第66話
「もうすぐここを出るんですってね。さびしくなるわ。またここに立ち寄ることがあったら、靴を磨きにいらしてね」
「あ、はい。絶対来ます」
「その頃には、ナノちゃんとうまくいっているといいわねえ」
うまく行っている、と彼女が言うのは、おそらくそういうことだろう。
奥さんにはステラがそういうふうに見えていたのだと知ると、途端に顔が熱くなる。どこをどう見てそういう思考に至ったのか。弁明をしようとするが、奥さんは聞く耳を持たない。
「あの人もね、それはもう鈍感な人で。私がどんなにアピールをしてもどこ吹く風。ぜーんぜん気づかなかったのよ。靴ばかり見てるような人なの。まあ、そんなところが好きだったんだけど」
いったいなにを聞かされているのだろうか──ただでさえ疲れた心に、惚気話はだいぶ堪えた。ステラは空返事をしながら話を聞いているふりをした。そんなステラなどお構いなしといった様子だ。
「もう諦めちゃおうかなと思ったの。私に脈なんてないんだわって。だけどなにも伝えられないのは悲しくて、好きでしたって言っちゃったのよ。そうしたら、ぼくもです、って。なによそれ。でも私、きちんと自分の気持ちを口にしたのは、そのときが初めてだったのよね。相手に仕向けようとするばかりで、小賢しいことばかりやってた自分に気づいたの」
「小賢しい?」
奥さんはこっくりと頷いた。靴はすでに磨き終えているのに、ステラを帰すつもりがない様子で、自分も椅子を引っ張り出してステラの隣に座った。
「ただあの人とずっと一緒にいたいってことを忘れてたのよ。振り向いてもらうことが目的になってた。振り向いてもらって終わりじゃないのに。あくまでそれは通過点でしかないのに」
「……そんな、先のことなんてわからないじゃないっすか。一緒にいるなんて遥か先の未来の話ですし。目の前のことに必死になるのは仕方ないんじゃないすか? 若けりゃ特に」
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