HA-似非者と似た者
俺と彼女の違い。というのを列挙すると、とにかく数えきれないほどあるのだが、その中に『髪の長さ』という項目がある。
腰の長さまである少女の髪は捻くれ知らずで、少しの揺れでしゃらんと、弦楽器めいた音が鳴る。日ごとによってポニーテールだったり、三つ編みだったり、下ろしっぱなしだったり。塔の上の姫もここまで自身の髪を楽しんではいないだろう、という感想を抱くくらいにはころころと髪型が変わる。
「……あの」
と、現在進行形で髪を弄る彼女の様子を観察している。のだが、咎めるようなトーンで声をかけられた。
「そう見られているとやりにくいです、お兄さん」
「嗚呼、うん。やりにくそうな髪型だなって思って見てた」
「絶妙に噛み合ってないんですけどこの会話」
本日は快晴、とまではいかずとも日曜日にはちょうどいい晴れ間の空で、ベランダの戸から差し込む光が床に影を作っている。リビングのソファに座るつつじは、ズレた回答をする俺から距離をとるように半歩ほど端に寄った。
つつじは先ほどから、タブレットに流れる動画と卓上の鏡と交互ににらめっこしながら自身の髪と格闘している。見たところ編み込みを重ね、そのままシニヨンにしようとしているのだろう。
共にソファに座る俺へ、言外に「じろじろ見るな」と言った彼女に『じゃあ自分の部屋戻ったら』と返すことも可能だったが、生憎彼女が使っているタブレットが俺の物なのでやめた。貸して欲しいと頼まれて快く貸したのだし、別に彼女の自室に持って行かれても支障無いが、このまま苦戦するさまを眺める方がずっと面白い。
「んで、何でそんなややこしい頭に挑戦してんの」
「……」
集中力が切れたらしいつつじは、眉をしかめつつ三つ編みの作業に取り掛かっていた指を放して背もたれになだれ込んだ。
「今度の舞台でこういう髪型にしないといけないんです」
どうやら道中もうまくいっていなかったらしく、編んだ房も全て解きながら答えた。
現在高校二年生のつつじは、生真面目さが人の形をしたようであるが、意外や意外。籍を演劇部に置いている。
舞台と言った。今は八月だ。演劇部でなくとも、学生がこの時期にそういう話をするということは。
「そうか、文化祭近いんだね」
神妙な面持ちで彼女は頷いた。
「壇上に立つわけだ。ところで何の役?」
「主人公の姫と王子、二人の逃亡劇なんですけど……その姫の侍女役です」
「壮大そうなストーリーだな……ん?侍女ならもっと地味めの髪でいいんじゃないの」
いまの時点だと、かなり込み入った髪事情だ。侍女が主人公でないならなおさら、単にお団子にまとめるくらいでいいではないか。
「いえ、身代わりで侍女が姫の振りをして敵の注意を引き付けて死ぬので」
「想定以上に壮大じゃん……いやちょっと待って、君死ぬの?」
「死にます、華々しく」
主人公たちを食いかねない大役のような気がしないでもないが、触れないでおくことにした。それにしても学生の劇で人死にのストーリーがよく通ったものだ。脚本担当は一体どのような子なのか。
「でも髪とか、他の人がやるもんじゃないの」
「姫役の子とお互いにセットする手はずなので、私も出来ないと困っちゃうんです」
なるほど、と得心の息をもらす。とりあえず、つつじが苦戦してまで髪と格闘する合点はいった。俺はタブレットを覗き込んで動画を再生する。頭部のみのモデルを撮った動画は、なるほど、カメラが固定のまま進むせいか少し分かりにくい仕様になっていた。動画の再生を終えて、つつじに尋ねる。
「……最終的にこの頭になればいいわけね」
「はい?まぁそうですね」
「教えてあげる。ちょっとあっち向きな」
ソファに座り直し、ベランダの方へ指をさす。つつじは狼狽しながらそっと俺に背を向ける。
許しを得て、試行錯誤の産物で少し波打った髪に指をかけた。動画を思い出しつつ、編んで結わえてを繰り返す。
ビロードのような、なんて美しい髪を比喩するのに使われる文句が脳裏を掠めるくらいには手触りの良い髪だった。いっそ憎たらしいくらい引っかかりの無い指通り。
人形のような目鼻立ちで、はっきりハリのある声。華奢な肩。細い指爪。伸びた背筋に裏打ちされるような性格。間違ったことを間違っていると言える、危ういくらいの正しさ。間違った人間を間違ったまま放っておかないお人好しさ。
──神様に愛されると、きっと人間はこういう風に生まれてくるのだろう。比喩でなくそう思う。神様が正しくも愚かしいまでのお人好しだったのだから。
「はい、出来たよ」
人生の半分以上を占める憎悪を呑み込みながら、手を放した。
「……」
鏡を手渡されたつつじは何度も角度を変えて後頭部を確認すると、ぱっと顔を上げて身体ごとこちらを見た。
「すっ……凄い、お兄さんにこんな特技があったなんて」
大きな瞳を煌かせて素直に言うものだから、少しばかりほくそ笑んだ。
「慣れてるからね、これくらいは」
「これまで髪テクで数多の女性を落としてきたんですね……斬新です」
「その発想は無かったよ。……じゃなくて、お嬢様方のお世話の一環」
周りの警戒ばかりが仕事ではない。身辺警護ともなると、特にこういった依頼人の世話回りをすることも多い。護衛というより執事めいた業務に近いが、実際依頼人と打ち解けて仕事がしやすいというメリットもある。
そんな旨の弁解、もとい説明を付けると、納得いったようでまた鏡へ関心が戻った。
「でも本当に凄いです。早いし綺麗だし、弟子入りさせてください」
