第35話 伝説との対峙


 控室には数人のメンバーがいた。それぞれが仲の良い子と固まっている。

 うちの隣には、もちろん、エリちゃん。

 エリちゃんはスマホで、ソファを見ている。一人で使うには明らかに大きい。うちは、ちらちらとエリちゃんを横目で伺う。


「レイ、こういうの、使いやすそうじゃない?」

「うちは自分の分だけだから、エリちゃんが好きなの選んでいいよ」


 今の部屋に置いてある家具は、新しい家では自分の部屋に置かれるか捨てることになる。

 リビングに一番いるのはエリちゃんだ。だからエリちゃんが好きなのを置いて欲しかった。


「……リビングに置くんだから、二人とも気に入ったやつがいいと思う」


 かっわいい。

 漏れそうになった心の声は、どうにか押しとどめる。

 少し尖がった赤い唇が瑞々しく輝いている。どうやら、二人で選びたかった様子。

 綺麗と可愛いの二刀流は、色々危ないと思います。


「そうだね、うん、そうしよう。エリちゃんはどれが気にいったの?」

「わたし? わたしは――」


 もはや、何でもいいんだけど。エリちゃんが好きなものを選びたい。

 うちはきっとデレデレの顔をしていた。

 と、いきなり扉が開かれる。その勢いに楽屋の視線がすべて集まったが、すぐに散っていく。

 ゆうなが慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。


「瀬名っち!」

「なに、ゆうな、どうしたの? 今、エリちゃんと忙しいんだけど」

「レイ」


 わざと素っ気なく言ったら、エリちゃんに肩を叩かれる。

 エリちゃんは優しいなぁ。端組のコミュニケーションは塩が基本なのに。

 うちは改めてゆうなに向き合った。


「どうしたの、ゆうな?」

「小田っちは優しいわ、瀬名っちには勿体ないんじゃない」

「知っとるわ! で、どうしたの?」

「あ、そうそうっ。これ、見て!」


 いつものやり取りをしつつ、ゆうなの差し出したスマホの画面をのぞき込む。

 アイドルのニュースは目を通しているつもりだ。だけどバラエティーに出ることも多いゆうなは、かなりの数のニュースに目を通している。


『星野麻友、電撃復帰の内容!』


 そう書かれたタイトルの記事には、星野麻友が本格的に復帰することが書かれていた。

 アイドルバトルの審査員が復帰後、最初のテレビ出演になるらしい。

 何度も画面をスクロールしたが、その内容は変わらない。


「え」

「星野麻友さん、本格的に復帰するんだ」


 固まるうちの隣からエリちゃんも画面をのぞき込む。純粋に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 ゆうなは、うちとエリちゃんの対照的な反応にニヤニヤしている。


「エリちゃん、それだけじゃないんだよ。星野麻友は、瀬名っちの憧れてるアイドルなんだよ」


 わざとらしく、人差し指を立てて横に揺らす。

 うちは顔をしかめた。美緒ちゃんと同じようなことを言う。


「ちょっ……ゆうな、なんで、それを」

「あたしたち、端っこ組の絆を忘れたの? オーディションで同じグループだったでしょ」

「あー……よく覚えてるね」

「ネタになりそうなことは、忘れないのですよ」


 こういう所で才能を発揮しないで欲しい。

 呆れ半分尊敬半分で言えば、ゆうなは鼻の頭を掻く。

 エリちゃんは初めて知ったのか、目を大きくして内を見た。


「レイ、星野麻友さんに憧れてるの?」

「はい。身の程知らずにも程があるけど……そうなんです」

「ええ? 別に変じゃないし、星野麻友さん、わたしも大好きだったし」


 ちょっとだけ緊張する。

 うちみたいな端常連が、その名前を口に出すほど正統派アなイドル。それが星野麻友だ。

 エリちゃんが言うなら、何も問題はないのだけれど。

 ゆうなが脇道に逸れかけた話を戻すように、スマホ画面をもう一度指さした。


「ちょっと、瀬名っち。君は重要な所を読み飛ばしてるよ」

「え、何?」

「ここ!」


 ゆうなが指で画面を叩く。

 最後の方は審査員を務めるアイドルバトルについての説明がほとんどだ。

 うちはゆうなの指の先が示す部分から、ゆっくりと読み上げた。


「――星野麻友のテレビ復帰は『アイドルバトル』の審査員が予定されている。その前に、今のアイドルとの対談企画が用意されており」


 息が止まる。そこにはうちの知らない情報が書いてあった。

 大きく息を吸い込んで吐き出す。


「――スターライトクラウンからは、瀬名レイが対談する。って、ナニコレ」

「対談するんでしょ、瀬名っちが」


 にやりと笑うゆうな。エリちゃんはその隣で「すごい」と手を合わせている。

 いや、待って。本人が一番、ついていけてない。

 うちと星野麻友。対極過ぎる二人が対談。一体、何を?

