第40話 ステージの先にあるもの
白い光を反射させる床に、うろうろするうちの姿がはっきりと移っていた。
美緒ちゃんは難しい顔で腕を組んだまま椅子に座っている。
エリちゃんの発熱。出ると言うエリちゃんに、休んで欲しいうち。
とりあえず、美緒ちゃんに連絡して、事務所が懇意にしている病院に向かうことになった。
タクシーの中は無言で、だけど、お互いの手は繋がっていた。熱があるのに手だけは冷たくて、うちはなんだか泣きたい気持ちになる。
診察が終わり、うちと美緒ちゃんは中に呼ばれた。
「エリちゃん」
中に入れば、エリちゃんが診察台に座っている。
真剣な顔をしたエリちゃんに近づく。
うちが前に立った瞬間、エリちゃんはは言い放った。
「出る、絶対」
「その熱じゃ」
「いや、出る」
エリちゃんはぷいと顔を横に逸らせてしまう。子供のような仕草。だけど、その中身は頑固一徹。
取り付く島もない状態に、うちは最終決定権を持つ美緒ちゃんに助けを求める。
「美緒ちゃーん」
うちの情けない声に、美緒ちゃんは微塵も反応しなかった。
ただ静かにエリちゃんの前に立つ。
「小田切どうする?」
「熱だけです。動けます」
きっぱりとした口調でエリちゃんは言う。もう出ると決めていた。
だけど、熱の高さも、朝の顔の赤さも知っているうちとしては、心配でしかない。
大体、今日の仕事はいつもと同じじゃない。
アイドルバトル。どんな負荷がかかるかも未知数なのに。
うちはエリちゃんの手をそっと掴んだ。
「休んだ方がいいって!」
「いや。絶対、出るの」
振り払われることはない。だけど、手から伝わる熱は変わらず高い。
どうしていいか分からなくて、立ち尽くすうちの脇で美緒ちゃんと先生が話し合いを始めた。
「どうですか?」
「感染ではないみたいです。おそらく、疲労が発熱として出てるんだと思います」
「熱さえ下がれば、動いても問題ないですか?」
美緒ちゃん、と言いそうになった。その言葉をうちはぐっと押しとどめる。
だって、それは、エリちゃんが出ることを認めているようなものだから。
美緒ちゃんの言葉に、対峙している先生は、眉間の皴を少しだけ深くする。
先生の視線がちらりとエリちゃんの様子を確認した。美緒ちゃんの視線もエリちゃんに移る。
「……熱が出ている時点で、体には無理が来ています。お勧めはしません」
「どうしても、出たいんです」
エリちゃんは、きっぱりと答えた。
うちは、その隣で唇を噛む。だってそうじゃないか。綺麗で可愛い恋人が、無理をしてまで仕事に行くというのだ。しかも、うちには止めることができない。
アイドルバトルの優勝なんて、どうでもいい。同棲だって、別にこっそりすればいい。そんな公にする必要はない。
だけど、きっと、エリちゃんの中には、はっきりとしたアイドルの区切りができている。アイドルとして、エリちゃんはそれを守りたい。
アイドルとして。アイドルが好きなうちは、アイドルが頑張る姿を止めることができない。
少しも視線をそらさないエリちゃんに、先生がため息とともに答える。
「点滴をして、熱が下がらなかったら諦めてください」
「ありがとうございますっ」
エリちゃんが嬉しそうに頭を下げる。
うちは天井を見上げた。やっぱり、こうなった。そして、エリちゃんはきっと熱を下げる。
これは、もう、確信に近い予感だった。
静かに頷いただけの美緒ちゃんと目が合う。うちは、恨みがましく美緒ちゃんの名前を呼んだ。
「美緒ちゃん」
「下がらなかったら、休みだ。あとは天に任せるしかないだろう」
「止めてくださいよ」
「運も実力のうちだ」
「そんなの……」
天に任せたことにならない。
美緒ちゃんは、楽し気に口の端を釣り上げる。心配はしているのだろうけど、この展開に面白さを感じているのも事実なのだろう。
アイドルプロデューサーとしては、持って来いの展開だから。