「じゃあもう一回やってあげる。俺の背中見て技を盗んで」
「物理的に無茶です」
おべんちゃらを流し、またつつじが背を向けた。鏡を掲げるので、このまま教えろということなのだろう。
「一度で覚えてよ」
「善処します」
彼女の背を陣取り、まとめた髪をほどきつつ手順を説明する。一から十まで言って、今度は動画を流しながら解説を加える。さらにコツを教えつつ、彼女がメモを取りながら自分の髪で実践してみる。
「……ふんふん、うん。分かってきました。これなら出来そうです」
「いけそう?」
「はい!ありがとうございます。助かりました」
そう大したこともしていないが、屈託の無い笑みを向けてお辞儀をしてくる。
「ま、本番うまくいけばいいね」
「はいっ頑張りますよ」
「なんなら見に行ってあげようか」
「いいんですか?」
俺はぱちりと瞬いた。『嫌です』と拒否されるものだと思っていたから、つい返答に窮する。
「いや、俺が見に行って嫌じゃないの」
「嫌じゃないですよ、お客さんたくさん来てくれる方が嬉しいですし」
どことなく噛み合っていないような気がしたが、そこを訂正するのも憚られた。がりがりと頭を掻く。
「……じゃ、父兄参観いくか」
「やった。一般公開日、空けといてくださいね!」
ご機嫌な様子でつつじは立ち上がる。「あ、タブレットありがとうございました」と言って卓上の鏡を掠め取り、ぱたぱたと廊下へ消えていく。洗面所に戻しに行ったのだろう。
期せずして予定が入った。行くと言った手前なのだから、休みを入れるのは忘れないようにしよう。
頭の中のスケジュールに書き込みながら、溜息を吐く。
「……絆されてんなぁ」
呟いた。否、自分で絆されることを選んだようなものだが、どうにも折り合いはつけ難い。
今も彼女に対する劣等感は残ったままだ。薄れこそすれ、消えることは無いだろう。
生産性も度外視で、彼女を綺麗だなと思って、俺は汚いな、と考える。枚挙に暇がないほどある俺と彼女の違い。引っ張り出して並べたところで、意味など持たないのに。
──俺よりも軽い足音が響く。「お腹すきましたねぇ」とのんきな声色で、つつじが戻ってきたところで思考を打ち切った。
待ってました、とばかりに炊飯器がタイミングよく鳴った。今日の昼は、昨晩つつじが作ったカレーだ。彼女が戻ってきた足でそのままキッチンへ向かう。
「カレーは一晩寝かせた方が美味しいんですよ。つまり今日が食べごろです」
意気揚々とつつじがカレーを温め始める。少しすれば、甘口カレーの胃袋を刺激する匂いが立ち込めた。釣られるようにして、俺もキッチンへ行く。
カレーを温めるその横で、冷蔵庫からよく冷えた麦茶を出し、二人分のコップに注ぐ。
「カレーはやっぱり甘口ですね」
「そうだね」
「小学校のときの給食のカレー、中辛で食べるのに苦労したんですよね」
「給食のカレー……嗚呼、俺のとこも中辛だった気がする」
「小学生にする仕打ちじゃないですよね」
「辛さの耐性の英才教育だと思えばマシじゃない?」
「マシじゃないです。深空も縁くんも中辛派なんですよね、肩身がちょっぴり狭いです」
「意外だなぁ」
言いつつも抽斗からしゃもじを取り出し、炊飯器の蓋を開ける。
「……そう思うと、私たちってわりと似てますよね」
一拍置いたその発言に、うっかり炊飯器の中にしゃもじをダイブしかける。ぎゅっとしっかり握りこんで、動揺を隠しながら「そう?」と気の無い相槌をした。
「だってカレーは甘口派でしょうお兄さん」
「つってもカレーだけでしょ」
「スイーツも好きですし。コーヒーと紅茶だったら、コーヒー派ですよね」
「まぁそうだけど」
「あ、うどんと蕎麦だったら蕎麦でしょう」
「まぁ……そうだけど」
「あとは、うーんと」
つつじは火を止めて、なおも定番の二択を脳内検索し続ける。ふと、しゃもじを握ったまま突っ立つ俺を見て首を傾げる。「どうしました」
この世には何万何億と人間がいるのだ。こんな二択が少々かぶったところで『似てる』と割り振るのは安直すぎやしないだろうか。カレーの甘口派も、コーヒー派も、蕎麦派も、たかがそれだけ。……否。
冷静に考えるなら、俺は幼少を彼女の親たる臙脂と撫子さんの元で過ごしている。俺の生活基盤はそのときに出来上がったものだ。当たり前だがつつじも二人の元で育ったのだから、味に限らず、好みが被るのは必然なのかもしれない。
「……」
「あの、ご飯よそわないんですか?」
──という、こんな馬鹿らしい分析を、彼女は思いつきさえせず『似てますね』などと言っているのだろう。
「……やっぱ全然似てないよ」
「話つづいてたんですか?全然ってことはないでしょう」
「美人さんは俺と似てる方が嬉しいんだぁ」
しゃもじを差し出すと、つつじが受け取りながら「そこまでは言ってないんですけど」と眉をしかめた。
お互い白米を皿に盛り、ルーをたっぷりかけて席につく。『カレーは一晩寝かせた方が美味しいんですよ』という、彼女の台詞がおいしい魔法をかける。
いつかの食卓。まだ君が生まれる予定も無いような頃。撫子さんも同じことを言っていた。
「いただきます」
声が重なる。スプーンで掬って、昨日よりも美味しいカレーを口に含む。よく噛んで食べるんだぞ。と思い出が囁く。
カレーを頬張るつつじと目が合った。
「おいしいですね」
「……おいしいね」
目を細める彼女の脳裏にも、きっと同じ囁き声がしているのだろう。
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