第36話 特別にしたい人
『公認カップルになるなら、覚悟を決めないとね』
星野さんが言った一言が、うちの頭にこびりついていた。
今日は久しぶりのピンの仕事。とはいえ、厳密には一人ではない。
うちのピン仕事の多くは、絢さんが関係しているから。この仕事になるとエリちゃんが少し不機嫌になる。
今日の朝も『デレデレ禁止!』なんてメッセージが来たくらいだ。
「瀬名さん! 対談見ましたわ。他のアイドルとは違った深みがあって、大変興味深かったですわ」
「あはは、ありがと。うちが星野さんのファンだからだろうね」
星野さんとの対談は早速ネットニュースになっていた。
絢さんは購入してくれたらしく、会った瞬間から感想を伝えてくれる。
公認カップルの部分はカットされていた。
いや、カットしてくれたのだろう。星野麻友が載せないと言えば、載らない。
彼女の影響力は、まだこんなに大きい。
それは、アイドルとして完璧な終わり方をしたからだ。
「星野さん、すっごく、ちゃんとした人だった」
格好も、考え方も、一本筋が通っている。
ちゃんとした大人で、ちゃんとしたアイドル。
どうすれば、ああなれるのか。いくら考えても答えは出ない。
「伝説のアイドルですからね……私にとっては、瀬名さんの方が輝いてますわよ」
絢さんがいつもの調子で距離を詰めて来る。
だけど、今のうちに、それを笑い飛ばせる余裕はない。
伝説のアイドル。その響きが重かった。
「伝説って呼ばれるのが、もう凄いんだよね、きっと」
「瀬名さん?」
ため息交じりのうちの言葉に、絢さんは訝し気にこちらを伺う。
「星野さんは、アイドルとして何も汚さずに終わらせた。だから伝説になれた」
「……辞めることを考えているのですか?」
さすが、こういう所は鋭い。
うちは肯定とも否定ともとれる顔の動かし方しかできなかった。
それは、そのまま、うちの迷いで、芯がない証拠。
「うちは、端っこでもアイドルになれて嬉しかった。だけど、そろそろ考えなきゃいけないかなって」
「まだまだ、行けますよ! 同い年の小田切さんがセンター争いをしてるんですから」
絢さんはそう言ってくれる。きっとうちのファンの人なら、そう言ってくれる人はある程度いる。
だけど、うちは、自分とエリちゃんを並べられるのが許せない。
カップルなら良い。だけど、アイドルとして同じ位置に並ぶことは、アイドルへの冒涜でしかない。
「エリちゃんは特別だよ」
口にして、違和感。
エリちゃんは特別だ。それに間違いはない。
あるとすれば。
「違うな……うちが、特別にしたいんだ」
自分がトップに立つより、センターに立つより、エリちゃんがいる方が嬉しい。
そう思ってしまった人間にアイドルの資格はあるのだろうか。
むしろ、エリちゃんを輝かせるために引いた方が、良いのではないか。
この間の美緒ちゃんとの会話から、ずっとそんなことばかり、頭の中を回っていた。
「瀬名さん、それは」
絢さんが戸惑った顔で、うちを見る。
ヘタレな端っこのアイドルが考えるには、大それたことだろう。
わかってる。わかってても、うちはエリちゃんのために何かしたい。
「そんなこと言っても、うちにできることは大して無いんだけどね!」
たはは、と誤魔化すように笑った。
だけど、絢さんには通じなかったみたい。
うちの笑い声が静かな笑顔を浮かべた絢さんに吸い込まれていく。
「……もし、瀬名さんがアイドルじゃなくなっても、私は貴女が好きです」
「ありがと、絢さん」
うちは目を伏せた。
まっすぐにそう言ってくれる絢さんに、どんな顔をしていいか分からなかった。
*
ピンの仕事の後は、エリちゃんが部屋にくる確率が高くなる。
言われたことは無いけど、きっと会いに来てくれているのだろう。
ちょっとだけ恋人らしい部分が見え始めて、そのエリちゃんはアイドルのエリちゃんより大分、不器用だった。
「アイドルバトルの準備はどう?」
ソファでぷよかわのクッションを抱きしめているエリちゃんの隣に座る。
クッションに顔をうずめるエリちゃんは幼さ倍増。とても可愛らしい。
今日はレッスンだって言ってたから、疲れたのだろう。
