第十六話 五人……いえ、六人で戦争よ その4
◇◇◇
経理部の面々に囲まれながら古いパソコンの前に座らされた。やはり、
「えーっと……そもそも、この古いパソコンは更新しないんですか?」
「予算があればやってるわよ!」
「本当は今年に更新予定だったんだよ。でも各部が負担していた保守費や更新用の予算をシステム部負担にするというから任せたんだよね……」
「任せちゃったんですね……」
思い出すのも腹立たしいということだろう。ことの顛末は知っている。要するに
「そうだ。予算を奪われて劣悪な保守メニューに取って代わられた」
「その結果がコレですか?」
「あぁ……」
新品のノートパソコンが置かれている。
「箱は用意するから後は好きにしろ、だとさ。スペック差はサービスだと
業務で使っているパソコンが壊れたのに新品のパソコンを渡されてどうしろというのか。バックアップや代替手段が明確ならまだしも、これではただの嫌がらせだ。
「データ転送も印刷もできない。そもそも専用プリンタに接続する端子もない」
三十年モノのパソコンの電源スイッチを入れる。もちろん全く起動しない。
周りからは溜息が漏れる。
「悪夢の再来か……」
「手書き伝票作成のノルマは一人千枚だったっけ?」
「最近景気が良いからな。前回の倍は必要だぞ」
「仕入れ先に謝罪しながら伝票送付……人は減ってるのに……何日寝れないんだー!」
パソコンラックの前にしゃがみ込み、ケーブルの刺さり具合を確認してみるが問題は無さそう。幾つかのパターンを思い浮かべながケーブルを抜いていく。
「パラレルケーブルに……わーお、10Base2だ。ウヒョー、骨董市かよ。レア物だぜーっと」
テンション高くケーブルを抜いてパソコンを引き摺り出す。埃に塗れてウキウキする三十代男性。
「うへへ、二十年分の汚れ……
「……えっ、あ、あるよ」
机の上に運ぶだけで白いワイシャツが汚れていた。胸ポケットからマスクを出して装着。それを見ると周りの観客も一歩後退った。
ここで工具を取りに一旦部屋から出ていく。真っ暗な隣の部屋で工具箱と必要そうな機材を手に取ると、すぐに戻っていく。丁度、反対側から海が雑巾を持って近づいてくる。
「ごめんね。こんな遅くに……」
「まぁ、乗りかかった船だよ」
「……」
珍しく
「あー、前回稼がせてもらったから、そのお礼だな」
少し押し黙ると「それもそうか」と呟いた。少しだけ明るい笑顔が戻ってきた。
「じゃあその分は働きなさいね!」
「もう少し恩を売らせて……」
しょんぼりしながら部屋に戻ると観客の半分くらいは自分の机に戻っていた。熱心なのは課長と海くらいだ。
「最悪な事態も想定して動いてもらっている。ダメでも恨まないから安心してくれ」
田中課長が穏やかに告げてくれた。恩義もある。これはなんとかするしかない。
「では、色々やってみます」
とりあえず手を動かすことにした。
◇◇◇
マザーボードの電池交換、不要な周辺機器の取り外し、メモリの抜き差しに埃の掃除。全てやってみたが画面は何も出てこなかった。
「電源が死んだか、CPU本体が死んだか……」
部員の方々は無言で伝票作成の準備を始めているが、こちらの会話には耳を傾けている感じがする。取り敢えず同型のハードディスクにバックアップだけはしてある。自分のノートパソコンに外部接続してディスクの中身を覗く。幸いなことにデータは全て問題なさそうだった。
とはいえ起動しなければ意味がない。諦めの雰囲気が漂う中、椅子にもたれて天井を見る。
「データ、生きてるの!」
「あぁ、コレをコピーして代替機を作ることも可能だけど……」
「じゃあ――」
嬉しそうにこちらのセリフを遮るが、こちらも被せるように期待を打ち砕く。
「――印刷とデータ転送はできないけどね」
固まる海。田中課長は何となく理解してるみたい。
「えーっ、意味ないじゃん!」
「だから困ってる……」
見積入手に稟議に購入。そこから設定とくれば工数はどう見積もっても一週間じゃ効かない。
「えーーっ……」
何となくこちらの絶望を理解して悄気る海。また天井に視線を移す。
「こんな古いパソコン……部品を買うにしても何処に売ってんだよって……あっ」
ギシッと音を立てて立ち上がると、何も言わずにいつもの事務所に戻って給湯室横の物置に入っていった。そこにも、埃に塗れたデスクトップパソコンが数台置かれていた。
「データエントリー端末も同世代だった。へへへ、全く……ディストピアだなぁ」
2010年のシールが貼られたパソコン。じーっと見つめてどうするか作戦を立てる。
(部品取り……いや、逆かな?)
