第20話 デートと暗雲


 エリちゃんが急遽泊まった翌日、うちは楽屋の机に突っ伏していた。

 隣にいるゆうなはそんなうちを肩肘をついて見下ろしている。

 エリちゃんは先に別の仕事に入っている。端組のうちらと違い、色んな仕事が間に差し込まれるのだ。


「で、デートに行くことになったと」

「はい。ぷよかわカフェです」


 ゆうなの言葉にうちは突っ伏したまま頷いた。スマホの画面に期間限定のぷよかわコラボカフェのサイトを映して差し出す。

 エリちゃんの機嫌を直すため、手を尽くした結果、デートすることになった。

 デート。女の子の間では気軽に使いがちな言葉だが、エリちゃんとデートというだけで、うちの心臓はばっくばっくしてるし、変な汗も出る。

 ゆうなは画面をちらりと見ると口端を歪めて呆れたような表情だ。


「はぁ、よく見つけたねぇ」

「エリちゃん、喜ぶかなって思って」

「ほんと、オタクの鑑だわ。小田っちも機嫌が良いわけだ」


 ぷよかわカフェは前から目をつけていた。

 絶対エリちゃんが喜ぶと思ったからだ。後はスケジュールの問題だったのだが、上手いこと休みに当たったらしい。

 うちはスマホの画面を閉じると、エリちゃんの荷物が置いてある席を見る。

 主のいない席だが、ここに荷物を置いた時のエリちゃんは分かりやすいくらい笑顔だった。


「それで、瀬名はなんで、そんな萎れてんの?」


 笑顔を思い出すだけで、胸のあたりに甘いものを食べた後のような幸せが広がる。

 ニヤニヤしたいが、それより昨日の寝不足がうちの頭を揺すってきた。

 机から起き上がる元気もなく、ゆうなに返事をする。


「エリちゃんが可愛すぎて、理性を保つのが……」

「はぁん?! 同棲までしといて、まだ清らかな関係?」

「うっさ、声抑えて!」


 爆発したような声に、うちは耳を塞いで顔をしかめる。

 楽屋に残っているメンバーの視線が集まるが、うちとゆうなだと気づくと「いつものこと」というように散らばっていく。

 うちは机を支えにして顔だけ上げた。


「同棲は企画だし、部屋別だから」


 まだも何も、うちとエリちゃんの関係は始まったばかりだ。

 同棲中なんて至る所にカメラがあるのだから、下手な接触はできない。

 お互い距離感をはかっているような感じで、最初の頃なんて特に落ち着かなかった。

 途中からそんなことも言ってられない事態だったけど、恋人にきちんとなれたのは本当に最近なのだ。


「何より」


 うちは脳裏にエリちゃんの綺麗な顔を思い出す。

 キスしたこともまだ数えるほどだが、脳裏には焼き付いている。


「何より?」

「顔が近づくだけで、鼻血出そうなのに……さらにとか無理」


 力が抜けたように机に再度突っ伏した。

 無理。あの綺麗な顔が近づいてくるだけで、顔の熱が上がる。

 移動中、隣にいるのでさえやっと慣れたくらいだ。

 寝てしまって、起きた時に隣に顔があると、一気に心拍数が早くなる。

 うちの真剣な訴えに、ゆうなは半眼になると口元を緩ませた。


「……ああ、瀬名っち、ヘタレだったわ」

「そんな生暖かい目で見ないで」


 ヘタレなのだ。うちは。

 このままではエリちゃんに押されるまま、どこまでも流されてしまう。

 いや、いいんだけど。でも、ねぇ、お付き合いするなら、エリちゃんに楽しんでもらいたい。

 グチグチと言い出したうちに、ゆうなは大きなため息を吐いた。


「ま、楽しんで来たら」

「はーいー……」


 結局、一つ一つステップアップするしかないのだ。

 うちは仕事まで仮眠することにした。


 *


 ぷよかわカフェはコラボカフェがよく開催されるアミューズメント施設で二週間行われていた。

 どちらかと言えば期間終わりに近づいた夏の日、うちは最寄り駅でエリちゃんを待っていた。


「どう、かな?」


 人の多い駅でも、エリちゃんは目立っていた。

 基本的なスタイルが違う。歩いているだけで目立つ人間というのはいるのだと、この世界に入ってから嫌というほど感じた。

 服装はシンプルなモノトーンコーデ。夏らしいメッシュが取り入れられスポーティなキャップを被っている。

 被り慣れてないのか、もじもじしている姿がさらに可愛い。


「……はぁー、美人さんはキャップ被っても美人さんなんだねぇ」

「なに、その感想」

「素直な感想です」


 頭の上から足元まで、じっくり見た後、うちはゆっくり息を吐いた。

 衣装でばっちり化粧をしているエリちゃんの美しさは知っていた。毎回、仕事のたびに推しの新しい姿を見れるのは役得だ。

