第29話 瀬名とアイドル


 エリちゃんが毎日うなされようと、うちがエリちゃんと一緒なのになれなくて寝不足なろうと、アイドルは続いていく。

 いや、うちは仕事を絞ったから昼寝とかできるんだけどね。

 それでも慣れない気の使い方に疲れは出ているようで。

 今日は久しぶりの握手会だというのに、机の上で伸びていた。

 隣に座ったゆうなが、生存確認のように人の頭を突いてくる。


「で、エリちゃんの付き人みたいなことをしてるわけだ」

「はい」


 顔だけ上げる。呆れた顔をしたゆうなが肘をついて、こちらを見ていた。


「握手会でも同じレーンだし、まったく」

「エリちゃんと並ぶなんて、恐れ多い」

「小田っちのファンに刺されないようにねぇ」

「……気を付けるわ〜」


 ゆうなの指摘にため息を吐く。

 あれから、うちの仕事はほぼエリちゃんと一緒。エリちゃんが一人になる時間があまり無いように仕事が組まれている。とはいえ、エリちゃんのピンの仕事は山のようにあり、その間、うちは他の仕事のアンケートだったりインタビューに使っている。

 びっくりしたのが、握手会。

 何をトチ狂ったのか、一人レーンがほとんどのエリちゃんがうちと同じレーン。

 ファンの人に限らず、メンバーからも飛んでくる視線が痛くて仕方ない。


「でもさ、いい加減、恋人なんだから、プロデューサーが言った方法でもいいんじゃないの?」


 今は開いているうちの隣の空席をゆうなが見た。

 心無しか音量が抑えられる。

 エリちゃんは休憩時間に合わせてトイレに行っているのだ。

 うちは顔を寄せた。


「え?」

「だって、キスは出来るんでしょ? なら、次のステップはそうなるでしょ。つーか公認カップルになってもうすでに半年は経ってるでしょ!」

「いやいやいや」


 うちはゆうなの言葉に慌てて、首を横に振った。

 何回も横に首を動かしたせいで、クラクラする。


「なに、その否定……え、まさか進展する気がないの?」


 ゆうなの視線が刺さる。

 もっとも過ぎる指摘に、うちは苦笑を深めた。


「進展というか……告白もうちからはコンサートの時だけだし。エリちゃんからは、まだ何も」

「うっそー……あんなにベタベタなのに?」


 エリちゃんが甘えてくるのは全然良いんだけどね。

 友達でも甘えたの人間はいる。

 ふーと長い息を吐きながら、うちは身体を引き起こし上に伸びをした。


「なんか、一緒にいる時間が長いからか、改めて確認するのも変だし」

「はぁ……瀬名っちもだけど、小田っちにも指導が必要かな? いや、でもなぁ、この頃よく呆っとしてるし」


 顎の下に指を当てながら、ぶつぶつとつぶやくゆうな。

 うちといる時はそんな気はしない。


「そうなの?」

「うん、声かけるとはっとするから、意識ないのかも。幽霊の影響だったりして」

「怖いこと言わないでよー」


 嫌過ぎる指摘にうちは顔をしかめた。

 今、その言葉は洒落にならないのだ。


「じゃ、とっとと、やればいいのに」

「それとこれとは別」


 エリちゃんを救いたい。

 だけど、エリちゃんとそれだけのために、そういうことができるかと言われれば違う。

 そこら辺、乙女心も汲んで欲しい。

 苦笑していたら、珍しくうちの名前が呼ばれた。


「瀬名、ちょっと」

「あ、はい」


 スタッフさんが呼びに来るなんでて、珍しい。

 うちはゆうなに軽く謝ってから席を立つ。

 ちょっとだけ端に避けた。端組の扱いではこれが普通だ。


「急なんだが、ピンの仕事が入ってな」

「そうなんですね。ありがたいです」

「……ただ、場所が遠くて泊りがけなんだ。どうする?」

「泊りですか」


 スタッフさんの顔を見る。しかめっ面で、困ったような顔だ。

