第4話

 猫が懐いてきた気分。

 そう言い表すのは少し微妙かもしれない。

 うちはエリちゃんしかいない楽屋で、素早く集めたぷよかわを手に近寄った。


「これ上げる」


 入り口よし。

 廊下から人の話し声も聞こえない。

 エリちゃんは単独行動が多いタイプだから、こっそり渡す苦労は少なかった。

 外側を紙袋、その中に普通のビニール袋を入れ、ぷよかわだとバレにくくしてある。

 最初はきょとんとしていたエリちゃんも、中身を確認して目を丸くしていた。


「あ、ありがとう」

『なんで、わたしがこれ集めてるって』


 1つ取り出してすぐにしまう。子供みたいな仕草に心が和んだ。

 袋とうちの間でエリちゃんの顔が上下する。

 艷やかな黒髪が揺れていた。


「いらないなら、無理しなくてよいからね」


 心の声が聞こえるので、なんて言えるわけもなく。

 うちは用意していた会話を口にする。

 じっと見られると美人度が強すぎて、頬を掻きながら目をそらした。


「いらないわけじゃ」

『むしろ、嬉しいし』


 ほんのり頬が赤く染まっている。

 照れている表情。レアなエリちゃんだ。

 ファンだったら絶対見たいだろう。

 この顔を独り占めできることに、少しだけ優越感を覚える。


「良かったぁ。うちが持ってる時、見てたから欲しいのかなって」

「よく見てるね」


 いや、普段なら気づきませんよ。というか、気づいてもぷよかわが欲しいなんて思わないだろう。

 でも今のうちにはエリちゃんのことだけはわかるのだ。

 肩をすくめて大げさに頭を振ってみせた。


「端役は気が利かなきゃ仕事が来ないんですよ」


 エリちゃんはじっとうちの顔を見た。

 一瞬の沈黙。

 綺麗な顔に見つめられると体温が上がる。


「瀬名は人気出るよ。きっと」

「あはは、エリちゃんにそう言ってもらえると頑張れるなぁ」


 慰めだとしても嬉しい。

 エリちゃんみたいに歌もダンスもできる人に言われると。

 だけど、その言葉の意味を聞くのは怖くて、うちは話をそらした。


「ぷよかわ、好きなの?」


 エリちゃんが好きだと思わなかった。

 どちらかと言えば、ゆうなとかにあうキャラクターだと思う。

 エリちゃんはうちの言葉に紙袋を見つめた。


「好きなんだけど……キャラに合わないって」

「あー、プロフィールのパフェみたいなもんね」


 表情は変わらないのだけれど、わかる。これは不満なのだ。

 売っていきたいイメージと合わないなら、プロフィールも変わる。

 昔のアイドルが好きなものはケーキやパフェに決められていたようなものだ。


「パフェ?」

「気にしないで」


 うちの例えにきょとんとした顔で首を傾げる。

 うん、分からなくていいから。

 胸の前で小さく手を振ると、廊下からざわめきが近づいてくる。

 うちは足早にエリちゃんと距離をとった。


「あ……レイって呼んでいい?」


 背中に投げかけられた言葉に振り返る。

 ぷよかわをしっかり片手に握りつつ、もう片方の手が少しだけこちらに伸びていた。

 なんだそれ、可愛すぎか。

 心の声が聞こえるようになってから、彼女の年下の部分が目に付く。もっと言えば、可愛さにやられる。

 うちは声もなく頷くしかできなかった。


「瀬名レイ」

「はい?」


 エリちゃんとの距離も縮まり、ほくほくしていた。

 うまくサポートに入れるから、エリちゃんから頼られる頻度も多くなった気がする。

 とはいえ、アイドル業務のサポートというより、内面とのギャップが激しいプライベートのサポートだ。

 そんなことをこなしていたら、春田が怖い顔でこちらを見ていた。


「ちょっと、こっちに来てくれる?」

「う、うちぃ?」


 人違いじゃないかと周りを見回す。

 ゆうなやグループのメンバーに助けを求めるが、みんな一斉に視線を反らした。

 恐る恐る春田の顔を確認する。

