第28話 涙目の提案拒否
うちは今、走っている。
罰ゲームでコモドドラゴンに追いかけられた時並みに走っていた。
というのも。
「失礼しまーす……っ」
「お、瀬名。よく来た」
勢いのまま扉を開ける。
大きな音が部屋に響いた。うちは息を整えるために膝に手を置き、肩で息をした。
揺れる視界の向こうで、美緒ちゃんがいつものジャージで、机に肘を付いていた。
「急な呼び出しは怖いです。しかもエリちゃんの緊急事態って、走ってきましたよ」
「愛だねぇ……ほら、小田切。相方が来てくれたぞ」
顔の前で両手を組んだ状態から、美緒ちゃんがそう言って普段は荷物で溢れてるソファを振り返る。
そこがちゃんと使われてるのを初めて見た。
ソファの物がそのまま机の上に置かれたのだろう。塔のようになっている荷物の間から、顔色の悪いエリちゃんがソファに背中を丸めて座っているのが見える。
うちは慌てて、エリちゃんに近寄った。
「エリちゃん?! どうしたの?」
美緒ちゃんに呼び出される常連のうちだが、この部屋で自分以外のメンバーに会った時はない。
まず、プロデューサーの仕事部屋に呼び出される時点で、大抵お小言なわけで。
褒められるために呼ばれるメンバーもいるかもだけど、うちはそれには当てはまらない。
うちはいつかのように、エリちゃんの前にしゃがむと手を握った。
「……ごめん、ちょっと寝不足で」
「寝不足? また、うなされたの?」
「沖縄から帰ってから、毎日うなされてるんだと」
「えぇぇー……きついじゃん。ただでさえ、忙しいのに」
美緒ちゃんからの情報に、うちは顔をしかめる。
エリちゃんを見ても申し訳なさそうに顔を横に逸らすだけ。
珍しく目が泳いでいる。
うちはエリちゃんの隣に座り直すと、エリちゃんが甘えるように肩に顔をうずめてきた。
グリグリと遠慮なく頭を押し付けてくる。
すぐにでも寝落ちそうな甘え具合だ。
「寝ていいよ……寝ていいですよね?」
「もちろん、そのために、瀬名を呼んだんだしな」
「すみません。ありがとうございます。プロデューサー」
眠いだろうに、礼儀正しくそう言ったエリちゃんは、すぐにうちの肩で寝始める。
寝息は穏やかで、うちはエリちゃんを守るようにその身体に手を回すと肩を擦った。
「寝てても、可愛いんだから」
「……ほんとに、瀬名といると大丈夫なんだな」
「え?」
独り言のように漏れた本音に、美緒ちゃんが感心したように呟いた。
何のことか分からないうちは首を傾げる。
振り返れば、険しい顔をしている美緒ちゃんがいた。
「あの廃墟に行ってからだろう? 沖縄ではどうしてたか聞いたら、レイといたらうなされなかったって」
「具合も悪かったので、確かに一緒に寝てましたけど……えー、言ってくれれば行ったのに」
いや、真面目なエリちゃんはそういうのできないか。もっと気を回して上げれば良かった。
同棲企画のおかげで、うちはエリちゃんのプライベートの少なさを知っている。
エリちゃんは完璧なアイドルを維持するために、睡眠にも気を使っている。そんなエリちゃんが寝れないなんて、一大事だ。
スースーと寝息を立てるエリちゃんの頭を撫でる。
「瀬名に迷惑かけれないって。愛されてるな」
「照れます」
「お、ヘタレ改善か」
美緒ちゃんが面白そうに唇の端を釣り上げる。
うちは慌てて顔の前で手を振った。
こういう顔をするときの美緒ちゃんは碌なことを言い出さない。
「やめてください……それより、あの肝試しが原因だとしたら、まずいんじゃないんですか?」
「手は打ってるよ。ただ、それには瀬名の協力が必要だ」
「うちですか?」
一体、何が出来るのか。
抱き枕になれって言うなら、いくらでもなるけれど。
うちの理性と本能は、どちらもエリちゃんの言う事を一番よく聞くのだ。
「ああ、覚悟はいいか?」
勿体ぶる美緒ちゃんに、うちは焦れたように唇を尖らせた。
「そんなの今更ですよ。エリちゃんのためなら、何でも」
「瀬名はぶれないオタクだなぁ」
「エリオタ代表、公認カップルを兼務してる身なんで」
「そうか。じゃ、よく聞け」
こほんと美緒ちゃんが咳払いをした。
うちはエリちゃんの肩をぎゅっと抱く。
視線と視線がぶつかる中で、エリちゃんの寝息だけが穏やかだった。
「今すぐ、小田切と本物の恋人になれるか?」
「ふぇ?」
「具体的には、今すぐ、抱けるか?」
「はぁーーっ?!」
本物の恋人、抱ける。頭が単語を拾って一気に体温を上げる。
具体例が具体的過ぎる上に、アイドルのプロデューサーとしては、一番言ってはいけないやつ!
