第2話

 プロデューサーに呼び出され、うちは頭を垂れたまま事務所の部屋に入った。

 大人の仕事部屋とは思えないほど大量のCDやDVDが棚に入っている。

 入り切らなかった分は、机や下手したら床の段ボールの上に積まれていた。

 部屋の中心で人の顔を見て大笑いしているのが、高橋美緒プロデューサーだ。


「いやぁ、瀬名は持ってると思ったけど、本当に小田切を当てるとはなぁ」


 きちんとすれば美人なんだろう。

 だけど髪の毛は適当にまとめただけだし、目の下にはクマ。服はほぼジャージ。

 その姿勢で常に何か書いたりしてるからか顔にインクがついていた。残念すぎる。


「あはは……はぁ、ほんと、何で当たったんだか、わかんないです」


 まさか自分でも当たるとは思わなかった。

 一番細い割当だったのに、やっぱりスターは目立つ星を持っているのだろうか。

 まるでうちの内心を読んだように、プロデューサーがにやりと口角を釣り上げる。


「当てたくても当てれない奴はたくさんいるぞ」

「当てたくなかったんですよぉ」


 何が悲しくてエリちゃんと飛ばなければならないのか。

 そりゃ、一人よりマシかもしれないけれど。

 いや、あんな美人と並んでブサイクな泣き顔を晒すなら独りがいい。


「小田切だぞ。グループセンターを常に争ってる」

「同期だし、知ってますよ」


 じーっと笑い顔から一転真顔で見つめてくる。

 なんだ、そんな当たり前のこと。

 うちは肩を竦めた。


「小田切と飛べるなら、絶対長尺になる。アイドルとしてこれ以上ない展開じゃないか?」


「うぅ……」とプロデューサーの正論に声が漏れた。

 尺は欲しい。だけど、映るならアイドルっぽい絵面が良いのだ。

 それにエリちゃんを当てたことの不安はもう一個あった。


「その前に、エリちゃんのファンになんて言われるか」

「ま、もう言われてるから諦めなさい」


 ばっさり、手振りとともに言い切られた。

 ですよね、と心の中で相づちを打つ。


「それに」


 一瞬の息つぎ。それで部屋の空気が変わる。

 机に肘をついて、顎の下に手をあて自分の顔を支える。

 プロデューサーはニンマリと目尻を吊り下げた。


「当てたくてないのに、一番美味しいのに当てたなら」

「当てたなら?」


 ゴクリとつばを飲み込む。

 アイドルとして売れると言ってくれるのか。

 これから推すと背中を押してくれるのか。

 ちょっとした期待とともに、プロデューサーの言葉を待った。


「お前は神様に気に入られてるってことだ」

「……嫌な神様だ」


 どうせ当てるならスカイダイビングではなく、センターにして欲しい。

 深々と吐いたため息はプロデューサーに吹き飛ばされ、うちは罰ゲームの日までエゴサは一切しないと決めた。

 罰ゲームが待っていても、レッスンと仕事は待ってくれない。

 日々をクタクタになりながら過ごしている内に、スカイダイビングの日になった。


「瀬名、大丈夫?」

「だ、だ、だ、大丈夫ぅ〜」


 天候は快晴。雲一つない上に、風も穏やかでスカイダイビングにはピッタリと太鼓判を押された。

 渡されたスカイダイビング用のスーツにハーネスをつけ、プロに確認して貰う。

 同じ格好をしているのに まるで違う雰囲気だ。

 移動の車でさえグロッキーだったうちと違い、エリちゃんは今から飛ぶとは思えない澄んだ表情だ。


「そろそろテイクオフしますよ」

「分かりましたぁ」

「はい」


 ふたりで隣同士に座る。

 スカイダイビングをする時はインストラクターの人とのタンデムになる。

 一緒に飛ぶと言っても数秒の時間差があり、同じフレームに入るのも難しいらしい。


『必ず、長尺になる』


 プロデューサーの言葉が頭をよぎった。

 そうなれば映るのは、エリちゃんばかりになる。

 ならば、うちが映れるのはこの時間だけ。

 飛行機のプロペラが回り始める。小型機なので音が非常に近い。

 うちは隣で姿勢よく座っているエリちゃんに手を合わせる。


「ごめんねぇ、うちが当てたせいで」

「ほんと、ビックリしたよ」


