第5話 宿命
翌日、外廷に足を運んだ伯蓮は、宰相の
宰相とは、皇帝陛下を補佐して政治を行う、国の中では皇帝の次に偉い官職。
現皇帝と先代に連続で仕えた、由緒正しい胡一族の人間だ。
しかし近年は、随分と金を持っているのか、豪子の執務室には異国製の品が多く飾られ、また官吏たちに羽振が良いという噂も絶えない。
昨年よりも肥えた体と、襟元まで伸びた顎髭が位の高さを主張しているようで、伯蓮の中では要注意人物と認識していた。
「皇太子様。お忙しい中わざわざ訪ねてきてくださりありがとうございます」
従者を通して催促してきたくせに、白々しく伯蓮を招き入れる笑顔の豪子。
ここまできてしまうと、侍従の関韋を傍に置いていても逃げ場はない。
豪子が次期皇帝と噂される伯蓮と会う理由。それはもちろん、娘の尚華との初夜を突然見送ったことへの説明。
それを妨害した下女を、蒼山宮の侍女に抜擢したことを問うため。
そして最も恐ろしいのは、本人の胸奥に隠されたもっともっと先の未来に待ち構える、個人的な野心のためでもあった。
「伯蓮様。娘は酷く傷ついておられました」
「すまなかった。また日を改めて……」
「伯蓮様に日取り決めを任せていたら、いつまで経ってもお子はできませぬぞ」
「それはどういう……」
机を間に挟み、二人に不穏な空気が流れる。
ただ、伯蓮は豪子の思惑をわかっていた。
政に関心がなく臣下に任せてばかりで、今は体調が思わしくない皇帝陛下と宰相の間で勝手に話を進めて決定した、伯蓮と尚華の婚姻。
もしも二人の間に子どもができて、それが男子であったなら……。
やがて伯蓮はこの国の皇帝となり、尚華は皇后となるだろう。
そして子は将来、胡家の血を引く皇帝として玉座につく可能性がある。
その礎として、伯蓮は利用されているに過ぎない。
胡豪子の胸に秘めた野心と策略を先読みして、伯蓮は全ての言葉を疑っていた。
「私にも“好み”はありますので、子は難しいかと」
「ははは、国一美しいといわれる尚華でも足らぬとは、伯蓮様も現皇帝に同じくおなごの好みが難しいお人ですな」
豪子は高らかに声をあげていたが、その目は笑っていなかった。
しかし伯蓮は知っている。
自身の父でもある現皇帝が即位する前、豪子は今回と同じように胡一族の娘を妃に勧め、皇帝はそれを受け入れた。
ただ、現皇帝と胡一族の妃の間に子はできず、豪子の目論みは果たせず終わり、諦めたかに思えていたが。
今度はその息子である伯蓮に、自身の娘尚華を妃としてあてがった。
豪子はまだ諦めていない――そう感じた伯蓮は、今最も警戒すべき男と対峙している。
「ところでそんな“好み”に厳しい伯蓮様の心を射止めた下女を、一目見てみたいものですな」
「……誤解をしているようだが、そういうことではない」
「おや、そうでしょうか?」
詮索するような疑いの目を向けられて、伯蓮も眉根を寄せた。
ここでしっかりと宣言しなければ、朱璃に迷惑がかかってしまうかもしれない。
豪子があの手この手で朱璃に近づくこと。それを一番に恐れた伯蓮は、気丈な態度で説明した。
「仮に私が心を射止められていたのなら、侍女ではなく妃として後宮入りさせるはず」
「……それもそうですね」
「ちょうど宮の侍女が里帰りを希望していたから、代わりとなる人物を探していただけだ」
「そうでしたか……よく、わかりました」
話を聞いていた豪子の口の動きが、ようやく鈍る。
これで変な疑いはかけられなくて済みそうだと安堵する伯蓮だが、少しだけ胸の奥に負荷がかかったように感じた。
それは、たとえば致し方なく嘘をついた時の、心痛のようなもので。
伯蓮自身も、なぜそう感じたのかは不明だった。
「伯蓮様、そろそろ……」
「ああ、わかった」
侍従の関韋が退室を促し、伯蓮は席を立つ。
とりあえず豪子への説明責任は果たしたと判断して、今日一番の苦痛だと思っていた仕事を終えようとしていた。
そんな伯蓮の背中に、豪子は頭を下げて最後の言葉を伝える。
「皇太子様。尚華のこと、何卒よろしくお願いいたします」
それに対して、明確な返答が今はできない伯蓮は、静かに退室して扉を閉めた。
外廷と内廷を結ぶ大門を目指して、ゆっくり歩いている伯蓮と関韋。
その後ろには、外で待機していた従者らが黙って後をついてくる。
「関韋、親とは子の幸せを願うものであろう?」
「そうですね、大体の親は……」
「豪子は自分の娘の幸せを考えていないのか?」
