第13話 アンチ
貸し切られた会場は、まるでお祭りのような熱気を帯びている。
それぞれの推しのTシャツを着たり、タオルを肩にかけたファンの人たちが列になって歩いている。
最終投票まであと一ヶ月。
特に挽回する手立てがあるわけでもなく、うちはアイドルの仕事に勤しんでいた。
人気を実感させられる握手会だ。
「相変わらず、凄いなぁ……」
一番混むエリちゃんのような人は真ん中に大きくブースを持たれている。
その中を大蛇のように連なった人たちが進むのは圧巻の一言。
うちもあっちに並びたいくらいだ。
それに比べて、うちらは二人一組。今回も端組のゆうなと組まされている。
それなのに、列はやっとひとつできるか程度だった。
「企画楽しんでるよ!」
「ありがとうございます」
「次、一枚入りまーす」
エリちゃんとの企画を応援してくれるファンの人を笑顔で送り出す。
これだけを言いに来てくれる人も多い。
まとめ出しするような人は、うちにはほぼいない。
たまにエリちゃんの可愛さを語りたい人が来るくらいだ。
隣に送り出して、次の人を見る。
エリちゃんのブロマイドを首からかけたお洒落な服。
嫌な予感がしたが、顔には出さず笑顔を作る。
「こんにちは」
「エリちゃんが嫌がってるから止めてくれる?」
「え?」
どストレートな物言い。
差し出した手も取られることはない。
冷たい蔑むような視線がうちを見下ろしていた。
「変な企画しやがって」
ああ、とうとう来た。
心臓が縮み上がり、変な汗が出てくる。
うちの様子に気づいたスタッフさんが、ファンの人を隣に押し流した。
「終わりですっ」
だが、ゆうなとは話すこともなくブースを出ていく。
愛想笑いのゆうながその背中を見送る。
顔をしかめて、こちらを覗き込んでくるゆうなに、うちはどうにかへらりと笑顔を返した。
「大丈夫?」
「うん……」
それだけでも返せたうちを褒めて欲しい。
この後もエリちゃんについて話してくるファンの人が、多くてうちはその度にびくびくしてしまった。
いつもなら嬉しいのに。
「8レーンは三十分の休憩になります」
そのアナウンスとともに肩の力が抜ける。
やっと終わった。
こんなに長く感じたのは初めてかもしれない。
「いやー、人気者は辛いね」
「予想はしてたんだけどね」
ゆうなと連れ立ってバックヤードに下がる。
用意してあったお水を貰いつつ、休憩室に下がる。
黒い幕に仕切られた簡易的な作りだが、今のうちには十分だ。
「レイ、どうしたの?」
たまたま同じ時間に休憩に入れたエリちゃんが現れる。
うちの何倍も握手してるはずなのに疲れは見られない。
なんと言えばいいか分からないうちに代わり、ゆうなが口を開いた。
「あ、エリちゃん。アンチが出てさー」
「企画について、何か言われたの?」
「あーっと」
エリちゃんの機嫌が急降下している。
元々綺麗な顔立ちだから、表情がないだけで怖い。
そして勘が鋭い。
言っていい?というように、うちをチラチラ見てくるゆうなの言葉を遮った。
「踊りとか、歌が下手すぎる……だって。そんなの、うちが一番自覚してるのにさぁ」
エリちゃんに知られたくない。
そう思うのは、変なプライドなのかもしれない。
それでも、うちは話を合わせてくれるように願いながら、ゆうなを見つめた。
「ねぇ、ゆうな」
よほど必死な顔をしていたのか。
ゆうなは両肩を小さく上げてから、手のひらを上に向けた。
シニカルな笑顔を浮かべ、うちと話をあわせる。
「ねー。端組だって頑張ってるんだぞー」
「ひどいよねぇ」
どうにか、何も気にせずスルーしてくれますように。
うちはそう願いながら苦笑を浮かべた。
エリちゃんが怪訝そうな顔のままうちの顔を覗き込む。
「ほんと?」
「え、ほ、ほんとだよ?」
ぐいと肩を掴まれ、エリちゃんの方を向かされる。
いつになく強引。珍しい。
吃ってしまったのは、エリちゃんとの距離が近かったからだ。
「企画とか、わたしのことで何か言われたんじゃないの?」
