第34話 伝説に最も近い存在


 エリちゃんが部屋に来るようになったので、うちの生活環境も改善した。なんて、訳もなく。

 うちの寝室は物に溢れていた。好きなキャラのフィギュアや漫画、小説、アニメやアイドルの円盤が積み重なっている。ベッドへの道だけが確保されている。

 リビングが綺麗になった分だけ、こっちに荷物が来た。

 そんな荷物の中で、うちは布団をかぶって、睡眠を貪っていた。


「あい」


 ブブブブ、振動するスマホを掴む。貴重な睡眠時間を短縮させてくれた。

 名前も見ずに耳にあてたら、聞きなれた声が大音量で響いてくる。


『ちょっと、瀬名っち、寝てる場合じゃないよ!』

「なに……もう遅いでしょ」


 少なくとも、そんな大声で言われる必要はない。

 スマホを耳から離したのに、ゆうなの声は変わらず響いている。


『ラジオ、ラジオ聞いてなかったの?!』


 ラジオ。今日のラジオはエリちゃんのオールナイトだ。

 ファンなら、かじりついてでも聞くべきだろう。

 だが、うちは聞いてない。なぜなら。


「エリちゃんのラジオは、録音してお昼に楽しむのさ」

『さすがオタク、録音まで完璧……ってそういうことじゃなくて! サプライズだよ』

「……はぁ?!」


 サプライズ。スタクラでは名物になっている。

 ライブや握手会ではサプライズを心配して身構えるメンバーがいるくらいだ。

 だが、個人のメンバーのラジオでサプライズ発表は初めてじゃないだろうか。

 うちは起き上がり、スマホをチェックした。

 もはやネットニュースに上がっていた。


『アイドルバトル開催決定!!』


 大きなタイトルがすぐに出てきた。

 類似記事も多く並ぶ。その一番上に来ている記事をうちは開いた。

 画面をスクロール。急いで内容を確認する。


「スタクラ以外も、参加するの?」


 スタクラ以外も参加すると書いてある。アイドル業界全てを巻き込んだ大きな企画だ。

 今のアイドル業界は、細分化が進んでいる。それぞれ被らないようにしているので、直接対決は難しい。

 だからこそ、誰がトップアイドルなのか知りたい。そう思うファンは多い。

 うちだってアイドル好きとして興奮していた。

 それぞれの事務所から選抜されたメンバーによる対決。選ばれるメンバーのプレッシャーは半端ないだろう。

 スタクラで選抜されるのは、きっとエリちゃんだ。

 と、最後まで記事を辿って、うちは指を止めた。


「審査員、星野麻友って……嘘でしょ」


 それは伝説のアイドルの名前だった。


 *


 アイドルバトルの話が出て、数日。

 今のところ、選抜の話は出ていない。楽屋はその話で持ち切りだ。

 うちは選ばれない自信があった。なので、傍観者に徹していたのだけれど。


「さて、呼び出し理由はわかるかな?」


 美緒ちゃんからのお呼び出し。

 これがエリちゃんだったら、間違いなく選抜の話だと思われただろう。

 だけど、うちだと、憐みの視線で見送られる。まったく、人生は不公平だ。

 ジャージで高そうな革張りの椅子に座っている美緒ちゃんは、こちらを見透かしているように見る。


「エリちゃんとの同棲についてですか?」

「さすが、瀬名。よく分かってるじゃないか」


 美緒ちゃんの笑顔に、うちは肩を竦めた。

 アイドルバトルの選抜の話じゃない。だけど、うちに関係する話。そんなもの、ほぼエリちゃんの話に決まっているのだ。

 そして、エリちゃんがこの頃、熱を上げているのは同棲で、きっと素直に美緒ちゃんに相談したんだろう。


「……評判が良くないですよね」


 美緒ちゃんの反応を伺う。

 エリちゃんのファンは正統派アイドルのエリちゃんを好きな人が多い。

 プロデューサーとして、同棲は表立って反対はできないが、賛成するのも難しいだろう。


