第二章 皇太子の葛藤
第4話 仲間
翌日の、太陽が一番高い位置にある頃。
行方不明のあやかし、流の捜索開始かと思いきや、朱璃は今昨夜までの職場だった後宮を再度訪れていた。
「やっぱりここにいた、貂々ー!」
尚華が住む華応宮の中庭の木の上で、相変わらず昼寝をしていた貂々を発見する。
昨夜以降、貂々がどんな様子で過ごしているか気になっていた朱璃は、少しだけホッとした。
そして、諸々の報告を一方的に伝えはじめる。
「私、皇太子の宮で働きながら、とあるあやかしの捜索もすることになったんだ」
「……。」
「だから毎日は会えなくなるけど、後宮にきた時は貂々にも会いに来るから」
「……。」
「そうだ! 貂々も蒼山宮に遊びにきてよね? きっと伯蓮様も喜ぶし、他のあやかしのことも紹介したいし」
微動だにしない貂々は、普段通りの寝息を立てている。
それが何より安心材料となった朱璃は、自然と笑みをこぼした。
だけど、ここで以前のようにのんびり過ごしているわけにもいかない。
「そろそろ戻らないと。じゃあまたね」
蒼山宮での仕事がまだまだ残っている朱璃は、急ぎ足で中庭を出て行った。
すると、昼寝をしていたはずの貂々はうっすらと片目を開けて、遠ざかる背中を黙って見届ける。
そこへ慌ただしい足音を立てて建物から出てきたのは、尚華とその侍女たち。
「尚華様こちらで――あれ? さっきまで例の下女がいたのに……」
「は? 誰もいないではないか」
「そんな、本当にいたのです……」
おそらく朱璃の姿を目撃した華応宮の侍女が、尚華に知らせたのだろう。
しかし、あと一歩のところで朱璃は中庭を去り、入れ違いになったことを貂々だけは知っていた。
そんなあやかしが木の上にいるとも知らず、尚華と侍女らは中庭内で会話を続ける。
「そもそも、昨夜あんなことをしでかしておいて、よくノコノコと後宮に現れたわね」
「尚華様に謝罪しにこられたのでしょうか?」
「謝罪など受けないわ! わたくしは今でもあの下女を肉刑に処したいほど憎んでいるのにっ」
昨夜の騒動がなければ、尚華は伯蓮との閨事を無事に終え、気持ちの良い朝を迎えていたはず。
しかし結局、伯蓮は初夜を妨害した下女の朱璃を連れたまま、後宮を去ってしまった。
尚華にとって初めて味わう屈辱である。
「あの下女のせいで、やっと迎えた初夜が見送りになったのよ……」
「はい尚華様。すぐに次回の日取りを――」
「そういう問題ではないのよ! そもそも伯蓮様は……わたくしに興味がないの!」
入内して一月が過ぎ、伯蓮が尚華のもとに訪れたのはたったの三回。
後宮入りしてすぐの挨拶、一週間前の茶会、そして昨夜のみだった。
「美しさでは誰よりも勝っているのに、どうして伯蓮様はわたくしの宮を通ってくれない⁉︎」
「きっと公務でお忙しいのかと……尚華様が気に病むことはございません」
尚華のことをよく理解しているような初老の侍女が、妃の肩を支えて慰める。
しかしそれだけでは怒りがおさまらず、更に不満をぶちまけた。
「わたくしは一族のためにも、必ず皇后にならなくてはいけないのよ……!」
見えない重圧と焦燥から、険しい表情を浮かべ拳を握りしめる尚華。
その姿はもはや美しい妃からはかけ離れた、獣のような鋭い目をしていた。
「絶対許さないわ、あの下女……」
憎しみを込めて呟く尚華は、朱璃の顔を思い浮かべて脳裏に焼き付ける。
初夜だった昨日は尚華にとって、なかなか掴めない伯蓮の心と体を己の美貌で惑わす絶好の好機であっただけに、それを台無しにされた恨みは消えるどころか仕返ししないとおさまらない。
「いい? あの下女を見つけたらすぐわたくしに報告なさい」
「かしこまりました」
「伯蓮様が処罰しないのなら、わたくし自ら執行してやるわ……」
恐ろしいことを口にした尚華は、ふん!と踵を返し、その後ろを初老の侍女らがついていく。