「あはは、くっつき過ぎとかは言われたけどね」
嘘じゃない。うちの所でエリちゃんの話をするファンの大方は企画を楽しんでいる。
くっつき過ぎの言葉にエリちゃんは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「企画自体は喜んでくれてるみたいだよ」
「そっか……それなら、いいんだけど」
まだ半分は納得していなそうな顔でエリちゃんは頷いた。
短い休憩時間中だ。やることもあるだろう。
うちは残りの握手会に憂鬱な気持ちが隠しきれなかった。
※
この頃、呼び出されすぎな気がする。
うちは見慣れてきた感さえあるプロデューサー室でがっくりと頭を垂れていた。
目の前にはこの間のような紙切れだけでなく、手紙に見せかけた脅迫状まで積んである。
恐ろしや、エリちゃん人気。
「止んでくれなかった……」
日々、アンチコメントや脅迫状に近い内容の手紙が増えていた。
エリちゃんには黙っててなんて言ったことで、うちが呼びたされたわけだ。
目の前には見たことがないくらい難しい顔をした美緒ちゃんがいた。
「だぁかぁらぁ、言っただろ? 小田切の協力が必要だって」
美緒ちゃんの言葉に、うちは体を小さくするしかない。
ご尤もで。エリちゃんファンから見れば、エリちゃんは内に付き合わされている被害者という扱いのようだ。
「瀬名から行き過ぎだから、こういうコメントが来るんだぞ?」
「だって、エリちゃんの力になりたいし」
「おお、知ってたけど溺愛だな」
今さら引かないで欲しい。
うちは体を引く美緒ちゃんに向かって大きく息を吐いた。
行き過ぎだと言われても、これでも控えてるつもりなのだ。
家に帰ったら推しがいる生活なんて、気合が入らないわけがない。
その上、エリちゃんは疲れると子供っぽくなるらしく、それがまた可愛いのだ。
「中々、パンチの聞いたアンチも増えてるからなぁ」
「エリちゃんガチ恋勢、怖い」
瀬名レイガチ恋勢はほぼ聞いたことがないので、想像が追いつかなかった。
放っておけば止むと思ったのは甘かったらしい。それも結局はうちのワガママ。
エリちゃんや他のメンバーに被害が出る前に対策をしなければならない。
「でも、瀬名が一番好きなんだろ?」
「ガチ恋勢代表でやらせてもらってます」
美緒ちゃんからのからかいに素直に頷く。
そう。うちと彼らの気持ちはきっと一番近い所にある。
「気持ちは分かるんですよ」
でも、脅迫状は怖い。
怯んでいる内に美緒ちゃんは、なんてことない雰囲気で声をかけた。
「辞めるか?」
辞める。
企画を辞める。
ということは、同棲を止めるということだし、エリちゃんのセンターシングルが出なくなってしまう。
「辞めません!」
ほぼ反射で、うちは美緒ちゃんに答えていた。
珍しく眉を下げて困ったような顔で美緒ちゃんが笑う。
「素早い方向転換もアイドルには必要なことだと思うが?」
「そうですけど、オタクはそう簡単に切り替えられないんですよ」
「好きなものはずっと好きってか?」
「そうです」
ぎゅっと拳を握った。
好きなものは譲れない。
たとえ、その始まりがなんだったとしても。
うちはエリちゃんを好きなんだ。
「まぁ、まだ中間発表だ。これからの巻き返しに期待してるよ」
美緒ちゃんは諦めたように息を吐く。
どうやら、まだうちのワガママは聞いてもらえるようだ。
脅迫されて諦められるなら、オタクは誕生していない。
「ちなみに、半数いかなくても曲を作ってくれたりは……?」
「しない。だってガチじゃないだろ」
「はは、ですよね~」
ちょっと結果を誤魔化してくれないかな、なんて甘い考えが顔を出す。
念のため聞いてみた。すっぱりと断られた。
美緒ちゃんは、ある意味一番近いアイドルに誠実だ。
うちは苦笑いで誤魔化した。
脅迫は止まず、次の握手会が中止になるなんて、この時のうちは知らない。
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