第九話 健康より大事な仕事なんて無い その3

◇◇◇


「というわけで、皆さんを呼んでくれますか?」


 胡桃沢くるみざわつむぎが部屋から出ていくと、早速に優子さんと由紀子さんへお願いする。


「サッちゃんとミーちゃん?」


 少し考える。


(ここは、あの人の力を借りるか……)


「あー、淑子さんとヤサカ師匠も」

「師匠も?」


 少しビックリする由紀子さん。優子さんは早速電話を始めている。


「うん。緊急事態。明日、芋羊羹をおやつに出すからって伝えて」


 ニヤリとする由紀子さん。


「あんこ玉も?」


 ここで優子さんは指でオッケーサインを出してくれた。もう一人捕まったらしい。嬉しくなる。ピンチには皆んなで立ち向かえれば百人力だ。

 報酬も弾もう。


「もちろん。しかも十五本入り、どうだ?」

「成立ね。明日は玉露持ってくるわ!」


 由紀子さんもガラケーを取り出すと早速電話を始めてくれた。

 ここでドアの方に向けての合図をすると、経理のまりんと調達のあおいが駆け寄ってきた。いつも通り距離近めで葵が俺の隣に、海がその隣に座った。


「おい、四条。どうなってるんだ?」

「胡桃沢を帰らせた」

「裏切り者だぞ!」


 葵が声色厳しくこちらの言いたいことを言ってくれた。思わず笑ってしまう。


「四条、舐められ過ぎも――」

「――ありがとう。葵、お前の厳しさが今日は心地良いよ」

「くっ!」


 二の句が継げなくなった葵は少し震えると肩パンしてきた。


「で、どうするの?」


 海が震える葵の膝に両手をやってこちらに身体を乗り出してきた。十五センチの距離なら恋人の距離じゃない、と無駄なことを一瞬考える。


「このまま放置すると経理部と調達部が一番ダメージを食う。だから……お金出して」

「「はぁ?」」


 二人ともハモって顔を近づける。両者とも十センチ以内だぞ。


「残業でカバーする工数くらい算出してるだろ?」

「……今の状況を放置していたら来週から強制的に介入しようとは思ってたわ」

「経理も一緒。来週まで変わらなかったら派遣社員をこっちに当てるつもりだった」


 うんうん頷いてしまう。やはりコイツら仕事が早い。


「四条くん、皆んなこっちに向かってるわよ」

「師匠も捕まったわ。何も言わずに来るって。『四条に説明させる』って息巻いてた。あはは」


 優子さんと由紀子さんが電話しながら状況を教えてくれた。それを聞いた海と葵が目を見合わせている。


「まさか……パートさんを復活させるの?」


 海が小声で叫ぶと葵は指をパチンと鳴らした。


「いいね。四条んとこの元課長、スッゲー嫌いなんだ。調達から半分お金出すよ」

「葵! 即決〜?」


 海が驚いているが葵は腕を組んで自慢気だ。


「ウチの部、今期の余り予算がまだ二、三百万あった筈。当座の費用に当てよう。もちろん正式に稟議も通してやる」


 葵とグータッチ……と見せかけて鳩尾にパンチされた。


「ほどほどに私の手間も掛かる……がメリットの方が大きい。調達部として承認してやろう」

「偉そうな……」


 今度は逆の拳で横っ腹にパンチされた。


「け、経理もオッケーよ! でも課長に報告して承認取らなきゃ」


 海は葵の手を取ると引っ張って連れ出そうとしている。


「葵、調達部と合同でパートを雇うって説明して!」

「えっ、めんど――」

「――来てっ!」


 こうなると海の方が強いのが面白い。二人連れ立ってあっという間に部屋から出て行った。

 すると、一人の女性が代わりに部屋へ颯爽と入ってきた。ワインレッドのスーツに身を包んだ美魔女。


「四条。何が起きているか説明しなさい」


 師匠キターーッ!


◇◇◇


 一時間もするとパートさん達が一斉にデータ入力し始めた。それを眺める俺の横には『システム部の美魔女』と呼ばれた八坂やさか師匠が腕を組んで立っている。齢六十を数年は超えている筈だが下手すれば三十代と言っても通りそうな美貌。