ようやく静かになった、とあくびをする貂々だったが――。
「……っ」
また一つ、気苦労が増えてしまったかというような、深いため息も漏らしていた。
***
日没間際、蒼山宮に戻っていた朱璃は伯蓮不在の執務室の拭き掃除をしていた。
皇太子直々に推薦された手前、侍女として真面目に仕事をこなしたいという気持ちが、執務室をピカピカに磨いていく。
その時、窓の外に藍色の鳩が羽を休めにやってきて、朱璃が反射的に視線を向けた。
明らかにただの鳩ではなく、頭に三本のツノが生えたあやかしで、初めて見る種類。
迷うことなく窓を開けて、明るく元気に親しみを込めて話しかける。
「やっほー」
「ピギャアアアア⁉︎」
「あ、ごめんね驚かせたかったわけじゃなくて」
「なななんだお前、俺が視えるのか⁉︎」
後宮にいる貂々とは違い、人間と会話ができるあやかしということがわかって、朱璃は少しワクワクした。
そして会話ができるなら教えて欲しいことがあるから、自己紹介をして仲良くなる作戦を取る。
「私、朱璃っていいます。あなたは?」
「は? 名前なんてねーよ」
「そう、じゃあ
「なんで⁉︎」
「ツノが三本だから。ちょっと聞きたいことがあるの」
鳩のあやかしは強制的に三々と呼ばれることになり、反論する間も与えられず朱璃からあることを尋ねられた。
「姿が猫、耳が兎で空色のあやかしを見かけたことない?」
「んーないな。絵はないのか?」
「絵? 絵……そうか!」
今後、あやかしへの聞き込みの際に、流の絵があれば外見の特徴をもっと鮮明に理解してもらえる。
三々の一言で良い閃きを得た朱璃は、不意に昨夜交わした伯蓮との会話を思い出した。
『星は常に私室で過ごしている。だから、何か聞きたいことがあればいつでも来て良いし、自由にして構わない』
『え、伯蓮様のお部屋に私なんかが勝手に入って良いのですか⁉︎』
『ああ。私も忙しくて不在が長く、流もいないから星が寂しい思いをしていると思うのだ』
だから朱璃の仕事の合間、星の相手をしてくれるとありがたい。と伯蓮は言っていた。
星の姿を参考に、流の絵を用意しようと決めた朱璃は、三々に礼を伝える。
「ありがとう! 三々のおかげでまた一歩、流に近づいた気がする!」
「流って誰だよ!」
「またここに遊びに来てね。今後、三々にもお願いしたいこと増えるから!」
言いながら執務室を出ていった朱璃に、三々は唖然とした様子で固まっていた。
そして「今日から俺は、三々なのか……」と自分に名前がついたことを、少しだけ嬉しく思う。
「失礼しまー……す」
二階の執務室から三階の私室前に移動した朱璃は、そっと扉を開けて恐る恐る室内を覗き込む。
そこには、執務室とはまた違う雰囲気が漂っていて、派手な色があまり使われていない素朴な部屋が視界に映った。
まさに、皇太子の好みが反映された心安まる空間。
「確かに、伯蓮様は派手な色好きって感じじゃなさそうだもんなぁ」
皇太子という身分に変わりはないけれど、偉そうな態度もせず高飛車な印象でもない。
いずれ皇帝陛下となられる方と思うと、臣下からはもう少し威厳や貫禄を求められそうだけど、朱璃にとってはそれこそが伯蓮の魅力の一つでもあると思っていた。
「星〜、星ちゃんいますか〜?」
昨夜対面したばかりのあやかしの名を呼びながら、奥へと進む。
燭台に火は灯っているものの、やはり伯蓮の気配はなくしんと静まり返っていた。
手前の机には薫炉や筆が確認でき、最奥に設置された架子牀には透き通った帳が周りを囲う。
その手前で足を止めた朱璃は、そっと帳に触れて中を覗いた。
すると、ふかふかの衾の上で丸くなっている、綺麗な東雲色の星を見つける。
「か、可愛い……!」
思わず心の声を漏らしてしまうと、それに反応して星が顔を上げた。
そして朱璃の姿に驚くことなく「ミャウ」と鳴いて返事をしてくれる。
