第31話 エリちゃんと幽霊


 事務所に着くまでの間、うちはタクシーの中で貧乏ゆすりをしていた。

 勝手に気持ちが逸って駆けだしたくなる。

 もっと早く進まないかな、とタクシーで地団太を踏んでいた。

 事務所の前に着いた瞬間にタクシーから飛び降りる。


「っ、エリちゃん」


 階段を駆け上がり、事務所に突撃した。

 ばたんと大きな音が事務所の中に響く。

 キョロキョロと周りを見ていたら、そのまま美緒ちゃんの部屋に連れていかれた。

 つかまれた手首から、落ち着けと言われてる気がした。気分としては補導された学生だ。

 連れていかれた美緒ちゃんの部屋で、前見たのと同じソファにエリちゃんは座っていた。


「レイ、ごめんね。仕事終わりに」

「いいよ、いいよっ。気にしないで」


 座っているエリちゃんの顔色は悪い。色白を通り越して、血の気を感じないくらいだ。

 うちは美緒ちゃんに小さく頭だけ下げると、エリちゃんの前にしゃがみ込む。

 そっと触れる。氷のような冷たさだ。

 うちは両手を包み込むようにして、少しでもあっためようとする。

 険しい顔をしていたのか、エリちゃんを見上げたら顔を背けられてしまった。

 地味にショックを受けながら、うちは優しく問いかける。


「やっぱり、昨日、寝れなかったの?」


 寝れなかったら、電話してって言ったのに。

 含めないようにしていた想いは、それでも伝わってしまったみたいで、エリちゃんは叱られた子供のようにちらちらとこちらを伺う。


「……寝たよ?」


 うちは苦笑した。

 どれだけ、エリちゃんの顔を見ていると思うのだ。実生活も見れるオタクに死角はない。

 エリちゃんの華の顔に触れる。目の下にはっきりクマ。

 柔らかく触れば、くすぐったそうに顔を引かれた。

 明らかに寝てない。けど、そうは言わないエリちゃんに、うちは何も言わず、エリちゃんを見つめる。


「そっか。今日は、うちの家でいいの?」


 横顔でもほっとしたのがわかる。

 エリちゃんは眠そうな顔で、うちの手を頬に当てたまま、スリスリする。

 ああ、これは、かなり限界そうだ。


「……うん、レイの家がいい」

「了解です。じゃ、帰ろっか?」

「うん」


 頬に当ててた手がそのままエリちゃんの指に絡み取られる。

 うちの熱が少しでもエリちゃんを温めてくれればいいのにと思った。

 部屋を出る時に見た美緒ちゃんは、ただ静かに頷くだけだった。

 うちも頷き返す。

 エリちゃんを困らせる輩はいなくなってもらわないと困る。


「ただいまー」

「ただいま」


 事務所からタクシーで移動して、通いなれただろう道を先導する。

 うちは地方撮影から直接事務所に行ったので、キャリーケースの音が廊下に響いた。

 タクシーの中でさえ、エリちゃんはうつらうつらしていた。肩に頭を乗せてくる甘え方は、かなり珍しい。


「エリちゃん、寝る準備しよ」

「う、ん」


 目をこすっているエリちゃんを先に通す。

 エリちゃんは躊躇なく靴を脱ぐと、とたとたとリビングへ進んでいく。

 うちはその背中を見守りつつ、キャリーの車輪だけ拭いてから、廊下に置いた。

 エリちゃんを追いかけて、リビングに行く。泊りの準備を慌ててしたから、いつもよりさらに雑然としていた。


「ちょっとごちゃごちゃしてるけど、ごめんね」

「大丈夫」


 エリちゃんはうっすらとほほ笑んだ後、お気に入りのソファに腰を下ろす。

 鞄が肩からずり落ちるようにソファの上に転がっていた。

 これは、ひどい。仕事に行く前より、大分悪化している。


「ご飯、どうする?」

「ん、レイは何が食べたい?」

「うーん、肉かな。エリちゃんは?」

「レイと同じの食べる」


 少しだけ首を傾げたエリちゃんの瞳は、あまり焦点の定まっていない。

 徹夜明けの収録みたいな顔だ。

 24時間ぶっ続けの耐久収録なんてものさえ、スタクラにはあったのだから。……もう二度とやりたくないけれど。


「じゃ、お肉にしよ。ちょうどハンバーグがあった気がする」

「ほんと? 嬉しい」


 エリちゃんが泊りに来るようになってから、冷蔵庫に保管してある食料品は増えた。

 眠そうなのに、それでも笑うエリちゃん。

 なるべく早く食べさせて、寝させよう。そう心に決めてキッチンに行く。

 だけど、ソファから立ち上がったくらいでエリちゃんに袖を引っ張られる。


「どしたの?」