 エリちゃんとのことを聞いてないわけではないらしい。

 少し言葉に詰まっていたら、ちょうどエリちゃんが戻ってくるのが見えた。

 うちがスタッフさんと話し込んでるのが珍しいのか、エリちゃんがこっちを見て首を傾げた。


「すみませんが、断ってもらっても?」

「いいのか? 前、出たいって言ってた番組だけど」


 チャンスは水物た。

 また巡ってくるか、分からない。

 だけど、今のうちにエリちゃん以上に優先すべきものはなかった。

 うちは申し訳なさそうな顔を作り、頭を下げた。


「今はちょっと……本当にすみません」

「わかった、そう伝えておく」


 頭を上げたうちの視界で、エリちゃんがじっと見ているのが見えた気がした

 だけど、うちにはそれを無視するしかできなかったのだ。


 *


 鍵穴に鍵を差し込んで、扉を押し開く。

 金属のこすれる音がまるで火花のように夏の空気に響く。

 うちは玄関を開けて、エリちゃんが入ってくるのを待った。


「やっと、終わったぁー。あ、エリちゃん、どうぞ」

「ごめんね、泊まり込みが続いちゃって」


 申し訳なさそうな顔をするエリちゃんに、うちは顔の前で手を振った。

 むしろ、うちの狭いアパートに来てもらって申し訳ないくらいだ。


「いいよ、いいよ。お家の人は大丈夫だった?」

「うん、レイの家に泊まってるって言ったら、安心してくれたみたい」

「……それは安心していいのか、なんなのか」


 エリちゃんが満面の笑顔でそんなことを言ってくる。

 ご家族の信頼に応えたい気持ちはあるけれど、うちは顔を背けて呟く。

 信頼されているのか、理解されてないのか。どっちかによって、大分反応が変わってくる。

 リビングにつくと、エリちゃんは定位置になってきた場所に荷物を置いた。


「今日で一週間だね」

「ね、今のところ、うなされてないから……ほんと、レイのおかげ」

「エリちゃんのお役に立てて良かったよ」


 エリちゃんがうちと一緒に寝始めてから一週間。美緒ちゃんが言っていた通り、エリちゃんがうなされることは一度もなかった。

 これが本当にうちといるからなのかは、分からない。けれど、朝までぐっすり寝れているエリちゃんを見て、ほっとするのがこの頃のうちの日課だ。


「でも、レイ、仕事減らしてるでしょ? そろそろ大丈夫だと思うから、仕事入れてもらったら?」


 少しだけ、仕事の顔になったエリちゃん。

 心配半分、申し訳なさ半分。それをアイドルでコーティングすれば、こんな顔になるのかもしれない。


「元々、エリちゃんほど仕事があるわけでもないし。こういうのは、よく分かんないしさ」


 エリちゃんの言葉は嬉しい。

 でも、エリちゃんほど仕事があるわけでもないのだ。

 この間、見られた時が、たまたまそうだっただけで。


「また、うなされるエリちゃん見るくらいなら、全然、大丈夫だよ」

「レイ……嬉しいけど、駄目だよ。レイはわたしの付き人じゃなくて、アイドルなんだから」

「エリちゃん」


 そっとエリちゃんに手を取られる。

 伝わってくる感触が、柔らかいのに、力強い。

 ああ、エリちゃんは、やっぱりアイドルの鑑みたいな存在だ。

 お願いするようにうちを見上げてくる視線は、うちが一番弱いもの


「ね?」

「わかった……けど、何かあったら、すぐ来るからね!」

「うん、ありがとう」


 出そうになったため息を飲み込んだ。

 ずるい、エリちゃんは、本当にずるい。

 どうすれば、うちがお願いを聞いてしまうか、すべて分かっているのだから。

 こうやって、うちは、しぶしぶピンの仕事に行くことになった。

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