 握手会で目の前に立った時は、固まった思い出しかない。


「まじでーーーっ?」

「……レイ、ほんとに、星野麻友さんが好きなんだね」


 事実を認識したオタクの本能が、大声を出させた。

 興奮と、どうしようが、ごちゃごちゃに混ざり合う。

 我を失くしたうちは、エリちゃんのちょっと冷ややかな視線に、現実に戻された。


 *


 戸惑う間もなく、その日は来た。

 アイドルバトルの選抜は恙なく終わり、スタクラの代表はエリちゃんになった。他のグループも決まってきているのだろうけど、正式発表はまだない。

 対談する場所はホテルの部屋で、いつもとは違う空気に喉が渇いた。


「初めまして、よろしくお願いしますっ」

「こちらこそ。久しぶりだから、お手柔らかにお願いします。瀬名レイちゃん、だよね」


 星野麻友は、引退しても星野麻友だった。

 肩より少し長いくらいで切りそろえられたボブ。さらさらと薄い茶色の髪の毛が揺れていた。

 色素の薄い琥珀色の瞳は、にっこりと猫のように笑う瞼に縁どられて、とても魅力的。

 あの星野麻友が、うちの前にいた。

 生唾を飲み込みつつ、椅子に座る。


「今日は来てくれてありがとう。今のアイドルの子たちと話してみたいって言ったら、こんな事になっちゃって」

「いえいえっ、うちも含めて、星野麻友さんに憧れている子は多いので……むしろ、なんでうちなのか分からなくて」

「そうなの? 嬉しいなぁ」


 ゆったり笑う。そのフェイスラインが完璧で、見とれた。

 引退した後でも、人はこんなに美しさを保てるものなのだろうか。

 と、スタッフさんがお題を持ってくる。どうやらこの中から選んで話す形の様だ。

「理想のアイドル像」「美の秘訣」「アイドル時代秘話」「復帰について」「アイドルと恋愛禁止」

 並ぶ内容は中々刺激的で、うちは目を忙しなく動かす。

 だって、どれも聞きたくて仕方ない。


「じゃ、何から話そうか」

「あのっ、うち、アイドル時代の星野さんについて、聞きたいことがあって」

「じゃ、それにしよう」


 優しい笑顔と共に、対談が始まる。

 とても話しやすい。言葉に詰まるうちを急かさず待っててくれるし、関西出身だからかテンポが良い。

 人誑しの才能がある。だからか――つい、話し過ぎてしまった。


「うち、星野さんがコメントで『私の青春全てに彼はいます』って見て……なんというか、負けたなぁって思ったんです」

「何に?」

「うち、星野さん、ほんとに大好きで。もちろん、結婚も祝福したんですけど……アイドルって恋愛禁止じゃないですか」

「私のころはまだ、無かったけどね」


 肩を竦める姿に頷く。

 恋愛禁止が堂々と打ち出されるようになったのは、星野さんが引退した後から。グループアイドルが宣伝のように使ったのが始まりだ。


「恋愛って結局禁止されてても止められない人が多いじゃないですか。しかも、あのコメントするまでは、大きなスキャンダルにもならくて……その上で青春全てにいるって、すごいなぁって」

「ありがと」


 もはやアイドルとして対談しているのか、ファンとして対談しているのか、分からなくなる。

 うちは星野麻友の芯の通ったアイドル人生が好きだった。

 それが、ファンとしての、人としての本音。

 照れたように笑った伝説のアイドルは、すっと瞳を細めた。


「それで、瀬名ちゃんは、どうなの?」

「え?」

「今度アイドルバトルに出る子と、公認カップルなんでしょ?」


 伝説のアイドルは、観察眼も鋭い。その上、情報も把握されているようだ。

 一気に形勢が逆転する。

 うちは首元に白刃を突きつけられたように、ひくりと頬を引きつらせるしかできなかった。

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