一台を両手で掴んで、また隣の部屋に運ぶ。入る時、少しだけ皆さんの視線がこちらに向いた気がした。
「わっ、何それ?」
「パートさん達の使ってるパソコンの予備機」
隣に置いてから、早速ドライバーで蓋を開ける。
「流石に予備機。思ったより綺麗だな……」
開けたままケーブルを繋いで電源を入れると、ファンが動き始めた。暫くすると起動画面が出てきた。勘違いして集まってくる観客。
「動いたの?」
「画面違うよ?」
「ん? 違うパソコン?」
説明が面倒くさいので無視することにする。すぐに電源を停止させてハードディスクを抜き取る。少しだけ作戦のリスクを検討する。
(バックアップはとってある。ダメでもスタート位置に戻るだけ!)
少し気合を入れると、件の
電源スイッチを押す指が止まる。
「どうしたの?」
海が呟く。もう一度だけ考えてから一人で頷く。
「祈れ」
「えっ?」
一瞬ザワッとする。周りから観客が戻ってきた。もう一度、神託をお告げする。
「このスイッチを押したら、もう祈るしかありません」
「どういうこと?」
「デスクトップが出たら勝ち。出なければ負け」
誰も口を開かない。
「では、ポチッとな!」
使い古された擬音で電源ボタンを押すとファンが回り始めた。両手を胸で組んで祈りの姿勢。すらと、周りの観客も一緒に祈ってくれた。
暫くすると、起動画面が出てきた。
「やった! 動いて――」
「――まだだ」
遮ってじっと待つ。海は両手を口に当てて口を開かないようにしている。長い三十秒ほどが過ぎると、ログイン画面が表示された。
すっと椅子から立ち上がり海を見る。
「ログインして」
見つめ合う二人。少し震えている。
「怖い……」
「やれ」
「ログインします」
蚊の鳴くような声で呟くと、震える指でキーを叩き始めた。こちらももう一度祈りを捧げる。何も言わなくても周りも祈り始めた。
「えいっ」
キーを叩くと画面が変わってデスクトップが表示された。海が振り返るのと同時に、周りが一斉にこちらを見る。
「祈りが通じましたね」
ちょっとした歓声が沸いた。海も嬉しそう。最後にキーを叩いた人差し指を感慨深そうに眺めている。
「では明日から残業頑張って下さい。今日中に使えるようにできると思います」
少しの沈黙。
「えっ、まだ直ってないの?」
「ライセンス認証してドライバー入れてバックアップまで取りたい。明日には使えるよ」
「四条は?」
肩や首を回すとゴリゴリ音がした。今週の週末は絶対に整体へでも行こう。
「まだ何時間か掛かるよ。皆さんはキリの良いところで帰って下さいね。今日はまだ無理です」
「巻き込んじゃったのに……」
申し訳なさそうに小さくしてる海。周りの方々も帰り辛そうだ。ここで俺が気にする必要はない、なんて言っても、この重い空気は晴れない気がした。
すると田中課長が気を利かせてくれた。
「四条くん、明日はどうするんだね?」
「そうですね……特に急ぎの仕事もないので休みます。皆さんが仕事してる間にビール飲んで寝てますよ」
部屋の空気から深刻さが消えた気がした。
「じゃあ、今日は任せようかな……よろしく」
「はい。以前のミスの借りを返しますよ」
◇◇◇
既に二十三時を回っていた。徐々に急ぎ足で帰宅の途につく皆さん。
「では青山くん、駅まで送るよ」
「海、ありがたく送ってもらえ。田中課長、よろしくお願いします」
「あっ、う、うん。四条……大丈夫?」
「えーっと、朝までここに俺が居たら……よろしくな」
少し考え込む海。すぐに気付いて慌てふためく。
「ひーーっ! それはダメよっ!」
「ははは、大丈夫だよ。じゃあお疲れ様」
「青山くん、我々も電車が無くなる前に帰ろうか」
田中課長と俺の顔を交互に見る海。もう少し話したそうだったが、名残惜しそうに部屋を出ていった。
急に無音に近くなってキーンと耳鳴りがするほどだ。
「さーて、楽しいリカバリ作業だ。サクサクやっちまおう」
独り言を呟きながら作業を開始した。
◇◇◇
「大体終わりーっと、まだ二時か。昔取った
ネットワークカードを指してドライバーをインストールして一通りの稼働を確認できた。
「ハードディスクが生きてたのが良かった。後はバックアップとコンペアが終われば――」
「――四条」
「ひぃ……」
暗闇から自分の名前を呼ぶ女の声。背筋が凍り鳥肌が全身に立つ。震えながら振り向くと、そこには私服に着替えた
「脅かすなよ……」