「公認カップルから、同棲企画まで、全部準備したのは私だ」

「ご迷惑、おかけしてます」

「いいんだよ。アイドルは面倒な方が面白いだろ」


 美緒ちゃんがにっと悪い顔をする。ひらひらと手を振る姿に、マイナスの感情は見えない。

 美緒ちゃんのプロデュース方法は心臓に悪いけど、だからこそスタクラが一定の人気を保っているのも確かだった。


「瀬名は、理想のアイドルはいるか?」

「……います」


 滅多に向けられない話。美緒ちゃんが何を考えているか分からない。

 うちは訝しみながらも、素直に答えた。

 理想のアイドル。今はエリちゃん。だけど、昔からなら。


「星野麻友」


 うちが答える前に美緒ちゃんがその名前を口にした。

 アイドルバトルから、本当にこの名前をよく聞く。

 うちは小さく唇を尖らせた。


「わかってるなら、聞かないでくださいよ」

「すまんすまん。アイドルとして傍流を走る瀬名が、正統派すぎる名前を挙げたから印象的でなぁ」


 からかうように美緒ちゃんは笑顔を浮かべた。

 そんなにうちが星野麻友を理想のアイドルに挙げるのは変だろうか。

 美緒ちゃんは頬杖をつくと、指で自分の頬に触れた。

 探るような視線に試されている気分になる。


「星野麻友に一番近いアイドルは誰かな?」

「うちの意見で、いいんですか?」

「もちろん。アイドル、好きだろ。瀬名は」


 小さく頷く。きっとこの答えも美緒ちゃんは分かっている。

 いや、アイドルプロデューサーなら、他のアイドルも含めて、今の業界で一番のアイドルの原石が誰か分かっているだろう。

 アイドルバトルなんて、うちにとっては無意味だ。だって、王冠に相応しいのは一人だけ。


「エリちゃんです。160半ばのすらりとした身長と、クールなビジュアルを持ちながら、笑うと可愛くて、歌もダンスも頑張れる」

「ちょっと無理なスケジュールでもこなして、泣き言ひとつ言わない……何より、カメラの前にいれば、小田切は常に完璧だ」

「はい」


 続いた美緒ちゃんの言葉が、うちの体に染み込んでいく。

 カメラの前でミスをしない。それは、きっと何よりの才能だった。

 どんなに具合が悪くても、ステージだと元気に見える。なんて話がある。

 スターの適性。エリちゃんはそれを持っている。


「星野麻友に被るなぁ」

「ほっしーは、最後のソロアイドルって、言われてるくらいですから」


 美緒ちゃんの呟きにうちは深く頷いた。

 星のポーズを良く取っていた。サインもスターがちりばめられている物。

 徹底したセルフプロデュース力と実力で、アイドルを確立した。

 うちの言葉に美緒ちゃんの笑みが一層深くなった。


「じゃ、星野麻友の引退理由もわかるな?」


 心臓が大きく音を立てる。

 引退理由。もちろん、わかる。

 ネットで流れてきた書面の形さえ覚えている。

 ある意味、人生で一番覚えている映像かもしれなかった。

 深く息を吸い込む。あれが、星野麻友を伝説にした。


「……結婚です」

「完璧な引き際だった」

「あんなコメント出されちゃ、ファンは何も言えないですよ」


 アイドルの理想的な引き際。

 スキャンダルも、ほぼなく歩んだ。星野麻友は終わり方まで完璧だった。

 うちにとっての憧れ。それにもっとも近いのはエリちゃんだ。


「小田切に同じ道を踏ませるか?」


 だからこそ、美緒ちゃんの言葉はうちの胸に深く突き刺さった。

 スキャンダル。同棲はスキャンダルだ。

 いくらエリちゃんが喜ぶとしても、周りの評判はそうなってしまう。

 そうじゃなくするなら、綺麗なアイドル道を進ませるなら。

 瀬名レイの選ぶ道は一つしかないだろう。

 アイドル引退。その文字が頭の中に点滅した。

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