姿形だけでなく、鳴き声や反応も可愛らしい星に対して、朱璃はますます瞳を輝かせた。
「ハッ! 目的を忘れるところだったわ!」
星の魅力にメロメロにされている中、急に我に返る朱璃が近くにあった筆と紙を拝借する。
そして大人しい星の特徴を捉えながら、素早く筆を進めた。
短時間の滞在を心がけながら、星の絵がもうすぐ完成しそうな時。
廊下から会話のようなものが聞こえてきて、朱璃の筆が止まる。
(え⁉︎ まさか伯蓮様が戻ってきた⁉︎)
許可はもらっているものの、実際に鉢合わせするのは気まずいと思った朱璃。
しかし身を隠すほどの悪事を働いていたわけでもなく、外の様子を窺っていた。
「伯蓮様。昨夜の件、宰相が朝から説明を求めておりますが――」
「すまないが明日にしてほしい」
「宰相は尚華妃のお父上です。娘を心配するあまり早急にお応えした方がよろしいかと」
そんな会話が徐々に近づいて、私室の扉前までやってきた。
おそらく従者の一人が伯蓮に対して話を、というよりは指導をしているような内容で、朱璃もますます焦り出す。
きっとこれは、自分のような侍女が耳にして良い話ではない。そう思ったから――。
「それだけではございません。後宮で働く下女を勝手にこちらの侍女に昇進させたとか……」
「働き者だったから採用したまで。問題ないだろう」
「大ありです。“初夜を妨害した下女”という点に、尚華様もお怒りでした」
「っ……」
反論できず言葉を詰まらせた伯蓮の苦悩が、私室内で息を潜める朱璃にも伝わった。
昨夜、部屋へと侵入する貂々を必死に阻止した朱璃。
その行動を説明しようにも、あやかしが視えない人間には無意味だ。
それでも朱璃を庇い、代わりに伯蓮が責められるこの状況はとても胸が痛む。
「とにかく、明日には必ず宰相と面会してくださいませ」
「……わかっている」
「そして今後も、尚華妃の宮へきちんと足を運んでいただきます」
伯蓮にその気がないと気づいているにもかかわらず、従者は尚華との仲について圧をかけてきた。
やがて一つの足音が立ち去っていくと辺りは静寂に包まれて、そして私室の扉が静かに開かれる。
疲れた表情の伯蓮は小さな歩幅で室内に入ってくると、窓際の牀に腰掛けた。
そこで深いため息をついた時、ふと視線を上げた先にいたのは、架子牀前で座り込む朱璃。
「⁉︎ 朱ッ……何故⁉︎」
「あああすみません! 星の絵を描きたくて遊びに来ていました!」
言いながらその場に土下座して謝罪すると、伯蓮は少し記憶を戻して頭を抱えた。
顔を上げた朱璃がその様子を見て、やはり聞かれたくなかった話を自分は聞いてしまったのだと推測する。
「……私、やっぱり後宮に戻りますね」
「え……?」
「私が原因で伯蓮様が責められるのは、嫌ですし」
「いや、しかし――」
「それに流の捜索は、後宮下女として働きながらでもできますから!」
自分が皇太子の侍女に抜擢されたのは、あやかしが視えて流の捜索を頼めるから。
だけどあやかし捜索係は、何も侍女でなくてはいけないわけではない。
「後宮でもちゃんと捜索係として仕事はしますから、安心してください」
「ッ……」
そう伝えた以上は、今夜にでも早急に蒼山宮を出ていかないと――。
昨夜したばかりの荷造りをもう一度することになった朱璃が、退室しようと伯蓮の前を通り過ぎた。
瞬間、パシリと腕を掴まれて振り向くと、俯いたままの伯蓮が小声で話しはじめる。
「それだけではない、朱璃……」
「え?」
「お前を侍女にしたのは、捜索係のことだけが理由ではないと、言っている……」
伯蓮の表情までは見えない朱璃だが、いつもと様子が違うことだけはわかっていた。
そして、よく見ると耳元がほんのり赤く色づいていて、何故だろうと首を傾げる。
「私は今まで、あやかしが視えることを他の者に話したことがない」
