第三章 捜索係の緊急事態

第7話 悪事



 翌日の早い段階で、朱璃は執務室にいた伯蓮に後宮行きの許可をもらった。

 表向きは伯蓮の侍女として、後宮の視察のためとしているが。

 実は、伯蓮が可愛がっていたあやかし“流”の捜索だとは、二人以外の誰一人として思っていない。


「それでは朱璃。よろしく頼むな」

「はい。日没までにはこちらに戻ってくるよう心がけます。ところで伯蓮様」

「ん? どうした?」

「風邪はひいていませんか?」


 突然体調を気にしてきた朱璃に、伯蓮は一瞬心臓が跳ねた。

 後ろには侍従の関韋が控えているのに、夜中に蒼山宮を抜け出したことが知られないかヒヤヒヤする。


「……し、心配ない……」

「良かったです。では行って参ります!」


 元気よく退室して行った朱璃の背中を見送って、伯蓮はふうと息を吐いた。

 今日から朱璃は、流の捜索のために毎日後宮へと足を運ぶ

 それは朝から日没まで、後宮内を順番にくまなく探してくれる予定だが。

 その間、この蒼山宮内で朱璃の姿を見かけることがないと思うと、伯蓮は寂しさを覚えた。

 すると、しんみりしていた背後に向かってポツリと関韋の質問が飛んでくる。


「風邪を引くようなことでもしたのですか?」

「っ⁉︎ ……何もしていない」

「ではなぜ朱璃殿は伯蓮様の体調を気遣われたのですか」

「鼻声にでも聞こえたのだろうな」


 狼狽えることなく鼻を啜ってみせた伯蓮は、これでもう関韋からの質問は終了したと思っていた。

 しかし、それは伯蓮が蒼山宮にやってきて七年、侍従を務める関韋を甘く見ていた証拠。


「では伯蓮様。夜中とはいえ、あまり二人きりで出かけるのは良ろしくないかと」

「っっ関……おまえっ⁉︎」

「あらぬ噂を立てられるやもしれませんので、念のためお気をつけください」


 例えば、この国の皇太子は後宮にいる妃のもとに通わず、お気に入りの侍女をそばに置いている――とか。

 夜中に二人きりで散歩に出かけるほど、皇太子は侍女を溺愛している――などなど。

 考えられる噂の一部を、淡々と口に出していく無表情の関韋。

 それは忠告なのか、冷やかしなのか。

 以前から心が読みにくい侍従に困惑してしまうが、それよりも――。


「……お気に……溺、愛……⁉︎」


 使用したことがない単語を聞いて、初めて狼狽えた伯蓮の頬は赤く耳にも達していた。

 七年そばに仕えていた関韋も、主人のそういう姿を見たことがなくて少し驚く。

 同時に、皇太子とはいえ伯蓮も年頃の青年であるということを、改めて認識した。

 だからこそ、その気持ちを大切にしていけるよう、関韋は物申す。


「そのは、時に伯蓮様の弱点にもなります。ですから絶対に、周囲に悟られてはなりません」

「関韋……」


 伯蓮の立場を思えばこその言葉は、しっかりと本人の心に届いた。

 そして同じようなことを考えていただけに、その意味を理解するのも早く。

 今回の朱璃の後宮行きは、距離を置くちょうど良い時機だったのかもしれないと、伯蓮は納得した。




 後宮に到着した朱璃は、早速目撃情報があった食堂を目指した。

 しかし“視察”という名目で来ているため、それとなく視察中の雰囲気を醸し出しながら歩く。

 すると、様子を見に来た三々が颯爽と飛んできて、朱璃の頭に乗った。


「今日から本格的に捜索開始か?」

「三々おはよう! まずは食堂から少しずつ北に向かって進む予定」

「お前のことだから先に貂々に会いに行くと思っていたぞ」


 朱璃と貂々の関係性を知っていた三々が、意外だと驚いている。

 集会にこなかった貂々のことは朱璃も気になっていたが、きっといつもの場所で昼寝をしているだろうから。


「まずは捜索して、日没間際に貂々に挨拶して帰るよ」

「早く流を見つけてやらないとな。って俺はこのあと街の広場で大道芸を見に行くんだけど」


 流の捜索に協力的な三々だが、本日は王宮外の娯楽で忙しいらしい。

 あやかしの暮らしぶりについて未だによくわからないことが多い朱璃だが、貂々や三々を見ていると羨ましくもなる。


「自由に王宮を出られて、借金もなくて。……あやかしってもしかして自由?」

「俺は飛べるから王宮を出られるだけで……お前、王宮出たいのか?」

「あ……」


 何気なく問われて、朱璃はすぐに答えが出てこなかった。

 生活苦で仕方なく増えていく家の借金。それを返済するため、下女として後宮入りした朱璃。

 ただ、ここでの暮らしは衣食住が揃っているだけでありがたいと思っていたから、苦ではなく。

 しかし、いつになるかわからない借金を完済したら、両親から知らせが届き、任期を終えたら王宮を出る予定でいる。

 それはすなわち、貂々や星、他のあやかしたちとも会えなくなることを意味していた。

 そして朱璃は、あやかしに会えないことだけを悲観しているのではないことを自覚する。


(……伯蓮様にも、会えなくなるんだ)


