第26話 瀬名の試練


 無駄に重いビジネスホテルの扉を開ける。

 両手に荷物。片方がうちので、片方がエリちゃんのだ。

 エリちゃんを先に通したかったけど、狭すぎて諦めて奥に進む。


「荷物置いておくよ?」

「うん、ありがと。レイ」


 エリちゃんの顔色は悪い。

 倒れたと聞いた時は本当に焦ったけれど、怪我自体はなかった。捻ったりもしてないみたい。

 ベッドサイドに座ったエリちゃんは、やっと気が抜けたように肩の力を抜いた。

 荷物をテレビの横に置きながら、その様子を眺める。

 エリちゃんの前にしゃがみ込んで、彼女の手をそっと取る。夏とは思えないほど冷たかった。


「手、冷たいね。お風呂入る?」

「大丈夫、まだちょっとふらふらするから……もうちょっと休む」


 ふるふると小さく顔を横に振る。

 いつもよりぼんやりとした瞳。可愛いんだけど、心配になる。


「ん、そうだね。うち、部屋帰った方がいい? それとも」

「ここにいて」

「……うん」


 聞き終わるより早く、返事が返ってきた。

 二人きりの時のエリちゃんは、カメラの前より子供っぽい。そして、疲れてる時ほど甘えが出やすいのも、うちはもう知っていた。

 エリちゃんから手を握り返される。柔らかい感触なのに、手が冷たすぎる。

 しゃがんだ状態から、隣に座り直して自分が来ていたパーカーをエリちゃんにかけた。そのまま少しだけエリちゃんの方に体を寄せる。触れ合う肩がじんわりと暖かかった。

 もう一度手をつなぎ直す。指と指の感触がくすぐったい。

 落ち着かない。足をプラプラさせながら、撮影のことを口にした。


「いくら特典とはいえ、廃墟、怖かったねぇ……」

「うん。すごく、嫌な感じだった。なんか後ろからついてくる音はするし」

「? そうなんだ」


うちの時は、そんな演出はなかった気がする。

さすがにグループのメンバーによって演出を変えるなんてことするだろうか?

廃墟、しかも、いわくつきの場所で、今回は撮影をした。

だけど、青白い顔でそう口にするエリちゃんを怖がらせることはしたくない。

何とも言えず、黙っていると、エリちゃんは不思議そうにこちらを見た。


「レイは、怖いとこ平気なの?」

「ホラーゲームも一時期やりこんだから、まだ大丈夫」


 ヘタレのうちが、唯一ヘタレなくて済む部分。ホラーとかスプラッタも平気だ。

 下から覗き込まれるようにエリちゃんがうちを見てくる。

 握られた手の感触が強くなった。少しでも温まる様に、もう片方の手で擦る。


「わたしは……その、ちょっと……苦手なんだ」

「怖いとこ?」

「……そう。変じゃ、ないかな?」


 言い出しにくそうなエリちゃんには、とてつもなく申し訳ないが、アイドルが怖いもの苦手なのは、何も変じゃない。

 むしろ、可愛さしかない。何、この子、やっぱり生まれながらのスーパーアイドルなのかな?

 ちらちらとこっちを見てくるエリちゃんに、うちは一度天井を仰ぎ見る。

 やばい、可愛すぎる。

 ステイ、落ち着いて、オタクとして変なことは言わずに。

 うちは心の中でそう唱えてから、答えた。


「変じゃないよ。仕事だと頑張っちゃうエリちゃんは、ほんとに凄い!」

「……エリオタとしての本心は?」

「かっわいいー! 怖いとこ、苦手なのもめっちゃ可愛い! むしろ見せて欲しいっ」


 エリちゃんからの問いかけに、うちは素直に答える。

 いきなりテンションが高くなったうちに、エリちゃんはおかしそうに笑ってくれた。


「もうっ、なにそれ。レイといると怖かったのも忘れちゃうな」

「ふふっ、仕事は終わったんだから、忘れていいんだよ」

「ありがと……ちょっと寝るね」

「うん、うち、部屋にいるから」


 笑ったからか、少しだけ顔色が良くなった気がする。

 うちはエリちゃんの邪魔にならないように部屋に退散しよう。

 足元に放ってあった自分の荷物を持って立ち上がる。

 と、エリちゃんの手が伸びてきた。


「カードキー持っていって」

「ふぇ?」

「……荷物の整理終わったら、戻ってきて。怖いから、一緒に寝よ?」


 恋人からの可愛い上目遣いを直視したうちが、しばらく言葉を失くしたのは何も不思議じゃないと思う。


 *


 自分の机に置いてある、エリちゃんの部屋のカードキーを見つめる。

 あんなことを言われてしまったので、うちはドアを閉めた瞬間にダッシュで部屋に行き、荷物を放り、さっさとシャワーを浴びて、あとは髪を乾かすだけでエリちゃんの部屋に戻れる。


「落ち着け、落ち着け、うち……怖いから、一緒に寝るだけ。特にやましいことは何もないし、女の子だったら、友達同士で同じベッドもよくある」


 ドライヤーをかけながら、鏡越しに言い聞かせる。

 そう、エリちゃんの「一緒に寝よ」は怖いから一緒に寝て、という意味だ。

 それ以外の意味は一切ない。

 わかっている。わかっていても、意識してしまうのは……もう、どうしようもない。


「エリちゃんは怖がってるんだから、鼻血はダメ。うちは、抱き枕、抱き枕」


 自己暗示のように、そう言い聞かせる。

 怖がってる恋人を安心させるために部屋に行くのだ。興奮して鼻血なんて、迷惑はかけられない。

 すでに昼に鼻血は出ているので、夜は大丈夫だろうと思いつつ、スマホで血圧を下げる方法を検索する。

 エリちゃんと同じベッド。

 ちょっと想像しただけで、顔が熱くなる。


「……よし、行こう!」


 寝巻に着替えた。

 シャワーも浴びた。髪も乾かした。歯も磨いた。

 あとは、抱き枕になって寝るだけ。そう、うちは抱き枕!

 うちはカードキーを持ち、自分の部屋を出た。


「お邪魔しまーす」


 ドアノブの上にカードキーを宛てて、中に入る。

 エリちゃんの部屋の電気がチカチカしていた。

 なんだろ、と思う前にうちの耳にエリちゃんのうなされる声が届く。


「うぅっ……やめっ、やっ」

「エリちゃん?!」


 狭い通路をジャンプするように駆け抜け、ベッドの側に寄る。

 ふっと部屋が明るくなって、電気の点滅がなくなった。

 ベッドの上には眉間に皴を寄せて、苦しそうな顔をするエリちゃん。

 寝汗もすごい。

 うちはエリちゃんの肩を掴んで揺さぶる。


「エリちゃん! 起きて、瀬名だよ、レイだよっ」

「っ……レイ?」

「エリちゃんのレイだよ」


 うっすら瞳を開けるエリちゃん。

 焦点が合ってない。その瞳が怖くて、うちはそっと頬に手を触れる。

 すると徐々にいつものエリちゃんに戻ってきた。


「大丈夫?」

「うん……ごめん」


ふにゃりとした顔に、気が抜けるも、すぐにそれ所じゃないことに気づく。


「エリちゃん、熱、あるんじゃない?」

「え?」


 きょとんとした顔は、少し赤らんでいる。

 さっきまでとは正反対の熱が、うちの手には伝わってきていた。

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