」


 ハッとして目を見張る尚華は、伯蓮を見下ろしながら問いかけた。


「鬼……?」

「ああ……もし私に娘がいたら、幸せを常に願うし、政に利用したくはない」

「ですが、そうやって鄧王朝も続いてきたではありませんか!」

「だから私は、尚華妃と共にそのしきたりを……断ち切りたいと言ったであろう」


 茶を飲む前の会話を思い出した尚華は、ようやく父親の呪縛から目が覚めそうな状況にいた。

 父に認められたくて必死に思い通りに動いてきた尚華だが、その行為そのものが愛ではない。

 伯蓮の言葉でそう悟ることができた途端、背負っていたものが落ちて身軽さを感じた。

 先ほどまで殺気立っていた両者が、嘘のように沈黙して静かな時間だけが流れた、その時。


「伯蓮!」

「っ……?」


 突然名前を呼ばれた伯蓮だが、初めて聞く声に誰なのか見当もつかないまま周囲を見渡す。

 しかし、どうやら尚華には聞こえていないようで無反応なところをみると。

 相手はあやかしだということが理解できた。


(だ、誰だ……?)


 思いながら伯蓮がその姿を探していると、突然天井から黄色い毛に覆われたあやかしが着地する。

 初夜妨害の日以降、会うことがなかった貂々だった。


(貂々……!!)


 妃に馬乗りされている光景なんて、できれば誰にも見られたくなかった伯蓮は、羞恥心に駆られた。

 しかしそんなことはお構いなしの様子で、話せないはずの貂々が流暢に情報を伝えてくる。


「朱璃を見つけた。北の廟だ、早く来い!」

「っ⁉︎」


 そう言って部屋の扉前に立ち「開けろ!」と指示する貂々。

 朱璃を見つけたという言葉に力が漲ってきた伯蓮は、突然上体を起こして立ち上がった。

 馬乗りになっていた尚華は飛ばされ、「きゃ」と声を出しそのまま尻餅をつく。

 が、伯蓮は尚華のしたことを許したわけではないから、手は差し伸べずに部屋を出た。

 すると部屋の外で待機していた宦官が、慌てた様子で駆け寄ってくる。


「伯蓮様⁉︎ どこか具合でも悪いのですか?」

「だ、大丈夫だ……それより悪いが、尚華妃を部屋から出さないように……!」

「へ?」

「謹慎を申し立てる!」


 状況が把握できていない宦官から外套を受け取った伯蓮は、尚華への謹慎を言い渡した。

 そして先を走る貂々の後を、熱を帯びた重い体のまま走って追いかけた。

 動悸は激しく呼吸も荒い。相変わらず体の奥は熱いし、掻き立てられる感覚も残っている。

 それでも貂々を追う伯蓮は、早く朱璃の無事をこの目で確認したかったから。

 夜の後宮を北に向かいながら、伯蓮は貂々に問いかけた。


「貂々! どうやって朱璃を見つけたのだ……!」

「北の廟から助けを求める声をたまたま聞いたあやかしが、後宮内で言い回っていたのだ」

「え?」

「それをここに戻ってきた私が聞いた。が人間でなければ扉は開けられない」


 朱璃は今閉じ込められている状況にあるとわかり、伯蓮は胸が痛んだ。

 自分がもっと早くに尚華と対話ができていたら、朱璃が攫われることはなかったはず。

 巻き込んでしまったことに顔を歪めた時、まるで経験者のように貂々が語った。


「後悔しているのなら、同じ過ちを繰り返さなければ良いだけのこと」

「っ……」

「それでも人は、また別の後悔をしてしまう生き物なのだから」


 生きている限り、後悔することからは逃れられない。

 ただし、後悔した経験を財産にして、繰り返さないように生きることはできる。

 そう教えられた伯蓮は、人間のような考え方ができるあやかしの貂々を尊敬した。




 北にある廟に到着した伯蓮と貂々。

 建物自体はそれほど天井が高くなく、かなり年季が入っているのが窺えた。

 壁の木材は腐り剥がれ落ちていて、屋根の瓦も破損したまま修復されていない。

 忘れ去られたように静かで寂しげな場所に佇む、古びた廟が二人を出迎えた。


「……後宮内に、こんな建物があったとは」

「なんだ知らなかったのか。皇太子のくせに」

「うっ、後宮自体来ることがないのだ」

「十歳までは住んでいただろう」

「……貂々、やけに詳しいな……」


 催淫効果が完全には抜けていない伯蓮にも厳しい貂々は、スタスタと歩みを進め露台に飛び乗る。

 そして観音開きの板扉前に立ち、「早く開けろ」と言わんばかりの視線を伯蓮に送った。


「わ、わかっている……!」


 慌ててあやかしの指示を聞くこの国の皇太子に、貂々も少し将来を不安に思いながら建物内に入る。

 中は長方形に空洞が広がっているように感じたが、窓は閉め切られていて音もなく、鮮明には認識できない。

 ただ、屋内にもかかわらず、まるで屋外と同じくらいの冷たい空気が漂った。

 伯蓮は初めて訪れる場所で間取りも不明のため、どこに朱璃が閉じ込められているのかわからない状態。

 しかし、人を閉じ込められそうな部屋が一つだけあると勘づいた貂々が、暗闇の中で声をかけた。


「壁をつたって右に向かえ」

「右?」

「角を曲がった奥に書庫がある」

「わ、わかった」


 暗闇の中、壁に触れながら前に進む伯蓮。

 徐々に暗闇に慣れてきた目が、物の輪郭を認識するようになってくる中。

 ここにくるまでの全力疾走で再び動悸を覚える体を鎮めながら、伯蓮は朱璃の発見を願った。

 そうして扉らしき部分に手が引っかかり、銅製の錠が手に触れる。

 鍵がないと開錠できない種類だが、もちろん持っているはずがないし探している時間もない。

 心の中で「後ほど修復いたします」と宣言した伯蓮は、少し後ろに下がると助走をつけ、渾身の体当たりを扉にお見舞いする。

 バキバキィ!と板が割れる音が響いて、木の粉や破片が舞う。

 それをかき分けながら、伯蓮と貂々は部屋の中に侵入した。


「っ朱璃! どこだ!」


 棚がいくつも並び、すぐには朱璃の姿を確認できない。

 まさか外れ?と焦りはじめる伯蓮が、部屋の奥へと進んだ時。

 信じ難い光景が視界に飛び込んできた。



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