アイドルの境界線

第33話 甘い笑顔と苦い現実


 エリちゃんが、うちの家によく来るようになってから、変わったことがいくつかある。

 まず、ソファの上にクッションが追加された。エリちゃんが膝の上に乗せるからだ。

 ぷよかわのクッションをうちが手に入れて、渡したら、気に入ってくれたのだ。

 ゲーセンでぷよかわを普通に取れるアイドルって、どうなのかと思わないでもない。

 でも、エリちゃんがとても喜んでくれたから、良し。

 今もエリちゃんは姿勢よくソファに足を揃えて座っている。


「エリちゃん、真剣に何探してるの?」


 ファッション雑誌では、足を組んでいるポーズが多い。が、日常生活でも足を組む女優さんやモデルさんは結構少ない、らしい。

 足を組むと骨格のゆがみを生む。立ち姿やら歩き姿が優先される人たちにとっては死活問題。

 ということで、そういう仕事が多いエリちゃんも、きちんと足を揃えて、真剣な顔でタブレットを叩いている。

 そのタブレットはうちの。カバーがエイリスだから、エリちゃんとのギャップが凄い。これを撮ってSNSに載せたら、バズること間違い無しだ。


「あ、ありがとう、レイ。ココア?」

「甘くしてみた」

「甘い方が好き」

「ん、そうだよね」


 エリちゃんの邪魔にならないように、そっとテーブルにカップを置く。

 これも、変わったことの一つ。

 ソファとテーブルはエリちゃんの陣地。だから、うちが積み上げていた色々は窓際に絶妙なバランスを保つ塔になっていた。ピサの斜塔もびっくりだ。

 ニコニコしたまま飲み物に口をつけるエリちゃん。

 うちはその横顔を見つめる。だいぶ慣れた。だけど、まだ慣れない。

 毎日、見るたびに、可愛いなぁと思える。いつになれば、この恋心は落ち着いてくれるのだろう。


「あ、レイにも見て欲しいんだけど、これとか、どう思う?」

「うちにも関係すること?」


 エリちゃんに差し出されたタブレットをのぞき込む。

 そこにあったのは、家の間取り図と部屋の写真。

 ダンス動画とか、ポーズの話とか、そういうことを考えていたうちは不意を突かれる。

 エリちゃんがこの頃、よく口にする二人で住む家の話だ。


「あの騒動から、ほとんどレイの家にいるからさ。早めにおうち見つけたくて」


 固まったうちに気づかないまま、エリちゃんはココアに負けない甘い笑顔を見せる。


「……エリちゃん、本気で、一緒に住むの?」

「うん。企画でも一緒に住んだじゃん」

「そうだけど、あれは企画だし。実際に住むとなると、色々、美緒ちゃんにも相談しなきゃいけないんじゃないかな?」


 企画は企画。誰も本気で付き合ってる様子を見せろとは言われていない。

 いや、あの企画はキスくらいまではさせようとしてきたけれど。

 企画なので、プライベートではない。仕事になる。

 だけど、今エリちゃんが探しているのはプライベートなものだ。

 スターライトクラウンのトップを張る小田切エリが、明らかに二人暮らし用の部屋を借りたら、それはスキャンダルでしかない。


「プロデューサーも、反対はしないと思うよ」


 その自信は何から来るのか。詳しく聞きたい。

 首を傾げるエリちゃんに、うちはため息をかき消しながら深く頷いた。


「うん、そうだろうね」


 美緒ちゃんはすべて楽しむ人間だから。

 だけれど、エリちゃんが同棲するというのは、今までとは違う重さがある問題なのだ。

 公認カップルが、ほんとに付き合っていると思っているファンはどれくらいいるのだろう。

 アイドルにはガチ恋勢がいる。それをオタクなうちは何より知っている。


 うちのスマホの画面に『アイドル掲示板』という魔境の名前が並んでいた。


 *


 今日は久しぶりにスチール写真の撮影だった。一体何に使われるのか分からない写真たちが量産されていく。

 うちは順番待ちの状態。仕事の関係で、最初に撮ったエリちゃんはすでに終わって次の現場に行っていた。

