第30話 久しぶりのピン仕事
折角もらった機会、全力でうちは生クリームに塗れてきた。
地方に来てまでこの仕事か。
うーん、相変わらずアイドルというより、芸人さんみたいな仕事ばっか。
アイドルとしては複雑だけれど、エリちゃんみたいにアイドルらしい仕事ができるかといえば、そっちの方が無理。
我ながらアイドルに向いていないなぁと思いながら、ホテルの部屋に戻ってきた。
「ありがとうございました。おやすみなさい、明日もよろしくお願いしますっ」
大がかりなドッキリが多い、この仕事。うちはキョロキョロしながら、久しぶりに一人の部屋を眺めた。
ばたんと扉が閉まる。その瞬間に気が抜けて、肩から力が抜けた。
ベッドサイドに座って、スマホを手に取る。
明かりがついた画面には、エリちゃんとのツーショットが見えて頬が緩んだ。
「エリちゃん、今日は実家って言ってたよね」
時計を見る。23時。まだ寝てないだろう時間。だけど、寝ててもおかしくない時間。
画面を見つめる。
かけようか、かけないでいようか。
この頃ずっと一緒にいたから、どうにも落ち着かなかった。
うちは一つ頷いてから、画面に指を滑らせる。
『エリちゃん、起きてる?』
『起きてるよー。終わったの?』
『電話していい?』
迷ったうちは、折衷案としてメッセージを送った。
すぐに既読がついて返事が送られてくる。
『もちろん』という、ぷよかわのスタンプが送られてきたから、すぐに電話をかけーーエリちゃんもすぐに出てくれた。
『もしもし、レイ?』
「あ、エリちゃん。どう、体調に変化ない?」
耳元をくすぐる声に甘さが胸を満たしていく。
うちは耳にスマホを押し当てた。
何となくベッドの毛布を弄ってみる。
『大丈夫だって、元々、寝る時だけだし。昨日まで一緒だったから、分かるよね?』
「それなら、いいんだけど……さ」
『レイの方は? 楽しみにしてた、仕事だったでしょ』
「うん、みんないい人でーー」
エリちゃんはうちの仕事の話ばかりを聞いてきた。
ドッキリだったこともあって、エリちゃんの反応も良い。
エリちゃんが嬉しそうなら、うちも嬉しい。
しばらく話していたら、あっという間に時計の針がてっぺん近くになっていた。
「と、そろそろ、寝る時間だね。明日は早いの?」
『んーん、9時から』
「そっか、久しぶりにゆっくり寝れるね」
『レイがいないから、どうかな?』
「えーりーちゃーん……」
心配で帰りたくなることを言うのは止めて欲しい。
情けない声が出たうちに、エリちゃんは小さく笑った。
『冗談だよ。大丈夫、しっかり寝るから。仕事に影響は出さないし』
「そこは、心配してないけど。夜寝れなかったら、何時でもいいから電話してね」
『はいはい。じゃ、切るよ。レイ、おやすみ』
「おやすみ」
エリちゃんが仕事に影響を出すとは思えない。だからこそ、心配な部分も多くなるわけで。
念を押すように言った。軽く受け流されちゃったけど。
声が聞こえなくなった画面をうちはしばらく見つめていた。
「……寝よ」
明かりを消して、ベッドに入る。
スマホは枕元に置いて、音が出ることを確認。
一人の部屋はすごく広くて、すごく寒く感じた。
カーテンから差し込んだ日差しが朝を知らせてくる。
うちは重い瞼を押し上げて、部屋を確認した。
「まぶし……」
ホテルのカーテンのくせに遮光効果が少ない。
うちは目の上に腕を置きながら枕元を手で漁った。
すぐに手に硬い箱がぶつかる。
手に取った。ブルーライトが目に刺さる。
着信はない。
「よかった。エリちゃん、寝れたんだ」
かっすかすの声が出た。加湿器もつけずに寝たからだ。
時間を確認するとまだ、少し余裕がある。
もう一度寝直そうと布団を引っ張った瞬間に、アラームが鳴り始めた。
「……わかった、起きるって」
のそのそとベッドに腰掛ける。エリちゃんの待ち受けが、眩しかった。
今日は簡単な仕事をして帰るだけ。
どうせなら早めに帰って、エリちゃんに会いたいなと思った。
結局、寝直すこともなく、仕事をして、お土産と一緒に新幹線に乗る。
ちょうどよく見つけたぷよかわ地域限定ストラップ。
エリちゃんが喜ぶといいなと思った。
「あとは、帰るだけ……」
どんどん過ぎていく窓の外を眺める。
早く、早くと気持ちだけが急いていく。
東京まであと二駅というところで、スマホの画面が光った。
美緒ちゃんの名前。嫌な予感がした。
「はい、もしもし」
小声で返す。すぐに切羽詰まった声が聞こえてきた。
『瀬名、今どこだ?』
「新幹線です」
『そうか、小田切が倒れた』
「ええっ」
新幹線の視線を集めてしまう。
身体を小さくして頭を周りに下げる。
美緒ちゃんの厳しい顔が声だけで浮かんだ。
「……なんでですか?」
『わっかんないんだわ。とりあえず、病院で検査して、異常はなかったんだけど……小田切は帰ると言っている。一度事務所に戻るから迎えに来てもらっても良いか?』
「もちろん、行きます」
エリちゃんが倒れたのに、そのままにしておけるわけがない。
本当はお家に返した方がいいのかもしれないけど、今のエリちゃんを一人にするのは不安だった。
通話が終わった画面は、いつもと変わらない笑顔のエリちゃんを見せてくれる。
うちはその画面を指でそっとなぞった。
「エリちゃん、無理したのかな?」
やっぱり仕事に行かなければよかったかもしれない。
うちにとって、今までで一番長い二駅だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます