夏と言えば……
第24話 夏の新曲
うちにとって夏と言えば、オタクなイベントとゲームの山だった。アイドルになってからは、まともにイベントに参加できないのが本当に残念だ。
そして、アイドルと夏と言えば、基本的に海。
うちらスターライトクラウンもその例に漏れず、夏の新曲撮影のために海に向かっていた。
「もうちょいで、到着だねー!」
「ねー、海、久しぶりだから、楽しみだな」
「なんて言ったって、沖縄だからね」
窓際から見える海を見てテンションを上げたのはゆうな。
列を挟んでうちが座り、一番海が見える窓側にエリちゃんが座っていた。
エリちゃんの機嫌は良い。隣から見ても、にこにこと口角が上がっている。
もうね、隣から見るエリちゃんと海だけで、テンションはダダ上がりだ。
エリちゃんの水着、絶対に可愛いもの。だって、海を背景にしているだけで、この可愛さなのだから。
と、一人で妄想に頬を緩めていたら、ゆうなが体を寄せてきた。
「久しぶりにパチンコ関係ない現場だねぇ、瀬名っち」
にししと悪戯な笑顔を浮かべる同期の言葉に、心臓が嫌な音を立てた。
うちはからかってきたゆうなに、静かに圧力をかける。
「ゆーうーなー」
「ほんとのことでしょ?」
「そうだけどさ」
ちらりとエリちゃんの方を伺う。
ゆうなの言葉は聞こえていなかったのか、窓の外を見つめるエリちゃんの横顔は相変わらずの美しさ。
パチンコ関係の現場だと、絢さんがいる時点で、この静かな横顔は見えなくなってしまう。
うちはゆうなに耳打ちした。
「わざわざ火種を投げ込まなくても。エリちゃん、沖縄すごく楽しみにしてたんだから」
「そうなの? ぱっと見は変わらないけどね」
「エリちゃんは表はいつも、スーパーアイドルですから」
「あー、はいはい」
ぱたぱたと手を振るゆうなの顔は、呆れ半分という感じだ。
うちとしては、ただエリちゃんの機嫌を損ねることがなるべく無いようにしたいだけ。だって――
『レイと海、嬉しいなぁ』
こんな心の声が漏れて来るくらいだから。
こちらを見たエリちゃんに笑い返せば、嬉しそうに目を細めてくれた。
〝レイと〟海だ。うちと海に行くのが楽しみなんて、そんなんテンション上がるでしょ。
喜びをかみしめるように、外を眺めるエリちゃんの横顔を見ていただけなのに、ゆうながまた声を上げた。
「あ、瀬名っち、ニヤニヤしてる。エッチなことでも考えてたんでしょ!」
「ちっがーう。エリちゃんの可愛さにニヤニヤしてただけ」
「同じじゃん。小田っち、瀬名がエリちゃんの水着想像してにやけてるよー」
「ばっ」
止めようとしたけど、もう遅い。
バスの大半に聞こえるような大きさのゆうなの声に、エリちゃんはきょとんとした顔でうちらを振り返る。
元々大きい瞳が、真ん丸になっている。
首を傾げるエリちゃんに、うちは苦笑いで誤魔化すしかできない。
「え?」
『家では、まともに見てくれなかったのに?』
今日はよく聞こえてくる日のようだ。エリちゃんのテンションの高さを表している。
実は家でエリちゃんの水着を見せてもらったことがある。撮影でどれを着ればいいのか相談されたのだ。
家で水着。背徳感が半端ないうちは間違ってないと思う。
その時は正直、眩しすぎて見れなかった。
そりゃ、そうでしょっ。推しの水着を家で見るなんて、無理でしょ!
「レイ、水着楽しみなの?」
「……うんと、その……たのしみ、です」
「そっか」
だけれども、推しに直接そう聞かれて嘘をつけないのも、またオタクなわけで。
うちは、息も絶え絶えにエリちゃんに楽しみなことを伝えた。
その瞬間にエリちゃんの顔には満面の笑み。うちは直視を防ぐためにバスの天井を見る。あー、落ち着く。
「うーわー、バカップル」
うっさいわ。いくら心の中でそう思っても、うちは何も言い返せなかった。
*
水着に着替えて、それぞれのシーン撮影となったのだけれど――うちは、なぜかパラソルの下で横になっていた。
「よっ、嫁さんの水着はどうだい?」
「ここに横になってる時点で察して……」
日陰で休んでいた中、飛び込んできたからかう声に、うちはうっすら目を開けた。
そこにいたのは予想通りの同期の姿。
青をベースにしたスポーティなタイプの水着を着たゆうな。
うちも似たような形の水着だ。可愛らしいものや露出が多いものは着られる人間が限られるのだ。
なにせ、攻撃性が高い。一部のトップアイドルだけが身に着けられる。その攻撃力にやられたのがうち。
「暑いし、綺麗だし、興奮するのはわかるけど。まっさか、瀬名っちが鼻血出して倒れるとか思わないじゃん?」
「言ったじゃん……あの綺麗な顔が近くにあるだけでヤバいんだって」
「同棲までしといて、ウケる~」
起き上がらないうちに、ゆうなは好き放題ほっぺたをツンツンしてくる。
うちの頭には昔ながらの氷嚢が乗っている。
鼻血は止まったけど、のぼせ状態は改善していない。
まったく、自分のことながら呆れてしまう。
いくら水着で、いくら肌色が多くて、いくら、いつもよりさらに可愛くても!
鼻血を出して倒れるのは違うだろ。
と、ゆうなが海の方を見た。
「……ほら、瀬名っち。小田っちがこっち見てるよー」
うちはわずかに体を起こした。まだ体がだるい気がする。滑り落ちた氷嚢が、太ももに落ちて冷たかった。
エリちゃんは絶賛波際で撮影中。
ゆうなの言う通り、エリちゃんがこっちを見ていた。
この頃、エリちゃんの視線を感じる時が増えた気がする。
視線がぶつかって、うちにだけ少しだけ唇を尖らせたエリちゃん。
うん、どうやらご機嫌斜めのようだ。
撮影の途中なので、周りではスタッフが忙しなく動いている。誰もエリちゃんの様子に気づいてはいない。
うちがひらひらと手を振り返せば、エリちゃんが尖らせていた唇を緩やかに弧にした。アイドルとはまた違う巣のエリちゃんの可愛さに心臓が痛くなる。
「小田っちだって、結構、瀬名っちのこと好きなんじゃない?」
「この頃、ちょっとだけ、そうなのかなぁと……でも、オタクの思い込みじゃないかな?」
「いや、違うと思うけど?」
ゆうなが撮影に戻ったエリちゃんを見ながら、肩を竦めた。
海の青さと白い砂浜。太陽とエリちゃん。
自然が生み出した美がここには集結しているのではないだろうか。
意識を飛ばしていたうちに、ゆうなの鋭い一言が突き刺さる。
「ヘタレてばっかだと、可愛い恋人が悲しむぞ」
「染みるわぁ」
「頑張れ、ヘタレ。相談くらいなら乗るから」
「……ありがとー」
ゆうなに背中を叩かれた。
確かに公認カップルになっておいて、距離が近いだけで緊張する関係はまずいだろう。
ましてや鼻血を出すのはいただけない。
ただ――海にいるエリちゃんを見る。
やっぱり、あの美しさに慣れる気は全くしなかった。
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