髪は昼間のように纏まっておらず、微かに濡れているよう。シャンプーの甘い香りがする。競馬場で会った時のような派手な服ではないが、女の子らしいワンピースに身を包んでいる。
「お腹空いたでしょ。これ食べて」
ビニール袋ごと渡された。中を確認すると、おにぎりが数個とお茶が入っていた。見た瞬間にお腹の鳴る音が響く。
「ははは、ありがとう。早速頂くよ」
おにぎりを取り出し早速口に放り込む。
「あーっ、ウェットティッシュも貰ってきたから手を拭きなさいよ」
「細かいなぁ……」
一つ目を食べ終えてから、手を拭いて二つ目に手を伸ばす。ふと気付いて海に声を掛ける、が何か考え事をしているようだ。
(というより眠いのかな? じゃあ一仕事してもらおう)
「海」
「ひゃ、ひゃい!」
狼狽え過ぎて面白い。夜の会社は不気味だから、そう思うことにした。
「試しに触ってみてくれ。復旧してると思う」
びっくり顔でこちらを見ている海。椅子から退いても動こうとしない。
「海、眠いのか?」
「はっ、ね、眠くないよ!」
無駄に緊張している。自分のテストで不合格なら、明日から徹夜続きだ。緊張もする、そう思うことにする。
慌てて座って操作を始める海。アプリを数個実行させると満足そうに頷いた。
「大丈夫そう。四条、ありがとう」
「へへへっ、頑張った甲斐があったってもんよ」
椅子から退いてくれたので、また座ってバックアップ状況を確認。順調にグラフが進んでいた。
ふと椅子に残る海の体温にドギマギする。
「今晩どうするの? 四条、電車でしょ?」
「ひっ! ん? あぁ、近くの漫画喫茶にでも行くよ。タクシーより安いからな」
「ふーん……」
何故か不機嫌になっている海。不機嫌というより困っている感じにも見える。
取り敢えず、お茶を飲みながら観察してみる。
「気になっちゃってさぁ……お腹空いてないかなぁ、とかね……」
三つ目に手を伸ばして齧り付く。
「んまい……ツナマヨか。あぁ、ありがとう。マジで助かったぜ!」
無駄に格好をつけてポーズを決める。これは、正直恥ずかしいから照れ隠しだ。大体『ダッセー』と蔑んでくれる。そこまでがワンセットだった。
しかし、今回のシチュエーションは違ったらしい。予定調和なセリフは聞こえてこなかった。
「ねぇ、私の部屋に来る?」
「えっ?」
一瞬、誰が何処に行くか理解ができなかった。セリフの意味が理解できた瞬間、海の顔をそっと見てみる。目を合わせずに真っ赤になって震えている。
「あっ……」
(ここで『はい』って言ったら……えっ、えーっ?)
「あの……」
「あはは、じ、冗談よ、冗談! びび、びビックリした? ビックリしたでしょ!」
「あっ……あ、そーなんだ、そーだよねー、そう……」
俯き加減の顔は真っ赤のまま、瞳には涙が溜まってキラキラと輝いている。震える声で如何にも悪ノリだった、という感じで続けていた。
「さ、冴えない顔してるから揶揄った……じ冗談……じゃ……なくて……」
が、声色は徐々に真剣なものに変わっていく。潤んだ瞳のまま見つめてくる海は、控えめに言っても美人だった。思わず見惚れてしまう。
「海……」
「四条……わた……しの……へ」
ここで作業中のパソコンからアラーム音がけたたましく鳴り響いた。
「うわっ!」
「ひゃーー!」
二人して悲鳴を上げて狼狽える。勿論二人の他には誰もいない筈だが、この現状を誰かに見られてないか焦りながら確認する。ふと気付いてパソコンを確認するとバックアップ終了を告げていただけだった。
「ば、バックアップが終わっただけか……」
慌ててマウスを操作してアラームを止めていると、背後でパタパタと走り去る音がした。出口のところで海が振り返っている。
「わ、わたし、き、今日は帰る。ま、まま、またね!」
「あ、あぁ。えっと……あっ、気をつけて帰れよ」
「優し……あっ、う、うん。またね!」
足跡が去っていく。遠くで扉が閉まる音が聞こえると、また無音の世界に戻っていった。
「えーっと……何だったんだ?」
海の出て行った扉を見ながら呆然と、何が起きたかを考えていたが、コンペア完了のアラームで今度は椅子からひっくり返った。
――――――――――――
【ライセンス認証】
古いOS(Wind○wsXP)のライセンス認証だが、二千二十年代でも電話を使って全く問題なく実施できた。
控えめに言ってM$スゲー。
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