第17話 イベントとトラブル


 人、人、人。

 人が整然と並ぶ机の間を縫っていく。

 遥か遠く、壁際には大きなポスターと段ボール達が所狭しと並んでいる。

 その前には一列で並び、スペースをはみ出さないように並ぶファンたちの列。

 握手会でも似たような光景は見るけれど、ワクワク具合で言えばこっちが勝っていた。


「最後尾はこちらでーす」

「持ちまーす」


 普段の仕事中は中々でない陽気な声が出た。

『最後尾』と書かれたプラカードを前の人から渡される。

 持った瞬間に後ろにまた誰か来たので渡す。

 さすが大手。あっという間に行列が伸びていく。


(エリちゃんの列みたい)


 そんなことが思い浮かんで、うちは口の端をへにゃりと歪ませた。

 今までイベントの最中に誰かが過ることなんてなかったのに。

 むず痒いような恥ずかしいような、うちは列が進む間ニヤニヤしそうになるのを隠すのが大変だった。


「いやぁ、豊漁ですなぁ」


「ありがとうございます」という言葉を背に目当てのエアリスのポージング集をカバンに滑り込ませる。

 この本以外にも、欲しかったサークルのものは買い終えていた。

 どうしようか、イベント終了まではまだ少しある。

 大手のサークルはすでに完売で撤収し始めている所もちらほら。


「欲しかったものは全部買えたし、あとは……」


 最初に比べて見通しの良くなった空間を見回す。

 わずかな物悲しさーーまぁ、祭りの終わりはいつもこうだ。

 と、ガラスの向こう側、コスプレエリアの様子がうちの目に飛び込んできた。


「うわ、エアリスがいる!」


 ガラスのギリギリまで駆け寄る。

 コスプレエリアは一度外に出ないいけない。

 イベントマップをもう一度取り出す。忙しなく紙面を見渡し……あった、コスプレ撮影イベント時間!


「まだ、時間あるし……一枚だけお願いできるかなぁ」


 今から外に出て並ぶと、おそらくギリギリだ。

 エアリスのコスプレイヤーさんは衣装からメイクまで妥協していない。

 撮影のために並んでいる人も多いけど、急げは間に合うかもしれない。

 うちは興奮を抑えるように胸元に手をやった。


 急いで外に出て、人だかりに並ぶ。ピコンとメッセージを知らせる音が鳴った。

 エリちゃんだ!

 うちは急いでスマホの画面を取り出した。


『レイ、そろそろ終わりそう?』


 お、エリちゃんの仕事が終わったみたい。

 うちは急いで返事を打つ。


『もうすぐ帰るよー。エリちゃんは?』

『ゆうなが、レイの格好聞いてみなって。普通の格好じゃないの?』


 メッセージを送るとすぐに返ってくる。

 ゆうな、余計なことを。イベント参加の変装なんて、わざわざ教えるほどでもないのに。

 うちは列が進むのに合わせて足を進めながら自撮りした。


『こんな感じ』


 コスプレイヤーの列に並びながら自撮りをするアイドルとは?

 と、自らツッコミたくなるも、エリちゃんが見たいって言ってるんだしと納得させる。

 まぁまぁ良く撮れた写真を送る。


『ちょ』

『なんか、カッコよくなってる』


 連投されたコメントに勝手に頬が緩む。


『うへへー、ありがとう!』


 スタンプも送る。

 エリちゃんにカッコいいと言われる時がくるなんて!

 評判よかったら、本業でもしてみようかな。


『ズルい。わたしもそのレイの姿見たい』

『気に入ってくれた? じゃ、今度家でね』

『約束』

『うん、約束するよー』


 返信が早い。これで楽しみが増えた。

 エリちゃんとの約束が増えていく。いつできるか考えるだけで心が湧き立つ。

 エリちゃんから『約束!』のスタンプが送られてきて、うちはニマニマしたまま画面を消した。

 ふと、順番が来ていないのにスマホで撮影している人が視界に入る。


(うわ、無断で撮ってるぅ。嫌なんだよねー、これ)