 見たことがないくらいにっこりした笑顔を貼り付けた般若がそこにいた。


「頑張れ、瀬名っち。骨は拾って上げるから」


 ゆうなに肩を押され、しぶしぶ 歩き出す。

 開かれたドアが地獄の入り口に見えた。


「あなた、どういうつもり?」

「はい?」


 扉の閉まる音が妙に響いた。

 部屋としては数個移動しただけなのに、とても静かに感じる。

 ひんやりとした雰囲気に身を縮こませていると、春田が両腕を組んだ状態でそう詰問してきた。

 お嬢様学校のいじめっ子みたいだ。


「この頃、エリーにすり寄りすぎでしょ」

「そ、そうかな?」


 すり寄っているつもりはなかった。

 エリちゃんの声に答えるように動いていただけなのだけれど、周りから見ればそう見えても仕方なかったかもしれない。

 元々キリリとした目元の春田は怒るとさらに目尻が釣り上がる。

 これがめっちゃ怖い。


「スカイダイビングから、情けないキャラで知られたからって勘違いしないで」

「知られたかったわけじゃ……」


 どこの誰が情けないで有名になりたいと思うのか。

 ついでと反論に言い終わる前に春田の睨みが飛んできた。


「なに?」

「はい、すみません!」


 うちは背筋を伸ばした。

 春田の忠告は止まらない。


「エリーとのギャップで、この頃組ませられてるだけなんだから、歌とダンスの練習しっかりしなさいよね」

「了解いたしました」


 実際、完璧アイドルのエリちゃんと端っこアイドル瀬名を比較する企画なんてのもあった。

 あの完璧超人で努力の塊のエリちゃんと同じ振りを同じ時間で覚えさせられるなんて拷問でしかない。

 だから、まだこの忠告は聞けた。

 ただ春田の言葉はまだ続くのだった。


「ぷよかわだっけ?」


 ピクリと眉毛が動いた。

 春田の顔には嘲笑が浮かんでいる。


「あなたの好きなキャラクター。勝手に集めてエリーに上げてるんでしょ?」

「あー、うん」


 声のトーンが落ちる。

 嫌な雰囲気だ。

 うちはテキトーに結っている髪の毛に手を当てた。

 オタクは自分のテリトリーを乏す存在を許せない。


「迷惑だから、辞めて」

「……春田には関係ないと思うけど」


 それが正義かのように言われた一言に、むかっ腹が立った。

 普段なら絶対しない反論を口にする。

 何を好きになるかは人の自由だ。


「な、エリーが迷惑してるから言ってるんでしょ」

「エリちゃんに言われたわけじゃないし」


 春田が距離を詰めてくる。

 いつもならすぐにでも謝るのだけれど、このときだけは譲れなかった。

 それは自分のことというより、エリちゃんのことが頭を過ったからかもしれない。


「あなたねっ」


 春田の手が握りしめられる。

 掴みかかられるのを覚悟して目を瞑ったが、その前にノックが響いた。


「ハル、順番だよ?」

「っ、エリー。わかったわ、ありがとう」


 扉に顔を向ければエリちゃんがいた。

 背中を扉に預けて温度を感じさせない瞳で春田を見つめる。

 春田は慌ててエリちゃんの横を通り過ぎていった。


「ありがとう、エリちゃん」


 うちはポリポリと頬をかきながら、エリちゃんに礼を言う。

 春田の背中を見送っていたエリちゃんが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめん、ハルが」

『わたしがぷよかわ好きって言えないせいで』


 春田のことも、ぷよかわを好きなことも。

 どっちもエリちゃんは悪くない。

 うちは首を横に振った。


「いいんだよ、エリちゃん」


 エリちゃんが楽しくアイドルをやってくれるなら、それが一番。

 そう思っていたのに、エリちゃんの不倫熱愛報道が夜に出たのはこの日の夜だった。


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