第22話 告白の結果


「ど、どうって……」

「ご迷惑はおかけしませんわ」


 ぴったりとくっつかれて、顔が熱くなってくる。

 絢さんはエアリスのコスプが似合うだけあって、スタイルがよい。

 うちはどうにか絢さんの肩のところに自分の手を滑り込ませた。押しのけようにも、体格差もあって中々上手くいかない。

 何より近くで見る絢さんの瞳はうるうると潤み、今にも泣きだしそうで。

 うちは泣きそうな女の子にとても弱いのだ。

 ずるい〝うち〟が心の中で囁いてくる。


(これは、かほりさんと付き合ってもいいんじゃない? その方が、仕事としても迷惑をかけないし、彼女も悲しませないよ?)


 これだけうちを好きでいてくれる人を泣かせていいのか。

 エリちゃんのこともわかった上で付き合いたいというなら、付き合ってあげた方がいいんじゃないか。

 プライベートだけじゃなく、絢さんとの関係を切ることは、事務所としても大きな仕事をうちのせいで失うせいになる。


(でも)


 頭をエリちゃんの顔が過る。

 最初に意識した、怖いのに、強がって平気な振りをしてる姿。

 照れてるのに、素直に言い出せない姿。

 自分の感情が把握できてないのに、ライブでキスをしてくる大胆な姿。

 どれもエリちゃんで、すべて魅力的すぎるくらい輝いていた。

 うちは奥歯を噛みしめ、絢さんに話しかけた。


「絢さん、一度、離れてください。きちんとお話がしたいので」

「瀬名さんが頷いてくださるなら」


 そこで、その問いかけはずる過ぎる。

 絢さんに何も答えることもできず、うちはただ首を横に振った。

 すると諦めてくれたのか、絢さんの熱が離れていく。

 やっと、ゆっくり深呼吸できる。静かに目をつむって、うちは心を決める。


(事務所の皆さん、エリちゃん、ごめんなさい。迷惑をかけます)


