第10話 寝起きドッキリ


 外はまだようやく太陽が昇ってきたくらいの時間。

 うちは薄暗い自宅の廊下でカメラの前に立っていた。

 早朝、アイドル、薄暗い廊下でのコメント撮り……そう、寝起きドッキリだ。


「さて、みなさん、おはようございます……」


 声は低めに小さく。

 時間帯が時間帯なので、うちも眠いが、そんなことは言ってられない。

 部屋も広くないので、人数は最低限だ。カメラさんと音声さん、ADさん。照明さんもいるけど、突入の時は入らず待機だろう。

 一応、ADさんの出してくれているカンペを見ながら、企画を説明する。


「仲良くなろう企画、第一弾。寝起きドッキリです」


 仲良くなるのに、ドッキリが必要なのか。

 ぶっちゃけ必要じゃないと思うのだが、こうなってしまっては仕方ない。

 特にエリちゃんなんて、今までドッキリをされた経験の方が少ないメンバーの一人で、うちみたいにシーズンが来ると身構えてしまう人間とは違う。

 心配だ。

 念のため、ADさんに尋ねる。


「これ逆の方が良かったんじゃないんですか?」


 うちだったら寝起きドッキリはもちろん、落とし穴やら電気椅子、ホラーまで幅広く経験してる。

 上手いリアクションをとる自身も少しだけついてきた。

 ADさんがカンペを出す。


「え、瀬名の寝起きより、エリちゃんの寝起きがいい? そりゃそうですけど」


 そんなこと言われちゃ、反論する術はない。

 視聴率的にはうちの寝顔より、エリちゃんの寝顔だろう。

 うちもそう思う。


「でも、エリちゃん、多忙なんですよ。こんな企画のために早起きさせる必要あります?」


 エリちゃんの多忙具合は、この頃極まっている。

 スキャンダルのイメージを返上するために、テレビやモデルの仕事を増やしたからだ。

 昨日だって帰ってきたのは、時計の針のてっぺん近くで、そこからお風呂に入ったり、体のケアをしていた。


「わかりましたよ……行きます、行きます」


 推しにはゆっくり休んで欲しいのだが、圧力のある笑顔で指さされれば進まないわけにはいかない。

 それに下手に他の人間を入れられたりするよりは、うちがした方がマシだし。

 うちは一度大きく深呼吸した後、エリちゃんのドアノブに手をかけた。


「それでは、こっそり、行きます」


 静かにドアを引く。

 軋みは少ない。廊下の明かりが部屋に細く差し込んだ。

 とりあえず、動く気配がないのを数秒待ち、確認してから中に入る。


「間取りは皆さん知っての通り……ですが、ほら、ぷよかわ」


 これが定番のホテルでのドッキリであれば、部屋荒らしをするところだ。

 持ち物やら何やらを見て、コメントするシーンだ。

 だけど、これは同棲企画だし、何より後が怖すぎる。エリちゃんは静かに怒るのだ。

 なので、うちらのエピソードでファンの人にもよく知られているぷよかわを指で突く。

 ぷよかわだったら、エリちゃんは絶対に部屋に置いていると思っていた。


「これ、うちが上げたんですよー。持っててくれるなんて嬉しいなぁ」


 入ってすぐの棚にぷよかわが飾られていた。

 見覚えのあるそれに目を細める。きっとデレデレの顔をしているだろう。


「あんなに大人っぽくて、綺麗なのに、可愛い部分も多いなんて最強じゃないですか?」


 カメラへ視線を向けて、同意を得ようとする。

 だけどカメラさんも音声さんも苦笑するばかり。

 まだ入り口でそんなことをしていたらADさんに突っ込まれた。


「え、起きる? すみません、興奮が」


 小さく咳払いをして、ベッドの傍に寄る。

 マットが敷いてあったから、足音は気にしなくて良さそうだ。


「エリちゃーん……」


 ベッドサイド。布団を鼻の下までかけているエリちゃんを覗き込む。

 メイクをしていない顔はいつもより幼くて、それなのに、美形さが目立つ。

 まったく、どういうことだ。


「ぐっすりですね。寝顔も可愛い。え、寄れって? この顔は独り占めしたいんで……すみません」


 じっと見ていたら、カメラさんが場所を代わって欲しそうにしている。

 正面から見たい気持ちはわかる。わかるけど、代われない。

 両手を合わせて頭を下げた。


「起こし方は、え、水風船?」


 ADさんが取り出したのは棒と水風船。

 定番だが、うちは顔をしかめる。


「いや、さすがに……可哀想。経験ありますけど、まじ、びっくりですからね」


 顔に水がかかると人間は反射的に起きるものだ。最悪な目覚めだったけれど。

 大体、ここは家だから濡れたマットレスの交換とか、うちらがしないといけない。