 合わせた手さえ震えているうちと違い、エリちゃんは完璧なアイドルスマイル。

 やはり、トップになる人間は違うのか。

 操縦士さんの声が飛行機に響く。


「テイクオフまで5」


 まだ飛行機が飛び立つだけ。

 それなのに怖くてしょうがない。

 指示通りシートベルトをして真っ直ぐ前を見ているエリちゃんにもう一度声を掛ける。


「ね、ね、手、繋いでていい?」

「え?」


 エリちゃんは目を瞬かせた。

 綺麗に生え揃った長いまつ毛が上下に動く。

 綺麗な人間はこういう動作さえ綺麗らしい。


「4」


 容赦ないカウントダウン。

 うちは窓の外とエリちゃんの顔を交互に見た。

 窓の外には回るプロペラが見える。


「うち、乗り物酔いやすいし、高いとこ怖いんだわ」

「よく今までツアーできたね」


 呆れたような声が聞こえた。

 いつもなら乗り物に乗った瞬間に酔い止めを飲んで寝てしまっている。


「3」


 グンと一気に圧力がかかった。

 胃の上あたりを押し込められるような感覚に吐き気がこみ上げる。

 ここで吐いたら、一生汚物アイドルだ。

 ましてやエリちゃんにかけるわけにはいかない。

 両手を合わせて頭を下げた。


「だ、だからっ、一生のお願い!」

「あー……わかった」


 そっと合わせられた手が取られる。

 滑り込んでくる指の滑らかさに、先ほどとは違う何かが背中を走った。

 触り心地も完璧とか、アイドルの神なのか。


「2」


 離陸に向けて飛行機はどんどん加速する。

 うちがエリちゃんの手を握る力も強くなる。

 それでも、文句一つ言わない。


「絶対、絶対、はなさないでね!」

「鼻水、出てきてるよ」


 うちの慌て方とエリちゃんの落ち着きぶり。

 そのギャップが面白いのか、スタッフさんは何もせずカメラを回しているだけだった。


「1」


 機体が傾いていく。

 ふわりと体を浮遊感が包み、窓の外に見える青の面積が増える。

 空の上にエリちゃんと手を繋いでいる。

 その手の温かさだけが、うちをアイドルのままにさせてくれた。


「と、飛んだぁ〜」

「飛んだね」


 エリちゃんは窓の外をじっと見て、それからカメラにも目線を合わせた。

 笑顔をひとつと手の振り。片手は情けない同期と繋がっている。

 トップアイドルとして求められる姿そのまま。


「こ、こわ、怖くないの?」

「怖いけど……仕事だからね」


 エリちゃんは巻き込まれただけなのに、そう言い切った。

 繋いでいる片手に縋るようにエリちゃんを拝んだ。


「強いわぁ、憧れる、マジ、尊敬!」

「やめてよ、同い年でしょ」


 苦笑いする姿さえ、様になる。

 もう一生エリちゃんについて行こう。

 そう思った時、その声は聞こえてきた。


『うわぁ、高いのホント嫌なんだけど』

「え?」


 まるで下手な腹話術のようだった。

 口の動きと聞こえてくる音が合わない。

 いや、エリちゃんの口は動いていない、はず。


「ん?」


 いきなり動きを止めたうちにエリちゃんは首を傾げる。

 うちは恐る恐る 聞き返した。


「今、何か言った?」

「ううん、それより近づいてきたみたいだよ」

『はなさないでって素直に言えるの羨ましいなぁ』


 二重音声みたいだった。

 両方エリちゃんの声なのに、うち以外には聞こえていない。

 それに、その内容が問題だ。

 あのエリちゃんが、うちに羨ましいなんて思っていいものか。

 自問自答し、首をひねる。


「んん?」

「瀬名?」


 今聞こえているのは自分に都合のいい幻聴じゃないか。

 そう思えた、思ってしまったうちは、小さくエリちゃんに尋ねる。


「エリちゃん、ほんとは高いとこ嫌い?」


 ガラリとエリちゃんの顔が変わった。

 一度表情が抜けて、また戻る。

 どれが答えか何よりも雄弁だった。


「……仕事しよーね」

「はい」


 冷えた声にうちは何度も頷いた。

 このあとスカイダイビングで容赦なく飛ばされたのは、仕返しだと思いたくない。

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