「こんなに溜め込んで! 何やってんのよ!」

「はい、すみません!」


 五人のパートさん達はキーボードへ軽やかにデータを入力していく。二人がペアになって入力と検算をしていくと、みるみる山となっていた伝票が片付けられていった。

 師匠はその様子を少し見てから軽く頷いた。こちらに視線を向けると、無言のまま顎でサーバー室の方を指した。

 サーバー室の扉を開けてうやうやしく師匠を招き入れると、早速に仕様書を読み始めた。テストでスキャンできるように準備をしていると師匠が呆れた声を上げる。


「何これ? 経理が怒り出すよ、こんな無茶苦茶な集計じゃあ」

「師匠、何がダメなんですか?」

「マイナス処理! 誰だ、赤伝票の仕様も理解してないのに再構築したバカは!」


 その時、大声が部屋から響いてきた。


「どういうつもりだ! 胡桃沢は何処だ! 早く仕事をさせろ。パートはクビにした。誰の許可で出勤した!」


 急なストレス因子登場に動悸が激しくなる。とはいえこの事態からは逃げられない。早速ついさっき自らの口から出た台詞『後片付けしてやろうと思って』を後悔する。


「えーい、ままよ」


 小声で呟くとサーバー室の扉を開けた。一斉に全員の視線がこちらに向く。


「四条、てめえの仕業か……」


(ヤ○ザだよね。暴対法賛成!)


「あ、あの……あ、あれ……は……」


 ダメだ……やっぱり言葉が……出てこない……。


「あ、あれは――」

「――うるせー! 舐めた真似すると殺すと言わなかったか?」


 威圧され過ぎて自分が何処にいるか分からなくなる。


(あれ? ミリアさんは何処? 甘えさせて……はっ)


「ショタじゃなかった……」

「何喋ってんだ! こっちの許しも無く喋るな!」


 無茶苦茶な台詞。しかし、急に目の前のパワハラの権化が『ただの人間』と意識できた。


(そうだよな……敵の攻撃はMAXで罵詈雑言を口から出すだけだ)


「く、くく、胡桃沢は帰らせました。サブロク違反は刑事罰です」


 理解しても言葉に詰まる。しかし思いの外に怯えていないのでイライラしているように見える。

 これは……珍しい。


「俺を脅すのか……あぁん?」

「いや、だからパートさんに復活してもらって業務を――」

「――金はどうすんだ!」


 とびきりの大声。


「調達と経理が雇います。だから文句を言わないで!」


 葵が海に引っ張られながら叫んでいた。横の可憐な女の子が思ったより大声を出したので、海も観念して会話に参加する。


「経理の承認も得られました。パート全員こちらの予算で動いてもらいます」


 これで勝負あった、と思ったが流石は魔王岳。


「なんだとぉ……舐めた真似すんじゃねーか」


 凄みながら二人に近づいていく。海は葵の背中に回って震えているが、葵は腕を組んで仁王立ちだ。ゆるふわワンピースと相まって絵面がファンタジーっぽい。

 一触即発な雰囲気に気圧されていたが、女の子とパワハラの構図に葵の身の安全を護るため駆け出した瞬間、横から迫力のある声が響いた。


「魔王岳! いい加減にしろ!」


 ヤサカ師匠だった。立ち止まってゆっくり振り返る魔王岳。怒りより苛立ちを表に出していた。


「ちっ、ヤサカか……」


 何も言わずにモデル立ちするワインレッドのスーツに身を包んだ美魔女を睨みつける。


「あんなボロシステムでは業務が止まる。どうする?」


 忌々しそうに睨みつけていたが、急に両腕を組んで嫌味な笑顔を見せた。


「新システムを使いこなせない胡桃沢が悪い! だが私は部下思いだ。システムを覚えるまでは優しいお前らが金を出してパートでも雇えば良い。嫌なら自分達で手を動かせ!」


 鼻息荒く、そのままドスドスと足音を立てながら葵と海の横を通って部屋から出て行った。

 海と連れ立って葵が師匠の前に走り込む。


「八坂さん、来てたんですか? 百人力でーす!」

黄金こがね、元気だったか?」

「はい。八坂さんもお変わりなく」


 ここで俺は盛大にため息を吐いた。


「片付いた〜。はぁ、苦手なモンはどうやったって苦手だ……」

「でも頑張ったじゃないか、四条」


 師匠からのありがたいお言葉。これは泣ける。


「はい、ありが――」

「――四条、お前は調達が雇ったから私の部下な!」


 ここで葵が突然割り込んできた。


「パートさん達を経理と調達で雇うって言ったろ。お前もパートタイム勤務だ。四条は私の下僕――」

「――経理も予算組みました! だから四条は私の部下ね!」


 睨み合う二人を見ていると、本当に嬉しくなる。残念なのは異世界のショタボディだったら二人の胸元に飛び込んでいくのだが、それを今やったら両手が後ろに回ってしまう。

 こういう時はアレしかない。


「よし、お茶の時間としますか。今日はとっておきのオヤツって訳じゃないけどね」

「じゃあ今日は普通の焙じ茶だけど入れてあげるわね」


 由紀子さんが立ち上がりそそくさと給湯室に向かった。


「ふふふ、ここでお茶は久々だ。では御相伴に預かるとするか」

「八坂さんとお茶! 四条、おやつ早くしろ!」

「葵、会議あるって言ってたよね」

「チームミーティングよりお茶の方が重要!」


 海と葵が師匠を連れてソファーに向かった。それを見ると、皆さんもキーボードを叩くのをやめてソファーに座り始めた。


(復帰記念に買っといてよかった……)