「えぇ、本当に、やるんですか?」


 渡そうとしてくるADさんと押し問答をしていた。


「ん、ぅ」

「やばっ、起きちゃう」


 さすがに人の気配に気づいたのか、エリちゃんの声が漏れる。

 慌ててしゃがんでみるも、目をこすりながらエリちゃんが体を起こした。

 その仕草までソープリティ。


「ん……レイ?」


 ベッドサイドぎりぎりの高さにしゃがんでいても、やはり気づくらしい。

 降ってきた寝起きの声に、恐る恐る顔を上げる。

 後ろではやれやれみたいな顔で首を振っているスタッフさんたちがいた。

 いや、うちのせいじゃないからね!


「お、お、お、おはよう! エリちゃん」


 やけくそ気味の声が出た。

 どもりすぎてDJのようだ。

 まだきょとんとしているエリちゃんの傍に膝立ちになる。


「え、しょうがないでしょ、起きちゃったんだから」

「かめら……?」


 こうなったら早く目を覚ましてもらって、終わらせてしまおう。

 エリちゃんの肩に触れつつ、カメラを指さす。


「あ、はははっ! 寝起きドッキリでした!」

「え」


 ADさんが持つドッキリ大成功の札が目に入ったのか、エリちゃんは目を瞬かせた。

 うちを見て、カメラをみて、もう一度うちを見る。

 驚き、困惑、どうしよう。といった感じで表情が変化していった。


「えぇ……?」


 だけど、さすがエリちゃん。

 寝起きだというのに、事態を把握するのは素早かった。


「レイ……ちょっと、そこに座ろうか」

「はいぃ」


 指でスペースのある方を示される。かすれた声がプレッシャーを増す。

 うちは反射的に正座でそこに座った。

 カメラさんが面白そうに正座するうちを撮る。

 寝間着のエリちゃんが映るよりはよっぽどいいけどね。


「あ、これ映ってます?」

「映ってます!」


 正座したうちが撮られている姿を見てエリちゃんがスタッフさんに聞いた。

 うちは体育会系の後輩のように返事を返す。

 すぐに頬を膨らませたエリちゃんの顔がこちらを見た。


「レイには聞いてない」

「はい、すみません!」


 がばりと頭を下げる。正座とあいまって土下座に違い。

 ADさんは親指を立てている。いや、狙ってやったわけじゃないし。

 エリちゃんがカメラに向かって話し始めた。


「えっと、みなさん、おはようございます。お見苦しいところを、すみません」

「全然見苦しくない、麗しい寝顔だったよ」

「……わたしはこれからレイとお話があるので、ここで終わります。見ての通り仲良くやっているので、これからもよろしくお願いします」


 じろりとひと睨み。

 エリちゃんからの視線に背筋を伸ばす。

 何となく、エリちゃんと同じタイミングで頭を下げていた。

 土下座する瀬名と寝起きのエリちゃんだ。

 きっとカメラさんも撮ってくれているだろう。


「レイ、あれはひどい」

『まだレイも部屋に入れたことなかったのに』


 エリちゃんの挨拶で一回カメラが止まり、場の雰囲気が緩む。

 映像の確認をし始めたスタッフさんたちは廊下に戻っていた。

 アイドルのエリちゃんから、素のエリちゃんに。

 土下座したままだったうちはベッドに腰掛けるエリちゃんを見上げた。

 どうやら、ドッキリ自体より、部屋に入れたことを怒っている様子。この頃めっきり聞こえることは減ったが、たまに聞こえる心の声は助かる。


「ごめんね、まだ眠いよね? 朝ごはんは作るから寝てていいよ」

「ん……リビングで、寝てもいい?」

「いいけど、映るよ?」


 痺れる足でふらつきながら、立ち上がる。

 エリちゃんも一緒に立ち上がった。

 服の袖を掴みながら、こちらを見上げるエリちゃんの顔は少し眠そうだ。

 ここは企画用の家。特にリビングは放映用に定点カメラが入っている。


「大丈夫」

『レイが見えるところがいい』


 心配で聞いたら、特大の爆弾が返ってきた。

 まさかの声。こういう所が、ほんとズルい。

 無意識で、こういうことをできるたちの悪さ。

 うちは悶える感情をどうにか理性で抑えつけ、エリちゃんの手を引く。


「っー……できたら、起こすから」

「うん」


 寝起きドッキリより、リビングで寝てるエリちゃんを起こすうちの姿が甘すぎると反響になった。

 メンバーには呆れられるか、引かれるか。

 ゆうなは半笑いの生暖かい視線をくれたけれど。

 でも、一つだけ言わせて欲しい。


 エリちゃんに甘くなるのはしょうがないと思う。


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