「まだ、何も。内容も知らされてないから、基礎トレくらいかな」
「そっか、何か手伝えることがあったら、教えてね」
「ありがと。でも、レイ……ダンスレッスン残されてたよね?」
「その通りです。面目ない」
指摘されてすぐに頭を下げる。
はい、エリちゃんの手伝いができるスキルがあるなら、うちは端っこを温めていません。
うちの変わり身の早さに、エリちゃんが小さく噴き出した。
それから、顔の周りの艶やかな黒髪を手で整えると、上目遣いでうちを見て来る。
ぷよかわとの合わせ技で可愛さ抜群だ。
「レイって、バラエティーだと反射神経悪くないんだし、踊れると思うんだけどな」
「それとこれとは、話が別なんですよぉ……」
バラエティーの反射神経は、本当に反射だ。
どうしたらよいとか、どうすればいいとか考える暇もない。
必死にやってるだけ。
情けない顔をしているだろううちに、エリちゃんが「うーん」と首を傾げた。
「レイはちょっとミスすると止まっちゃうから。気にせず踊ればいいのに」
「完璧に踊れる人には分かりませんよ」
「完璧じゃないよ?」
ちょっと拗ねたように言ったら、返す刀で鋭く切り込まれる。
アイドルのエリちゃんは、完璧で、だからこそ、無意識で容赦ない部分がある。
だからこそ、完璧なイメージが作り上げられたのだろうけど。
「完璧だって思って踊らないと、踊れないじゃん」
堂々とした答えに、うちは感嘆のため息を吐いた。
「めっちゃ、アイドル……アイドルバトル優勝間違いなし」
「れーいー」
お手上げというように両手を顔の脇にまで上げる。
いや、エリちゃんがアイドルバトルを勝つと思っているのは本当だけれど。
あまりにもアイドルのエリちゃんが、輝いていて、うちの弱っている部分に刺さった。
「ほんと、他のメンバーも見たけど、エリちゃんが一番だよ」
「そうかな。放課後シェイクズのジュンちゃんとか、凄いと思うけど」
「あー……ジュンちゃんね」
エリちゃんの上げた名前に、天井を見上げる。
ジュンちゃんはアーティストを目指していると公言していた。ダンススキルも歌唱力も磨かれていて、ずば抜けている。
ショートカットの黒髪なところも、新鮮で美しい。綺麗系のアーティストさんのようだ。
確かにスキルで言えば、良いライバルかもしれない。
うちが頷いていると、エリちゃんがぼそりと呟いた。
「でも、勝ちたい」
「珍しいね」
エリちゃんはこういう勝負の時、気持ちを表にしないタイプだ。
吸い込まれそうな黒曜石の瞳が、まっすぐ前を見ていた。
横顔さえ芸術品。
うちは、ただそれに見とれていたら。
「アイドルバトル、優勝したら、同棲オッケーだって」
「へ?!」
「選抜された時、優勝したら何が欲しいか聞かれたから」
ふにゃりとエリちゃんの顔が緩む。
えっと、優勝したら、同棲って聞こえたんだけど。
まさか、そんなことを、この子は素直に言ったのか。
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、うちはエリちゃんに確認した。
「答えたの?」
「うん」
「そっ……かぁー」
やっぱり、エリちゃんは素直だ。
アイドルの光を凝縮したみたいな存在。
美緒ちゃんだったら、その願いでもオーケーするだろう。
だけど、他のアイドルの風当たりや、ファンからどう思われるかは考えられていない。
うちの反応に、エリちゃんは眉を下げた。
「ダメだった?」
「ううん、応援する。全力で」
「ありがと」
うちのために、優勝すると言っているアイドルを、彼女を応援しない人間がいるだろうか。
絶対、いない。
そんな人間がいたなら、ぜひ連れて来てほしい。正しいオタクの反応を植え付けてあげる。
応援はする。全力で。
だけど、その前に、うちはエリちゃんに話しておきたいことがあった。
「エリちゃんに話があるんだ」
きょとんとしたエリちゃん。
この顔を曇らせるかもしれないことに、うちはぎゅっと口元に力を込めた。
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