 顔をしかめる。

 うちも他のメンバーの列に並んでるファンの人に撮られるときがある。

 完全なる隠し撮りなので、SNSで見つけるとモヤモヤした気分になるのだ。


「ありがとうございました」


 写真を撮っていた人がエアリスにお礼を言って立ち去る。

 次の順番は無断で撮っていた人だった。無撮の人と呼ぼう。

 その人はコスプレイヤーさんに挨拶もせず、カメラ片手にこう言った。


「立ちをローアングルから良い?」

「ローアングルはお断りしてるんです」

「はぁ? じゃ、しゃがんでもらえる?」


 うっわ、やる気なくす。

 うちは自分がポーズ指定でそんなことを言われたらと想像してしまった。

 まぁ、チェキ会もそんなに並ばないで有名なんですけどね。

 というか。


(いや、エアリスの衣装でしゃがむのきついでしょ!)


 撮影するなら分かるだろうに、と無撮の人をじっと見てしまう。

 エアリスの衣装はスリットが深く、しゃがむとかなり際どい位置までめくれてしまう。

 それが目的なんだろうけど、コスプレイヤーさんに堂々と言うのは呆れてしまう。


(あり得ないし、時間がなくなるー!)


 うちは立っている姿を撮らせてもらえるだけでいいのだ。

 完成度の高いエアリスを残したいだけなのに。

 久しぶりのお祭り気分が徐々に萎んでいってしまう。


「しゃがむのも……立ち姿でのポージングを正面からでお願いします」

「なんだよ、その指定じゃ、いい写真が撮れないんだよ」


 揉めに揉めて、ついにタイムアップ。アナウンスが流れ始める。

 うちは空を仰いだ。切り替えて帰ろうと思ったら、無撮の人は、まだコスプレイヤーさんに絡んでいる。

 エアリスが泣きそうになっているのを見て、うちのオタク心に火が着いた。


「あのー、時間終わってますよ?」

「まだ途中だ!」


 いや、その時間が終わったんだって。ついでに言えば、うちの撮影時間も。

 ヘタレなうちでも頭にくる時はあるし、コスプレイヤーさんの立場で考えても放っておけない。


「スタッフさんも来ますし、出禁になりたくなかったら帰った方がいいですよ」

「なんだとっ」


 声を上げる無撮さん。

 だが焦らない。アイドルの経験として、イベントエリアは閉める前に必ずスタッフが見に来るのだ。

 ギャーギャー喚く無撮さんはうるさかったが、握手会で直接言われる暴言ほど怖くはない。

 聞き流していたら騒ぎを嗅ぎつけたのか、スタッフさんが走ってきてくれた。


「終了時間です」

「ちっ」


 あとはあっという間だった。

 時間が終わってるから、皆テキパキと片付けを始める。

 うちもエリちゃんの仕事が終わったんなら、早く帰ろう。大量の本は見せられないので、しっかりと隠しさなければ。

 出口の方へ歩き出したうちは袖を引かれる感覚に足を止めた。


「あっ、ありがとうございました! 助かりました」

「いえ、凄い完成度で感動しました。エアリスが飛び出してきたのかと! また機会があったら、ぜひお願いします」


 近くで見ても隙がない。完璧なエアリスだ。

 ジロジロ見すぎるのも失礼だと思ったので、なるべく顔らへんを見た。

 ヘタレに目をじっと見るのは難しいのだ。


「あの、お礼をさせてくださいませんか?」

「え、いいですよ。当然のことですし」


 慌てて手を顔の前で横に振る。

 お礼なんてとんでも無い。このまま流してくれるのが一番ありがたい。

 アイドルとバレると色々面倒なのだ。

 だけどエアリスさんは頑なに首を横に振った。


「あの人しつこくて、困ってたんです。私はこういうものですので」

「はぁ」


 名刺を渡された。

 コスプレイヤー絢と書いてある。SNSのアカウントも載っていた。


「お時間は取らせません、すぐ着替えてまいります!」

「あ、ちょっ」


 返事をする前に行ってしまった。

 うちは鼻の頭を掻きながら、名刺を裏表と見返した。

 帰るか、残るか。

 泣きそうだった女の子を振り切る勇気は、うちにない。


「……行くしかないか。マズったなぁ」


 エリちゃんに連絡して、うちは名前も名乗らずお茶だけをご馳走になるのだった。

 これが騒動の始まりなんて、この時はまったく思わなかったのだ。

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