 そのうちでも、私服姿のエリちゃんの可愛らしさに拍手を送りたい。

 感心したように頷くうちにえりちゃんは小さく噴き出して首を傾げる。


「レイもメガネ、いつもと違うね」

「この間の格好を参考にしてみました」


 うちの格好は、エリちゃんが気に入ってくれたらしい男装もどきだ。

 とはいえ、ウィッグはつけてないので、眼鏡とカラコンをつけて、服装を男子学生っぽくしただけ。

 プライベートでは眼鏡なんだけど、エリちゃんはその違いにも気づいてくれたようだ。


「いつもそういう格好してたら、女の子のファンも増えるんじゃない?」

「ちょーっと、疲れちゃうかな」

「まぁ、私は普段のレイの格好も好きだけどね」


 エリちゃんのその言葉だけで十分だ。

 何よりそんなことをサラッと言える所に痺れる、憧れる。


「エリちゃん、そろそろ入れそうだよ」

「お二人さまですね、こちらにどうぞ」


 話している間に列は進み、ぷよかわのエプロンをつけた店員さんに案内される。

 うーん、小物や飾りつけまでぷよかわが潜んでいたり、ぷよかわの世界の背景を使う徹底ぶりに感心する。

 エリちゃんは忙しそうに視線を動かしていた。


「こちら、メニューになります」

「うわぁ、めっちゃ、可愛い!」


 テーブルにつくとペーパーが一枚渡される。

 持ち帰っていいメニューだ。ファンにとっては、とてもありがたい。

 顔を寄せ合うようにしてメニューを眺めた。


「これとか、キャラがカフェアートになるとか凄くない?」

「うん、そうだねぇ」


 エリちゃんの目が輝いている。

 新しいおもちゃに夢中の子供みたいだ。

 微笑ましさが胸いっぱいに広がって、目尻を下げずにはいられなかった。


「ねぇ、このコラボパフェ食べようよ!」

「うんうん、好きなの買おうね」


 散々迷って、エリちゃんは目玉のパフェを食べることにしたらしい。

 見るだけでかなりのボリュームがある。

 勢いよく指さしたので店員さんを呼んだ。


「すみません、ぷよかわの喜び摩天楼パフェをひとつください」

「えっと、うちはぷよかわの努力の結晶ジュースを」


 注文を終えてからも、エリちゃんのテンションは高いままだ。

 仕事でここまで、はしゃぐエリちゃんは見られない。

 許されるならば連写したいくらいだった。


「ねぇねぇ、あれ、スタクラの小田切エリじゃない?」

「え、一緒にいるのは誰?」

「男かなぁ?」


 テーブルに両肘をついて、エリちゃんを眺めていたらそんな声が聞こえてきた。

 エリちゃんは夢中で気づいていない。

 男の子っぽい格好をしてきたことが裏目に出た。


(まずい!)


 やっと前のスキャンダルの火消しが終わったぐらいなのに、また新しい火種とか、ほんとにいらん!

 うちは慌ててマスクとキャップを取る。

 エリちゃんが目を丸くしてうちを見ていた。


「どうしたの、レイ?」

「いや、暑いのと早く食べたくて」

「ふーん……可愛いんだね」


 どうしようもない言い訳だったのに、エリちゃんは甘さを感じる笑顔で笑ってくれた。

 真正面からそんなものを見てしまったうちは、机に突っ伏す。


(可愛いのはあなたです!)


 顔の熱が冷めるまで、パフェが来ないことを祈った。


 *


 パソコンの画面をスクロールする。

 スターライトクラウンの掲示板だ。あることないこと書かれているそれらを、わたくしは逐一チェックしていた。


『瀬名とエリちゃんがぷよかわカフェに出現したという噂があるのだが』

『あ、あれ、エリちゃんのイミスタに載ってたから、本当だと思うぜ』

『瀬名って私服男の子っぽいのね』

『普段の握手会では普通だから、デートで頑張ったんじゃね?』

『さすが公認カップル』

『あーんもしていたらしい』

『瀬名め、なんと羨ましいっ』


 画面の端から端まで目を動かす。

 瀬名さんと小田切さんの噂は前々から知っていた。

 だが、本当だとは思っていなかった。


「これは対処が必要ですわね」


 瀬名さんの素晴らしさはよく分かる。

 イベントでスタッフの手も借りずに、助けてくれるような優しい人。

 誰だろうと、そらに触れると好きになってしまうだろう。

 だけれど。


「瀬名さんは、わたくしのものですわ」


 誰かに譲る気は微塵もなかった。

 パソコンを閉じて、スマホを取り出し、電話番号を呼び出す。

 立場を逆転するには手段など選んでられない。

 無機質な呼び出し音が瀬名さんの写真で満たされた部屋に響いた。

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