 足を止める。できるだけ、少しでも、エリちゃんのお願いは叶えてあげたかった。

 振り返ると、エリちゃんは少しだけ視線を下に落としていた。

 前髪に隠されて、口元だけがもごもごと動いている。


「あのね、ご飯はもうちょっと後でいいから……」

「うん」

「ちょっと、寝て、良いかな?」

「いいよ。出来たら、呼ぶね」


 もちろん、良いに決まってる。

 うちがいることで、うなされないなら、存分に寝て欲しい。

 そう言ったうちに、エリちゃんはわかりやすく頬を膨らました。


「……隣にいて」

「お、お、オッケーです。あ、毛布だけとってくる」


 眠さで半分目が閉じている。睨まれているのか、怒っているのか。

 分からないが、今は食事より睡眠欲が勝つらしい。

 慌てて寝室に行って、エリちゃんが好きな毛布だけを掴んだ。そのまま再びダッシュ。


「ど、うすればいい?」

「ん」


 少しだけ息が切れたうちに、エリちゃんは眠そうにソファの隣を叩く。

 何も言わずに座れば、すぐにエリちゃんの体温が近づいてきた。


「あり、がと」

「いえいえっ」


 タクシーの時と同じだ。肩を貸す形になる。

 徐々に体重がかかり始めるエリちゃんの体に手を回しつつ、冷えないように毛布を掛けた。

 すると自分で手繰り寄せて、体を丸めるエリちゃん。

 かわいい、と叫びたいのをぐっと我慢。今はエリちゃんの睡眠が優先だ。


「レイ……」


 夢と現実のはざまで、甘さを増したエリちゃんの声が耳をくすぐる。

 妙に緊張して、変な声が出た。


「はいっ」

「好き、だよ?」

「っ」


 零れ落ちた言葉は、エリちゃんからの初めての告白だった。

 信じられなくて、固まっていたら、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 うちが再起動したときには、エリちゃんはすでに、夢の世界に旅立っていた。


「……ずるいよ、エリちゃんは。可愛すぎ」


 何度だって、心の声が聞こえなくても、うちはエリちゃんに魅了されっぱなしだ。

 うちはエリちゃんを起こさないように注意しながら、穏やかに寝ているエリちゃんの顔を見つめていた。


「……ん」


 まずい、エリちゃんの顔を見ていた、いつの間にか寝ていたようだ。

 部屋の明かりはついているが、カチカチと点滅している。

 なぜか、その中で、エリちゃんが背中を向けて立っていた。

 この点滅は沖縄で見たものと同じ。ぞわりと背筋が粟立つ。

 その瞬間、一気に脳みそが動き始める。


「エリちゃん?」

「あまい」


 怖さを飲み込み、声をかけた。

 エリちゃんは微動だにせず、低く、ひび割れた声だけが響く。

 エリちゃんの声じゃない。

 どくん、どくん、と心臓が痛いくらいに脈打ち始める。


「反吐が出るくらい、甘い」

「……はい?」

「アイドルのくせに、恋愛なんて」


 エリちゃんが、髪の毛を払う。

 まるで糸でつられているかのように、不自然でスムーズな動き。

 エリちゃんに入っている、エリちゃんでない誰かは、関節を無視した動きでこちらを振り向いた。


「あの、どなた?」


 目が合って体を震わす。瞳全体が黒くなっていた。陥没しているかのように、完全な闇。

 エリちゃんだけど、エリちゃんじゃない。

 間抜けなことを聞いてしまったのは、その顔が、あまりにもうちの知っているエリちゃんと違ったからだ。


「せっかく、一人になってようやく呪い殺せると思ったのに」

「なんですって……?」


 呪い殺すって。聞こえた物騒すぎる単語に、うちは絶句する。

 まずい状況。まずい状況なのに、うちはどうすればいいのか、微塵も分からなかった。

 エリちゃんを置いて逃げるわけにもいかない。

 かといって、電話をする暇さえなさそう。

 立ち尽くすうちに、エリちゃんじゃないエリちゃんは、にっと口元だけで笑った。


「お前、この女のためなら、死んでもよさそうだよな」


 ゆらりとエリちゃんの手が自分の首元を指で指す。

 あまりに速い動き。エリちゃんの首元に、かまいたちのような赤い筋が浮かんだ。

 エリちゃんの血が付いた指先が、うちに伸ばされる。


「だから、まず、お前が死ね」


 その手が首に回る感触に、うちは目を閉じた。

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