第27話 エリちゃんの発熱は危険です


 エリちゃんの発熱は一大事だ。

 うちとは違い、基本的に分刻みでスケジュールが入っている。

 うちはスタッフさんから買ってきて貰ったものを受け取り、エリちゃんの部屋に戻った。

 扉を開ける。明かりは点滅していない。

 すぐにエリちゃんの声が聞こえてきた。


「レイ?」

「うん、スタッフさんに色々買ってきて貰ったから」


 うちは袋から熱さまし用のシートを取り出し、箱を開ける。

 袋を破き一枚取り出すと、エリちゃんの額に貼った。

 すっぴんにパジャマのエリちゃんは、まるで赤ちゃんのような可愛らしさだ。

 うちの彼女、ヤバすぎる。

 残りは冷蔵庫に入れておく。どうせなら冷やしてた方がよく効きそうだし。


「ごめんね、一人にして。やっぱり、具合悪かったんだね」

「ううん、さっきまでは本当になんでもなかったんだけど」


 ひんやりしたのか、エリちゃんが少しだけ目を細めた。

 発熱してるからか、いつもより目元がうるんでいる。

 それを拭うように頬に触れてから、熱を確認する。

 やっぱり熱い。さっきまでとは正反対の熱さ。


「大分うなされてたね……?」

「うん、苦しかったのだけは覚えてる。レイが起こしてくれて、良かったよ」


 苦笑いを浮かべるエリちゃんに、うちは密かに唇を噛んだ。

 エリちゃんが何もない時に倒れるとか、元々具合が悪かった可能性がある。

 気づいてない疲れも溜まっているだろう。

 だけど、うちは頭の中でありえない可能性を否定できずにいた。

 夏の風物詩といえば、ホラーなのだから。

 うちは嫌な予感をかき消すように、エリちゃんに笑顔を向ける。


「今日は側にいるから、ゆっくり休んで!」

「うん、ありがとう。でも、レイも風邪ひかないでね?」

「大丈夫、馬鹿は風邪ひかないって言うしっ」


 むしろ、看病する名目があれば、同じ部屋でも同じベッドでも平常心が保てる気がする。

 気がするだけなのは、エリちゃんの可愛さに耐えられる自信はあまりないからだ。

 きょとんとした顔をするエリちゃんに、うちは「あー……」と濁らせてから答えた。


「うち、エリちゃん馬鹿だから、エリちゃんからの風邪は引かないと思う! むしろ、引いても嬉しい」

「何それー……駄目だよ、風邪ひいちゃ。わたしが悲しいもん」


 エリちゃんの唇が綺麗な弧を描く。笑ったせいか、また瞳から涙が溢れてきていた。

 ネタが分からない人に、ネタの説明をする芸人さんの恥ずかしさが分かった気がする。

 でも良い。

 エリちゃんが笑ってくれるなら、うちは何でもするんだから。

 こうやって、うちは鼻血の心配をすることなく同じベッドで寝ることができた。


「っ……朝から、心臓に悪い。顔が良すぎて、心臓に悪い」


 さて、目が覚めると目の前にエリちゃんの麗しい顔。冷却シートを貼っても可愛いのは、何でだろう。

 ゆうな辺りに言ったら、またバカップルと言われる案件かもしれない。

 美しさに鼓動を速めた胸に手を当てる。出そうになった声はどうにか止めた。

 エリちゃんは穏やかに目をつむっている。少しだけ剝がれかけたシートを貼り直しながら、頬を触ってみる。


「熱はなさそう」


 柔らかい感触。ぷにぷにの肌。伝わってくる体温は、昨日ほど熱くない。

 良かった。口元が緩んでいく。


「んっ、れ、い……?」

「はいはーい。瀬名レイです」

「れいだぁ」


 ゆっくりとエリちゃんの瞼が上がっていく。

 呼ばれた名前が嬉しくて、テンション高く返事をしてしまった。

 結果、ふにゃりと子供の様な笑顔を浮かべるエリちゃんを真正面から浴びることになる。


「うっ」

「どうしたの?」


 尋ねてきたエリちゃんにうちは首を横に振る。

 うちのことより、エリちゃんの方が心配だ。


「不意の動悸がしただけだから……今度は、うなされなかった?」

「うん。レイのおかげ、ありがと」

「いえいえ。じゃ、そろそろ起きようか」


 このままこの距離で寝ているのは危険。そう判断したうちは先に体を起こし、ベッドの脇で背伸びをする。

 鼻血が出なかったことにホッとした。

 エリちゃんを確認するため後ろを振り返ると。


「んっ」

「……えっと、エリちゃん?」

「起こして?」


 両手をこちらに伸ばすエリちゃん。こてんと首を傾げる仕草付きだ。

 やばい。まるで攻撃を受けたかのように数歩後ずさってしまう。すぐに机にぶつかったけど。


「レイ?」

「エリちゃん、それは朝から致死量だよ」


 もう一度名前を呼ばれたけれど、まともにエリちゃんを見れない。

 どうにか伸ばされた手を掴みエリちゃんを引き起こす。

 ふぅと息を吐いて油断してたら、そのまま引っ張られ、耳元にささやき声が降ってくる。


「ふふっ、死なれちゃ困るかな。一緒に住んだら、毎日こうなるんだよ?」


 だから、エリちゃん、そういう所が、危険なんですよ!


 *


 色々危なかった撮影を終え、うちは東京の自宅に戻ってきていた。

 撮影は順調に進み、あの後はエリちゃんも体調を崩すことはなかった。

 だけど、どこか釈然としないものがあるのも事実だ。


『レイは部屋の希望ある?』

「エリちゃんが、可愛すぎて、怖い」


 シャワーを終え、髪を拭きながら出てきたうちはスマホ画面を見つめながら呟いた。

 久しぶりに一人の部屋。うちの声が響く。

 一人暮らしの部屋は書籍や円盤で埋め尽くされていて、安心感を与えてくれる。


『エリちゃんと住めるなら、どこでも天国だよ! セキュリティがしっかりしてれば、どこでも大歓迎っ』

「うーん、甘すぎる? でも、本当に要望ないし……同棲企画でも、とくに困ったことないし」


 自分で書いておきながら、その内容に文面を見つめて首を傾げる。

 恋人になったはいいものの、恋人宣言から同棲企画まで、半ば売り物にされていたので、百合営業感覚が抜けきれていない。

 いや、そうじゃないって、ちゃんと分かっているんだけどね。

 未だに本当に自分の恋人がエリちゃんなのか半信半疑な部分があるのも、小心者のオタクとして事実なのだ。


「部屋探しより、ゆっくり休んで欲しいけど……結局、熱の原因わからなかったし」


 スマホを軽く振る。

 エリちゃんの発熱は一日で収まった。仕事に支障はなく、プロ根性もあったのかもしれない。

 結局、廃墟で撮った特典はお蔵入りになったらしい。エリちゃんが倒れたので、その後の組が撮れなかったからだ。

 いわくつきでも、実際に倒れられた困ってしまったわけだ。しかも、その倒れた人間がエリちゃんだ。


「まさか……ね」


 倒れた日の夜の姿がフラッシュバックする。

 あの時のエリちゃんは、本当に苦しそうだった。あの日以外は、夜もそんなことはなかったのだけれど。

 まさかと思いつつ、苦笑を拭いきれない。

 ホラーでは、廃墟で倒れた人間は取りつかれているのが相場なのだから。

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