「……わ、私も、両親以外に話したことありません」
「ならば私の気持ちがわかるだろう。誰かと共有できる喜びが、感動が……」
そうして見上げてくる伯蓮は、今にも泣いてしまいそうな切なげな表情をしていた。
思わず心臓が跳ねた朱璃は、その後大きな鼓動と共に引き続き伯蓮の話に耳を傾ける。
「皇太子として色んな制約がまとわりつく中、あやかしだけが私を対等に扱ってくれた。そして私と同じようにあやかしが視える朱璃に出会った」
「……伯蓮様……」
「その時、やっと私をわかってもらえる人間を見つけたような気がして、初めて自分の意志で朱璃を侍女に迎えたのだ」
そんな朱璃に、大事な星を紹介した昨夜、その思いはより強いものと変化する。
あやかしを恐れず、優しく触れて愛でる姿は、自分の心に近いものを感じた伯蓮。
朱璃にだけはこの気持ちを理解してもらえるという、初めての感情が溢れた。
「だから、今後も私のそばにいてほしい……」
「は、伯蓮様……」
「朱璃が後宮に戻ってしまうと、また会えなくなるではないか」
「〜〜っ……」
腕を握られたまま、近距離で懇願される朱璃は居た堪れない思いでいっぱいだった。
相手は皇太子で、その伯蓮が無自覚でそのようなことを口にしているのは理解していたけれど、
誤解を招きかねない今の台詞に、朱璃は真に受けないよう必死に耐える。
(これは愛の告白ではない、これは愛の告白では……!)
高貴な方の甘い言葉をいちいち本気で受け取っていたら身がもたない。
今この瞬間にそう感じた朱璃は、また一つ王宮での心得を学んで笑顔を咲かせた。
「わわわかりました! 伯蓮様がそこまでおっしゃるのでしたら侍女として――」
「本当か?」
「そして、あやかし好きの仲間としてこれからもよろしくお願いいたします!」
威勢の良い朱璃の返事は、確かに伯蓮が望んでいた関係に近い。
しかし、仲間という言葉になぜか心の底から納得できていない理由を、今の伯蓮は気付けずにいた。
ただ、これで朱璃はこのまま蒼山宮の侍女として働いてくれる。それだけで今は良しとしよう――と。
「感謝する。ところで、その手に持っている紙切れはなんだ?」
「あ、これは星を参考にして私が描いた、流です!」
ようやく腕を離してもらえた朱璃は、自信満々な様子で流の姿絵を見せる。
しかし、そこに描かれていたのはあやかしの流ではなく、線が醜く震え均整の取れていない不快で気持ちの悪い化け物だった。
「…………これが、流……だと?」
「はい! これを他のあやかしにも見てもらって、同じ姿形の“流”を探せないかと」
流に会ったことがない朱璃は、星の色違いという認識のもとで、星を参考に流を描いた。
しかし伯蓮は、悪いと思いつつもこの姿絵では流の捜索は難航すると感じてしまう。
同時に、自信満々に絵をかざして明るく健気に振る舞う朱璃に対し、おかしさも込み上げてきて笑い声を漏らした。
「ふっ……よしわかった。私が流を描いてやろう」
「え⁉︎ 伯蓮様が?」
「朱璃の絵では違うあやかしが見つかってしまいそうだからな」
「なっ! それは一体、どういう意味でしょうか……」
「んー、どういう意味だろうな」
含み笑いのまま朱璃の顔を覗き込んだ伯蓮は、なんだかとても楽しそうな雰囲気を纏っている。
朱璃は冷静な心でもう一度、自分が描いた絵を確認してみると、あまりにおぞましい仕上がりだったことに遅れて気づいた。
そして――。
「ぶはっ、なんですかこれ! 化け物!」
「まさか私を笑わせようとしてそのように描いたのか?」
「ち、違いますよ! 私の精一杯の画力による産物です……!」
つられて笑い声を吹き出してしまった朱璃もまた、この時だけは伯蓮が皇太子であることを忘れるほどに楽しい気分を味わうことができた。
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