 この分だと、最後だろう。今回のシングルも端っこも端っこだったのだから。

 時間を潰すために画面を眺めていたら、同じく順番待ちのゆうなに話しかけられた。


「なぁに、まだ、それ見てんの? ある意味、瀬名っちってメンタル強いよね」


 ゆうなはうちの画面を見て、顔をしかめた。

 まぁ、その反応もわかる。並ぶ文字は、綺麗なものとは言いづらかったから。


「市場調査みたいなものだし……公認カップルになってからは、特にね」

「ああ、確かに、あたしらみたいな隙間産業には必要なことだけど」


 ゆうなの言葉に頷く。

 エリちゃんみたいに、アイドルだけをしていれば売れる人とは違う。

 ドッキリやコメディ要員のうちには、見てくれる人の反応がとても大切。

 そして、エリちゃんとの公認カップルは、ある意味、風向きが変わりやすいものの代表だった。


『エリちゃんと瀬名って、本当にカップルなのかな』

『何を今更。瀬名エリ。公認カップル』


 瀬名エリとは、この頃よく見るカップリング名だ。

 うちとエリちゃんを表している。

 この人はきっと、百合カップルを楽しむ派。


『公認と、リアルにカップルなのは違うだろ?』

『確かになぁ……リアルか、どうかなんて、メンバー本人にしか分かんないだろう』

『エリちゃんが笑顔なら良い』

『瀬名エリの同棲企画良かったよなぁ。もう一回やって欲しい』

『リアルかは分からんが、百合はジャスティス』


 エリちゃんのファン、百合好き、その他のファン。

 それらが入り混じって、掲示板はどんどん流れていく。

 うちもスクロールして話の顛末を見つめた。


『いやいやいや。お前ら、実際付き合ってたら、ただ単なる恋愛スキャンダルだぞ?』

『小田切は理想的なアイドルだ。恋愛なんてするわけがない』


 ぴくりと頬がひきつった。

 そう、百合だろうと公認だろうと、恋愛がついた時点でスキャンダルなのだ。

 後ろから覗き込むようにしていたゆうなは、荒れていく画面に皮肉気な笑顔を浮かべた。


「うーん、混沌カオス

「表面的には、そこまで反対は出てないんだけどね」


 これくらいなら、優しい方。

 同棲企画のときは、もっと反対派が多かったから。

 だけど、ここにエリちゃんの同棲話が上がったら、その結果は火を見るよりも明らかだろう。

 ゆうなはうちの心を読んだように、顔をうちに向ける。


「エリちゃんの浮かれっぷりじゃ、どう転ぶか分からないと?」

「エリちゃん、良い子なんだ。本当に」


 アイドルとしてのミスは侵さない。

 だけど、プライベートでどこまでが許されるか、知らない。

 百合営業から初めてしまった上、エリちゃんがオタクとは反対の陽キャ属性なのも大きい。

 だから、うちはエリちゃんを守りたかった。


「アイドルとして、正統派すぎるから」

「あたしや瀬名っちだったら、ガチ恋勢少ないしね」

「エリちゃんはアイドルとして完璧すぎるから、そこを推してるファンに、うちみたいなのは邪魔だと思うんだ」


 アイドルの多様化が進む今。

 正統派アイドルとして売っていくのは困難を極める。

 技術力やビジュアルだけを追い求めるなら、韓流アイドルでも追いかけていた方が良い。

 日本のアイドル好きが、アイドルを好きな理由はまた違う。

 ゆうなはしたり顔でうちを見つめる。


「瀬名っちも、エリオタとして自分が邪魔なわけだ」


 頷くしかない。

 うちはアイドルが好き。だからこそ、正統派アイドルとしてのエリちゃんを好きなファンの気持ちが重々わかる。

 好きな人と同棲することが、好きな人の道を邪魔することになる?


「うちは、完璧なアイドルには邪魔でしかないんだよ」


 分かり切っていた事実に、うちは苦笑いを浮かべるしかできなかった。

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