 一度王宮を出たら、おそらく二度と会うことはない。

 あやかし好きの仲間ではあるけれど、伯蓮はこの国の次期皇帝であり、王宮の中で生きる高貴な方だから。

 今こうしてそばで侍女をしていることが、どれほどの奇跡なのかと思い知らされる。

 考え込んで動きが止まった朱璃を気にして、三々が更に声をかけた。


「まあ明日は手伝ってやるからよ、じゃあな」

「うん。気をつけてね」


 太陽目掛けて空高く飛んでいった三々を、朱璃は眩しさから目を細めて見送る。

 たとえ王宮を出たとしても、三々のように飛んでいつでも遊びに来ることができたら良いのに――。

 そんなことを考えながら、朱璃は捜索を再開した。




 西日が辺りを神々しく照らしはじめた頃、コソコソと華応宮の中庭に姿を現した朱璃。


「貂々ー、来たよー」


 木に向かって小声で話しかけるが、反応はない。

 貂々は人の言葉を話さないから返事がないのはいつものことで、不思議に思わない朱璃は徐々に近づいていく。

 木の上に視線を向け、そこでようやく貂々が不在だと知った。


「あ、あれ?」


 尚華が入内した同時期に、この中庭の木の上で出会った貂々。

 それからというもの、ずっと定位置から動くことがなかった貂々がいなくて、朱璃は少し不安になった。

 少し用を足しに出ているだけで、待っていればすぐに戻ってくるだろう。

 そう思ってその場に座った朱璃は、本日の一人反省会をはじめた。


(結局、食堂とその周辺の建物に流はいなかったなぁ……)


 “視察”なので建物内への侵入も許可が下りていたが、それでも流の姿は発見できず。

 たまたま見つけたあやかしたちに尋ねてみても、見かけた者はいなかった。

 こうなったら、後宮内の全ての建物を順番に確認していくしかない。

 それは途方もない作戦だけれど、流を心配する伯蓮を思うと早く見つけて届けてあげたかった。


(お優しい伯蓮様のため、私ならできる!)


 自らを鼓舞した朱璃が、明日も頑張ろうと気合を入れる。

 が、一向に貂々は帰ってこなくて、今日はもう諦めて帰ろうと立ち上がった時。


「あ、あの時の下女!」

「え⁉︎」


 仕事中だった華応宮の侍女が、朱璃の存在に気づいて声を上げた。

 驚いて肩を震わせた朱璃が振り向くと、その侍女は眉根を寄せてジリジリと近づいてくる。


「あんた、尚華様の初夜をよくも邪魔してくれたわね……!」

「あ、あの時は、本当に……」


 ごめんなさいと声を出すより前に、侍女の手が朱璃の肩に掴み掛かかろうと距離を詰めてきた。

 明らかに喧嘩腰な尚華の侍女だけど、下手に朱璃が手を出したら何を言われるかわからない。

 何より自分が問題を起こせば、それは面倒を見てくれている伯蓮にも監督責任が問われるだろう。

 それだけは嫌だと考えた朱璃は、侍女に触れられそうな一瞬に後ろに下がって、かわすことに成功する。


「あ、待ちなさいー!」

(ひぇぇごめんなさーい!)


 侍女の制止を振り切って、朱璃は逃げるように後宮をあとにした。




「尚華様すみません、逃してしまいました……」

「……よくも恐れずにまた現れたわね、あの下女」


 華応宮の私室にて、朱色の鮮やかな牀の上に座りくつろいでいた尚華。

 お気に入りの香を焚き、茶を嗜みながら侍女の報告を受けて呆れていた。

 初夜を妨害してきた翌日も、中庭にいたという目撃情報があって駆けつけたが確認できず。

 しかし、こうも侍女が見かけているとなると、何か目的があってあの中庭に出没するのか。

 その目的を頭の中で探っていた時、尚華の顔が歪んでいった。


「わたくしを嘲笑いにきているのかしら……」


 皇太子の妃だというのに、宮への通いもなく初夜を見送られた尚華を一目見ようとやってきている。

 そう考えた途端、また一段と恨みの念が高まった尚華は、侍女らに指示を出す。


「次見かけたら声はかけるな」

「え? は、はい……」

「あの下女が何度も中庭にくるなら、それを利用して油断させるのよ」

「かしこまりました」


 拱手しながら頭を下げる侍女らが、連なって部屋を出ていく。

 すると、尚華が一番信頼している初老の侍女が何かを差し出してきた。


「お父上様からの文です」

「え……父上から?」


 尚華の父、すなわち宰相を務める、胡豪子からの文が届けられていた。

 正直に嫌な顔をした尚華は、初老の侍女から文を受け取ると乱暴に開いていく。

 そこには、昨日豪子のもとに伯蓮が謝罪にきたこと。

 そして、例の下女に特別な感情はないという報告が、書かれていた。


「父上もバカね、伯蓮様の言葉を真に受けたのかしら?」

「男は皆、色恋には鈍感な生き物ですから……」


 初老の侍女が、微笑みながら尚華の意見に賛同する。

 仮に伯蓮が本気でそう思いながら豪子に話していたとしても、あの夜現場にいた尚華は肌で感じていた。

 初夜を妨害した朱璃への心遣い、話し方、微笑みが、尚華を前にしている時とは違う。

 あの時の伯蓮は、確実に心を許しているような柔らかい雰囲気を纏っていた。

 思い出すと再び血圧が上昇しそうになり、そばにあった茶を飲み干して深呼吸する。

 しかし文はまだ終わっておらず、続きを目で追っていくと――。


「……なっ、これは……」


 口元を隠すほどに驚く尚華が、目を見開いたまま初老の侍女に視線を向けた。

 すると、胸元から鶸色ひわいろの小さな巾着袋を取り出した初老の侍女は、妖しく口角を上げる。


「伯蓮様を手に入れられるのも、もうすぐですよ」

「……っ」


 豪子の策略、そして謎の巾着袋。

 尚華はこの時初めて、父親の豪子を心の底から恐ろしいと思った。




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