 パチンコの仕事がどれだけの損害になるか分からない。

 ヘタレなうちとしては、ここで絢さんを受け入れてしまった方が、きっと楽。

 だけど――うちは、絢さんに向かって笑顔を浮かべた。


「絢さん、まず、うちなんかを好きになってくれて、ありがとうございます」


 うちがしたのは大したことじゃない。

 コスプレイベントで好きなキャラクターが困っていたから助けただけ。

 しかも、目の前で起こったからという限定条件。

 ヒーローのように、困っているから助けましたなんて、嘘でも言えない人間だ。

 ヘタレで、センターを狙うような度胸もない。けど、アイドルをしている半端人間。


「絢さんみたいな美人さんが、なんでうちを好きになってくれたか分からないけど……とっても嬉しいです」

「では!」


 そんなうちを好きになってくれた。それだけは感謝したい。

 アイドルの瀬名レイを推してくれる人にも、たまに言うのだけれど、これはうちの素直な気持ちだ。

 絢さんの顔がぱぁっと輝く。いい笑顔なのだけれど、うちはこれからこれを壊さないといけない。

 唇を噛みしめながら、首を横に振った。


「……それでも、絢さんと付き合うことはできません」

「小田切さんには一切バレないようにしますし、ご迷惑はおかけしませんよ?」


 絢さんのまっすぐ向けられた視線が熱い。

 縋るような声が痛い。

 人からの好意を断ることは、こんなにも怖いことなのだ。


「絢さんにできても、うちにはできませんから」


 絢さんがどんなに良くしてくれても、うちはきっとエリちゃんにバレてしまう。

 絢さんと一緒にいてもエリちゃんのことを考えるし、エリちゃんといるときに絢さんのことを考えるのもダメ。

 どっちといても挙動不審になってしまう気がした。

 ヘタレなうちは、きっと二股に向いていないのだ。


「エリちゃんを、推しを悲しませるようなことはしたくないんです」

「恋人として?」

「恋人としても、オタクとしても」


 絢さんからの言葉に、うちは大きく頷いた。

 恋人としては、もちろん、エリちゃんを悲しませたくない。うちのことで傷つけたくない。一緒に色々なことを経験したいけど、浮気や二股は不誠実すぎる。

 オタクとしては、推しがすべてなので、もはや何も言うことはない。

 言葉にできればいいのだろうけど、言葉にしようとするとすべて変わってしまう気がする。

 うちは大きく絢さんに向かって身体を折り曲げた。


「だから、ごめんなさい!」


 うちの声が部屋に響いて、やがて耳が痛いくらいの静寂に変わる。

 目をつむったまま頭を下げ続けていたうちの耳に、絢さんの小さなため息が聞こえてきた。

 ゆっくりと顔を上げると、涙を残したままの顔で、笑っている絢さんが見えた。


「そんなに思われて、羨ましいこと」

「エリちゃんは、うちには勿体ないような人ですから」


 絢さんが目じりに残った涙を拭う。

 うちは大まじめに返す。エリちゃんは、うちの隣にいていい人じゃない。そんな思いは付き合ってから常にある。

 だけど、たまに聞こえてくる彼女の心の声は、いつもまっすぐうちを思ってくれるから。

 それを裏切りたくはないのだ。


「……瀬名さんは全然ヘタレなんかじゃありませんわ」

「ありがとうございます」


 褒めてくれたこと、好きになってくれたこと。色々な意味を込めて、もう一度小さく頭を下げる。

 すると絢さんはすぐに口角を艶やかに引き上げて、下から上目遣い。


「ヘタレを治したいなら、お手伝いしますよ?」

「け、け、結構です」


 ゆ、油断ならない人だ!

 うちは大きく後ずさり、机に腰をぶつけてしまう。

 大きな音が響き渡り、うちは伝わる鈍痛に床に蹲った。

「ふふふっ」と今度は無邪気な声が聞こえてくる。

 涙がちょちょぎれる状態で顔を上げると、絢さんが口元に手を当ててお上品に笑っていた。


「ふふっ、冗談ですわ。必要なら、いつでもお手伝いしますが。これからも応援させてくださいね」

「ありがとうございますっ」


 でも、できれば、こういうことは二度としないで欲しい。

 うちは鈍い痛みを訴える腰に手を当てながら、そう願った。


 ※


 部屋を出たわたくしを待っていたのは、高橋プロデューサーだった。

 彼女にも無理を言ったが、その顔に怒りは見えない。

 テレビ業界の人らしい、軽薄な笑みを浮かべ頭に手を当てている。


「うちのバカップルがご迷惑をおかけします」

「瀬名さんだったら、押せば行けるかと思いましたのに」


 ぺこりと小さく頭を下げられた。

 先ほどの瀬名さんのものとは全く違う謝罪。

 食えない人だ。だからプロデューサーなんてやっているのだろうけど。

 わたくしは肩を竦めて笑って見せた。


「うちのはヘタレですが、オタクとしては一流でして」

「ふふ、イベント会場でもオタクの鑑でしたわね」


 笑いながら、瞳の色はこちらを伺っている。

 ほら、瀬名さんは信頼されている。高橋プロデューサーも、口ではこう言いながら、瀬名さんを本当のヘタレだとは思っていないのだろう。

 そうでなければ、仕事がなくなるかもしれない場面を、メンバー一人に任せたりはしない。


「仕事の方はどうしますか?」

「仕事は継続で大丈夫ですわ。縁をつないでおいた方が、後々、落とせるかもしれませんでしょう?」


 まぁ、それか、元々切る気がなかったのが伝わっていたのかもしれない。

 いくら、お父様の会社とは言え、あまり無理はできないのも事実。

 それに瀬名さんのような人は、懐に入ってしまった方が良い。

 わたくしの言葉に、高橋プロデューサーは片眉だけを吊り上げた。


「小田切が許さないと思いますが?」

「私は瀬名さんの一番好きなキャラクターになれますから」

「……お手並み拝見ですね」


 瀬名さんと初めて会ったとき、彼女の興味がエアリスに向いていることはよくわかった。

 オタクならば、好きなキャラクターは拒めないもの。

 わたくし自身としても、エアリスは好きなキャラクターだったから、その話をしてもいいかもしれない。


「ふふ、これからも末永くよろしくお願いしますわ」


 瀬名さんを落とすことはできなかったけれど、まだ諦めたりはしない。

 恋愛なら必ず波風がある。傍にいれば、それも掴めるだろう。

 わたくしは高橋プロデューサーと、まだ部屋から出てこない瀬名さんに向かって笑顔を送った。

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