第39話 アイドルの証明
「ねぇ、レイはどの曲が好き?」
呼びかけられて、エリちゃんの側に寄る。
アイドルバトルまで、うちにできるのはエリちゃんのサポートだけだ。
いつものソファでエリちゃんはタブレットを弄っている。その画面をのぞき込んで、うちは目を瞬かせた。
「え、本当に、『ふたりどこまでも』を歌うの?」
「うん、これにする」
こくんと小さく頷くエリちゃんに迷いはない。
「ふたりどこまでも」は、うちらが公認カップルになった時に作られた曲で、今でもたまに歌わせてもらっている。
うちとしては数少ない二人組の曲だ。だけど。
「ソロの曲もあるんだし、そっちがいいじゃん」
「これで、優勝したい」
アイドルバトルは歌唱とダンスが一緒になっている。
これは人数が多いグループアイドルの方が不利になる。
だって、今まで覚えなくてよかった部分を覚えたり、ソロのために変化させた振付を入れないといけないから。
そんな中で、エリちゃんは、わざわざソロじゃなくて、二人の曲を選ぼうとしている。
他の自由曲はソロなのに。
「エリちゃん、うちさ、本当にエリちゃんは凄いアイドルだと思ってるんだ。だから、わざわざ二人の曲を歌わなくても」
うちは、止めた。
ただでさえ、今回のアイドルバトルでは逆風が吹いている。
ここで「ふたりどこまでも」なんて歌った日には、ネットの炎上は目に見えている。
審査員がどう取ってくれるかまでは、予想できないけれど。
「アイドルって、何だろうね」
「え?」
ドキリとした。エリちゃんの灰色がかった瞳が、うちを真っ直ぐ見つめている。
「アイドルって、ただ歌って踊れるだけじゃ、売れない」
「うん」
「わたしが推されてるのだって、実際はよく分かんない」
いや、エリちゃんは、推されるべくして推されているアイドルだけどね!
だけど、確かにどれだけスキルがあっても、可愛くても、不思議と売れない子がいるのもアイドル業界の事実だった。
少しだけ首を傾ける。うちだって、そんなことにはっきりとした答えは持っていない。
「美緒ちゃんの考えは誰にもわかんないよ」
美緒ちゃんも、他のグループのプロデューサーも、頭の中がどうなってるかなんて分からない。
アイドルバトルなんて企画を考える時点で、ただのアイドルのうちらとは次元が違うのだから。
少しの沈黙。エリちゃんの指が、そっと「ふたりどこまでも」の曲名に触れていた。
「星野麻友が伝説になったのは、自分があったからだと思うんだ」
自分があったから。うちは、エリちゃんの言葉に固まった。
星野麻友さんのセルフプロデュース力の凄さはよく話題になる。
彼女は自分がどう求められているか、理解していた。そして、求められているままに、アイドルをすることができた。
今でもはっきりと眩しい彼女の笑顔を、うちは思い出せるし、元気をもらえる。
それがアイドル。
だけど、エリちゃんがそれを今持ち出す意味が分からない。
「だから、アイドルバトルは徹底的にレイとの公認カップルで行きたい」
「それ以外にも、良いの一杯あるでしょー……」
真剣にそんなことを言うから、うちは苦笑するしかなくなる。
わざわざアイドルとしてのバトルで、弱点でしかないカップルなんて単語を使うなんて馬鹿げている。
そう思ううちがいる中、この素直な頑固さがエリちゃんらしさだと思ううちも確かにいて。
拗ねたように頬を膨らませるエリちゃんの頬に指を添える。
「わたしは、これがいいの」
すりすりと甘えてくるエリちゃんに、うちみたいな端組のアイドルが一体、何ができるだろうか。
暖かくて柔らかい感触に、うちは降参したように肩を竦めた。
「わかった。じゃ、うちも手伝う。アイドルバトルも、側で見る」
「二人は出れないよ?」
「マネージャーでいいから!」
きょとんとした顔で、当たり前のことを言う。
こんなとこだけ天然なんだから。
うちは苦笑を深めた。
「エリちゃんは一人で背負える人だろうけど。公認カップルくらいは、うちと一緒に頑張ろうよ」
スタクラを背負って、センターを背負って。うちだったら、どっちか一つだけでも逃げ出したい。
だから、せめて、うちの名前が入っている奴くらい、手伝いたかった。
ふにゃりとエリちゃんが頬を緩める。
「レイ、ありがと」
「こちらこそ」
まるで女王様に忠誠を誓う騎士のように、うちはエリちゃんの頬にキスをした。
*
アイドルバトルの日まで、うちはエリちゃんのサポートに手を尽くした。
まぁ、前の幽霊騒動のときも、ほぼずっと一緒にいたから、それに比べれば楽なものだ。
エリちゃんの予定を把握して、過ごしやすいようにする。エリちゃんの家は、レッスン室から遠いので、自然とうちの家にいる時間も増えた。
課題曲も自由曲も、出来は完璧。
いやはや、大人数の曲をここまで一人で歌えることに、感服してしまう。
「エリちゃん、良かったよ! 天才、可愛いっ、大好き!」
「ありがとう」
毎日褒めすぎて、使える言葉がない。まるで五歳児のように褒めちぎる。
そんなうちを見て、エリちゃんはただ笑ってくれた。
最後のレッスンを終えたエリちゃんの額には汗、通しで2曲を三回。息が少し上がっていた。
タオルを渡して、しっとりとしているエリちゃんの髪の毛を軽く拭く。
「これで、優勝できるかな?」
「できるよ。間違いなく」
元々、優勝するだろうと思っていた。
だけど、ここ数週間のエリちゃんは鬼気迫っていて、迂闊にメンバーも触れられないくらいだったのだ。
あとは、本番に備えるだけ。そう思っていたのに。
「んんぅ」
「エリちゃん、時間だよ」
アイドルバトル本番の日。珍しく東京でも雪がちらつくような寒い日だった。
部屋で寝ているエリちゃんを起こしに行く。うちはリビングで寝ていた。未だに、一緒に寝れないヘタレとか言わないで欲しい。
「……エリちゃん?」
エリちゃんは寝起きが悪い。一緒に寝起きするようになってから知ったこと。
呼びかけただけじゃ起きないので、布団から出ている頬を指でつつく。
え、とうちはすぐに違和感を覚えた。
エリちゃんの瞼が上がる。まだ現実を認識していない瞳だ。
「今、起きるよ」
布団から出ようともぞもぞするエリちゃん。
その頬が赤い。
うちは、エリちゃんの肩を押し戻した。
それから、両掌でエリちゃんの顔を挟む。
「……熱いよ」
「え?」
「めっちゃ、熱あるって」
目を丸くしてうちを見るエリちゃん。
うちの頭をすべきことが駆け巡る。
触っただけで熱い。かなりの高熱だ。
休んで欲しい。
だけど、エリちゃんは絶対に出るって言うんだろうなと、もはや絶望さえ覚えるくらい確信していた。
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