己の野心と策略のために、娘が慕ってもいない男のもとに嫁がせるという考えが、伯蓮には理解できない。
しかし、そうやってこの国が大きく繁栄し四百年も続いていることを知っている。
先の皇帝も皇后も、皇太子も妃も、そうやって政略的な婚姻を繰り返し結んできたというのなら――。
「私もそれに従わなくてはいけない宿命なのか……」
まるで自分の人生を悲観したような伯蓮の表情は、隣の関韋を戸惑わせてしまった。
ただ、その関韋が一つだけ引っかかることといえば……。
「ですが、おそらく尚華妃は伯蓮様をお慕いしていると思います」
「……なに?」
「初めは父親の豪子の指示で後宮入りしたのかもしれませんが、今は……」
「っ……それは、困ったな」
驚いたように目を丸くしながら、困惑したように腕を組む伯蓮。
今までは豪子の手先として尚華と向き合い、なるべく接触のない方が互いのためと思っていた。
しかし、関韋の言っていることが本当ならば、伯蓮の今までの行動は尚華の心を深く傷つけている。
かといって、こういう関係である以上、優しくするのも誤解を生みそうで伯蓮は頭を悩ませた。
「尚華妃の気持ちには、どんなに時をかけようと応えられない……」
「気持ちに応えずとも、婚姻した以上はいずれ初夜を迎え子を成せねば。それが皇太子としての責務です」
代々、国を治めてきた鄧一族の血筋を繋ぐためにも子孫繁栄は怠ってはいけない。
侍従の関韋は、揺れる伯蓮の思いにしっかりと意見した。
しかし、それを望んでいない伯蓮にとってはただの迷惑なしきたり。
「ならば私は皇太子を……皇位継承権を手放したいな」
「っ……伯蓮様!」
「ふ、冗談だ。そんなことできるはずがないとわかっている」
関韋の慌てた顔を見て、少し気が晴れた伯蓮は一笑して先を歩き進む。
ただ、許されるなら――すでに舗装された石ころ一つない道を淡々と歩く人生よりも、誰も歩いたことのない道なき道を抗いながら懸命に歩く人生を、伯蓮は進んでいきたいと強く思っていた。
***
伯蓮が流の絵を描いてくれた日から一週間が経つ。
朱璃は大事な絵を片手に持ち、皇子たちが住まう東宮区域を散策していた。
朝餉を終えた従者や侍女たちが仕事場に戻っていく中、みんなには視えないあやかしを探す。
そして、建物裏の茂みに隠れていた一匹のあやかしを見つけて、そっと駆け寄った。
「ねえ君。この空色のあやかし、見かけたことない?」
「キューキュー」
朱璃が声をかけたのは、ヤモリの姿に蜻蛉のような羽が生えたあやかしだった。
どうやら話せない子のようだったが、鳴き声とともに首を横に振ってくれたので「知らない」と答えていることが伝わった。
礼を言って次のあやかしを探そうとした時、以前蒼山宮で出会った三々が朱璃の肩に乗ってくる。
「お前、そんな地道なことやってても見つからねーぞ?」
「三々! でも聞き込みして何か手掛かりを見つけないと……」
それにはたくさんのあやかしに声をかけていく必要があるのだが、東宮区域だけでもたくさんの建造物と庭や池がある。
もしも行方不明の流が、東宮区域さえも飛び出していたら、ますます発見から遠ざかってしまう。
すると見かねた三々が、ある提案を持ちかけた。
「仕方ねぇ! 明日、内廷と外廷を結ぶ大門が閉まる鐘が鳴る頃に、池の涼亭に来い」
「え?」
「今から俺が、上空から見つけたあやかしに片っ端から声かけて集合をかける」
「それって……」
鳩の姿をした視力抜群の三々であれば、東宮区域だけでなく、周辺の後宮や官庁街に棲みつくあやかしたちもすぐに見つけられるだろう。
だから、できるだけたくさんのあやかしに集合をかけて、効率良く聞き込みできるよう作戦を立ててくれた。
なんと頼もしい協力者の登場に、朱璃は万歳して喜びを爆発させる。
「ええー! ありがとう! それならみんなにまとめて聞き込みできるね」
「全く、これだから新人は……」
蒼山宮の侍女として日の浅い朱璃を、新人として扱う三々。
後宮に二年いたとはいえ、東宮区域は初めての朱璃にとっては不慣れも多い。
それを心配して、力を貸してくれるという三々に感謝した。
「そうだ。もし時間があったら貂々にも声かけてほしいな」
「あ? 誰だ?」
「華応宮の中庭の木でいつも寝ているあやかしがいるの」
だめ元ではあるけれど、後宮を離れてからは貂々不足だった朱璃がそんなお願いをすると、三々は渋々了承してくれた。
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