プチパニックを起こしたうちは、思わず裏返った声をだしてしまう。
勢いで立ち上がりそうになるも、エリちゃんを起こさないために我慢。
というか、これでも起きないなんて、ほんとに寝れていないらしい。
うちは口元を手で押さえながらエリちゃんを見た。
「その筋の人によると、瀬名がいると大丈夫な理由は、おそらく恋だろうと」
「恋?」
「幽霊は恋だの愛だのの、生きている人間らしいパワーに弱いんだと」
「はぁ」
霊感なんて微塵もないうちにはよく分からない。
だけど、エリオタとして活動している身としては生きている人間のパワーに満ちている自信がある。
だってね、エリちゃんを可愛いって思うのなんて息を吸うより簡単だから。
「瀬名と一緒にいてうなされないなら、幽霊が恋の空気を感じて入ってこないんだろうって」
「……そんなことあります?」
半信半疑。
うちの視線に美緒ちゃんも肩をすくめた。
「わからん。で、手っ取り早い方法はせっ」
「あー、あー、あーっ! 言わなくていいです」
うちは慌てて美緒ちゃんの言葉を遮る。
少しだけエリちゃんが身動ぎした。
達磨さんが転んだのように、うちは一度動きを止める。
十秒もしない内にエリちゃんは、また寝息を立て始める。
それから、うちは美緒ちゃんを見つめた。きっと情けない顔になっている。
「……むりですぅ」
「小田切の為だぞ?」
「水着で鼻血出す人間に、何言ってるんですか……」
前提として、いずれはそういうことも出来るようになったらいいなー……なんて思わなくはないのだ。
思わなくはないのだけれど、まだ一緒に寝るだけで緊張するうちには難しいし、何より今この状態のエリちゃんに関係を迫るのは負担でしかない。
必要なことでも、選べないことはある。
うちは涙目で首を横に振った。美緒ちゃんもわかっていたように、深いため息を吐く。
「だよなぁ」
分かってるなら、言わないで欲しい。
エリちゃんはうちの肩に額をあてて、よく寝ている。
この穏やかな顔を崩したくない。
「一緒にいればいいなら、いますから。その方法だけはご勘弁を」
「まぁ、曲りなりとも、アイドルをプロデュースしてる身として、やって欲しいわけでもないんだが」
そりゃ、そうだよね。
コンサートで告白させたり、同棲企画したりするから、忘れがちだけれど。
恋愛禁止を掲げるアイドルは多いし、スキャンダルの大抵は恋愛ネタなのだから。
「うちの仕事は切ってもらって、エリちゃん中心にしてください」
うちの言葉に美緒ちゃんは少しだけへの字に口を曲げた。
「いいのか? かなりハードだぞ」
「頑張ります」
うちはただ黙って頷いた。
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