 俺は自分の鞄から旅行先で買ったバームクーヘンを取り出すと小さな拍手が湧く。

 異世界の時給でも一時間ほどの対価が必要な高級品。折角だからと由紀子さんが戸棚から菓子器かしきを出してくれた。十六等分してから一つずつ菓子器に置いてテーブルへ運ぶ。何往復めかでいつまで経っても立ちあがろうとしない女性陣に文句を言うことにした。


「海と葵も手伝って――」

「――あっ、ラッキー。紬、今日豪華なおやつだぞ」

莉子りこは知らないだろうけど、色々あって今日は疲れたのよ……でも、これがご褒美なら許すか」


 紬と莉子がタイミングを計っていたかのように現れると、さも当然といった風情でお茶とおやつを並べるのを手伝ってくれた。そのまま流れで遠慮なくソファーに座る。


「これで心春が来たらいつものメンバーだよ……」


 葵が呟くと莉子と紬が顔を一度見合わせた。


「心春、さっき会ったんだけどね」

「うん。忙しいから当分来れないらしいよ」


 何故か俺を一斉に見つめる皆さん。挙動不審にならないように気をつける。


「あ、あぁ。い、忙しいのは結構なこと。へへへ」

「キモい」


  ダメだった。葵、厳しい。


「ではお茶会を開催しましょう」

「紬、お前が仕切るなよ……」


 葵のツッコミでスタートしたお茶会には、紬と莉子の話の通り最後まで心春は現れなかった。

 しかし、いつものお茶会。

 そう。明日から日常が戻ってくると実感できた。


(俺のパート勤務だけは戻らない、けどな!)


◇◇◇


 そんな日常が一ヶ月ほど続いたある日。


「ほら、入って」

「あ、あのあの、紬さん……いやん」


 押されて部屋に入ってきたのは胡桃沢だった。実は昨日、戻ってくることを海から聞いていた。人事と話した結果、経理部預かりとなったらしい。


(ストレス因子からは離れないとね!)


 だから一斉に優しい瞳を向けるオバサマ達。それに気付いた胡桃沢は少し照れている。


「えへへ、戻りまし――」

「――やっぱり若い女の子はイイわねー!」

「そうよ。見ているだけで元気になっちゃう」

「お祝いのお茶しましょ」

「良かったわね、陽葵ちゃん。今日はチョコレートがあるのよ」


 ホットタイム休憩にはだいぶ早いが皆が立ち上がりソファーに向かう。それを察して紬が胡桃沢を押してソファーに誘う。


「あっ、まだ休憩には早い――」

「――良いのよ。四条も何か言いなさい」


 この瞬間、考えていたのは『美人二人がキャッキャウフフしてる様は尊い』ということだけだった。焦る俺。


「あっ、いや……その……く、胡桃沢」

「はい……」


 少しの沈黙。無駄に緊張するから一言だけにしよう。


「おかえり」

「あっ、はい」

「お茶を飲んだら、まずは先月の皆さんのお茶代の集計から頼むよ」

「はいっ!」


 現在のパートさん達の体制シフトは毎日三人が出勤と決まった。キーパンチデータ入力が二人と新システムへのスキャンが一人だ。単純な伝票を低速で読めば誤読無しで読めることも分かった。

 機械やソフトのバージョンアップで精度が良くなれば、確かに全てを五分で読み込むことも夢ではなさそうだ。


(まぉ、それには何年も掛かるだろうな……)


 それまでは、こうしたお茶会は継続されるんだろう。何となく緩やかに、穏やかに滅亡していくディストピア的な世界を想像した。

 酷く残念なことは、この成果を元に魔王岳が副部長に昇進したことだけだった。


(そうだよな……俺の財布事情だけ急速に悪化している……)


 パート勤務のままにしているので仕事は超ラク。しかし、このままでは家賃も払えない。


「また行くか……」


 独り呟いてからソファーに向かった。


――――――――――――


【あんこ玉】

芋羊羹とセットの綺麗な球体。

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