うちは唇を噛んだ。
「瀬名なら、わかるだろ」
美緒ちゃんの言葉に、うちは顔を横に向けた。
わかるなんて、絶対に言いたくない。聞き分けのない子供の様な顔になっていたに違いない。
「わかりません」
「そっか……それも、一興だな」
美緒ちゃんは静かに笑う。
その隣で、エリちゃんの点滴の準備だけが粛々と進んでいた。
*
「エリちゃん、無理はダメだよ」
エリちゃんの熱は下がった。
顔色も真っ赤なリンゴみたいな色から、いつもの透き通るような肌色に変わっている。
だけど、その下には儚さが隠れているように感じられた。
タクシーで移動したテレビ局。結局遅れることもなく、現場入りすることができた。
荷物を置いて、着替えて、メイクして、すっかり、うちの前にはアイドルの小田切エリが出来上がっていた。
「分かってるって。大丈夫、もう全然熱もないから」
「そうだけど」
心配するうちに、エリちゃんはそう言って笑うだけ。
唇を尖らせ話し続けようとするうちに、エリちゃんは人差し指を唇の前に立てる。
うちはその手とエリちゃんの顔を交互に見つめるしかできない。
静かな笑顔には、邪魔できない何かが輝いていた。
「絶対、勝ってくるから……待ってて」
「エリちゃん」
ここまで聞きたくない勝利宣言もない。
だけど、エリちゃんがあんまりにも、可愛らしく、カッコよく笑うから。
うちは、諦めたように、いや、心を切り替えて、エリちゃんに笑い返した。
「絶対、大丈夫。エリちゃんは、うちのナンバーワンアイドルだから」
「弱くない、それ?」
「エリちゃーん……」
やっと言えたのに、そりゃないよ!
情けない声を出したら、エリちゃんはにっこりと悪戯な笑みを浮かべた。
「ふふ、嬉しいよ。レイのナンバーワンなら、優勝しなくちゃね」
うちはそう言ってスタジオに入るエリちゃんの背中を見つめた。
あとはもう祈るだけ。
着々とスタッフさんたちが集まり、少しずつ雰囲気が変わっていく。
何もできないうちは、胸の前で手を組みその様子を見ていた。
それにしても。
「うちの彼女が、スパダリすぎる」
「その表現は、どうなんだ?」
独り言のつもりだったのに、いつの間にか隣に来ていた美緒ちゃんに突っ込まれる。
呆れ顔のプロデューサーに、うちは神様を語るみたいに伝えた。
「いや、可愛くて、カッコよくて、アイドルって……エリちゃん、属性積みすぎじゃないですか」
「それが現実ってもんなんだよ。物語みたいに綺麗にいかない」
美緒ちゃんがセットに目を向ける。
アイドルバトルに出場する8人が横並びになっていた。
エリちゃんは真ん中。やっぱり、彼女にはセンターが似合う。
美緒ちゃんも同じことを思ったのか、小さく頷いて、それからうちへ視線をスライドさせる。
「だからこそ、物語みたいな奇跡に感動するんだから」
「勉強になります」
それがプロデューサーの視点なのか。
エリちゃんは物語なら主人公だ。ならば、うちは、エリちゃんを一番輝かせたい。
「見てみろ、瀬名。小田切はきっと、やるぞ」
にぃっと口角を釣り上げて笑う美緒ちゃんは、きっと誰よりも興奮していた。
勝っても負けても美緒ちゃんには、エリちゃんが何かを起こす姿が見えている。
いや、エリちゃんは負けないだろうけど。体調さえ持てば。
『では、アイドルバトルの開始です!』
その宣言と同時に、うちは胸の前で手を組んだ。
アイドルの神様なんてものがいるか知らない。だけど、うちはエリちゃんの努力を知っている。
エリちゃんが無事に帰ってきますように。そして、できれば彼女の願いが叶いますように。
それくらい、願っても罰は当たらないと思う。
一緒に罰ゲームをしたら、同期のトップアイドルの心の声が聞こえるようになった件 藤之恵 @teiritu
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