第八話 健康より大事な仕事なんて無い その2
◇◇◇
「で、月曜日だもんなぁ……」
休みはすぐに終わってしまう。それは例え九連休だとしても、終わらない休みは無い。
「まぁ、ここに来なきゃ休みは継続なんだけどね」
目の前には会社。
結局、連休を持て余した、というのもあるが旅行とかで有意義な時間を過ごせたのは四、五日迄で後はゴロゴロと怠惰に過ごしてしまった。
パート勤務は十時から十六時の五時間勤務が基本。だから、きっちり十時前に出勤してみた。もちろんパートらしくスーツなど着てこない。
「おはようございまーす……」
(早くねーけどな)
一人ツッコミで少しニヤリとしてしまう。そんな姿を奇異にみる人も少なからず多い。それが心地良い。
(命のやり取りした後だから、凄く小さなことに思えてきたぞ)
このままの待遇なら近いうちに退職だろう。折角だからパート勤務を味わってみたくなった。
「おはようございまーす」
「あらあら、四条くん、ホントにパート勤務なの?」
困惑してる。そりゃそうか。
「皆さんの仲間ですよー」
「あらあら」
それより……いつもの活気が無い。この時期だと仕入れ先から届く伝票はほどほどに多い筈だ。
(パートさんも二人しかいないけど……まぁ良いか)
二人に習ってソファーに腰掛けると、由紀子さんがお茶を入れてくれた。
「今日のシフトは優子さんと由紀子さんだけですか? あっ、僕にもおやつください」
「はい、どうぞ。四条くんが休んでるうちに色々と変わっちゃったのよ」
「そうよ。週二回しか出勤させてもらえないの!」
パートをクビにしろは
(それなら俺がお払い箱になっても仕方ない……)
「そうですか……」
世間から置いてかれた気分になってブルーになる。ただ、あちらの世界にも居場所がある今は、『仕方ない』と割り切ることもできた。
溜息一つ吐いてお菓子を口に放り込む。
「じゃあ皆さん、今は何されてるんですか?」
「読み込んだ伝票に訂正があったら
「へー……」
(伝票のスキャンだろうな。俺が関わったシステム刷新は読み取り精度に難があって実現出来なかった)
「
お茶を啜る。これは泣ける。少なめとはいえ承認欲求がズタズタだ。しんみりしてしまう。
「あれ……胡桃沢は何処に?」
「あぁ……あれはちょっと可哀想かな」
「そうね。最初は『私達の敵』って対立してみたけど……ねぇ」
「えっ?」
苦笑しながらお茶を飲む二人。
「多分隣の小部屋よ」
「えっ?
システム管理? 朝から篭りっぱなし? 障害発生?
取り敢えず覗くことにする。なんなら揶揄おう。それくらいの権利はあるだろう。
「入るよー」
すると、コンソールの前で唸る後ろ姿が見えた。机の周りには大量の伝票が積まれている。ブーンという機械音が鈍く響く中、女の子っぽい制汗剤の甘い匂いが場違いだ。
それにしても振り撒きすぎだろ。こちらに気付く素振りもなく伝票をスキャナーに読ませている。
「おーい……」
「うぐぅ……ぎゃーー……あぁ、もう……」
声を掛けても気付かずに悪態を吐きながら必死に読み込ませている。
「大丈夫〜?」
ここで勢いよく椅子が回って胡桃沢が振り向いた。いつもはコンタクトのはずだが珍しく眼鏡をしている。
「あっ、四条……先輩……」
「……ホントに大丈夫?」
スーツはヨレヨレで髪型もボサボサになっている。机の上を見ると栄養ドリンクの空瓶が並んでいた。
「……」
「……」
少しだけ無言で二人とも固まっていると、胡桃沢の瞳からは大粒の涙が溢れてきた。
「私が一人で全部やってます……」
「はっ?」
椅子から崩れ落ちて床にへたり込んでしまう。眼鏡をずらして両手で涙を拭き始めた。
「うぅっ……こんなの絶対終わりませんよ……ぐすっ」
「な、何が、どうなってるの?」
絶望感たっぷりで俯く年下の元部下で現上司。
「手書き伝票ですけどスキャナーで読み取りできるようになったんです。一分で二百枚も読み込めるんです。だからパートなんか辞めさせろって……」
二十社の取引先と三十社の仕入先から毎日二十枚ほどの伝票が届く。それら合計千枚の伝票なら五分で終わる算段ということか。今までパートさんが四人がかりで五時間掛けていたとなると圧倒的なコストパフォーマンスだ。
「それは凄いね……確かに一人でも――」
「――正しく読み取ることができればですっ!」
ヒステリックに叫ぶ声が響いた。
「初日に全部読み取った後、システムに入れたら調達部の
「あら……」
「
「毎日?」
「朝から深夜までやってますが
まだ未処理の帳票が山と積まれている。
「うぐぅっ……終わらないなら……徹夜してやれって……」
「魔王岳が?」
「……はい。課長はトラブルが起きた時だけ怒鳴り込んできます。とても……とても終わる見込みがなくて……金曜から土日もずっと帰ってませーん。ぐすん……」
無茶苦茶だ。
「それでも終わらなくて……今日もとても帰れなさそうで……もういやーーっ!」
ここで浮かんだのは『自業自得』という言葉。それから『裏切り者』という言葉だった。俯いて泣濡れる女上司を見降ろしながら冷徹な台詞でも掛けてやろうとした……が、その怒りは儚くも消えてしまった。
「もうヤダ。俺、ホント弱いな……」
「ふぇ……?」
知り合いの女の子が目の前で泣いてるのに助けない男なんているか?
(放ってはおけるかよ。内線……いや、自分のスマホの方が良いか)
スマホを出して電話をする。相手は――
「どこ電話するんですか……」
『はい、監査部です』
「オレオレ、四条です」
――そう、
『ちょっと、アンタ心配したんだよ? 話聞かせなよ!』
「そっちは後回し。匿名……じゃない、実名で垂れ込み。お前の本業、労基関係ね」
『えっ?』
チラッと様子を伺うと、涙を浮かべて『助けて』と訴えているように見えた。
(やはり、それが動機で十分足りる)
「取り敢えずヒアリングに来てくれ。出来れば内密に」
『……人のこと心配してる場合? んもう……今からそっちのフロアに行く』
「へへ、よろしく」
一応説明しとくか。変に誤魔化されても面白くない。
「今から紬が来る。今の状況を全部話してね」
状況が掴めないのか、こちらの顔をキョトンと見ている。
「えっ、監査部……の?」
「倫理相談窓口の担当も兼務してるよ」
「えーっ!」
急にワタワタし始めた。頭を抱えて不安そうにこちらを見ている。
「えっ! ヤバいですよ! 課長、激怒しちゃうー!」
ここは真剣にいく。
「自分の身体の健康よりも大事な仕事なんて無いんだよ」
「……で、でも……」
このままじゃあ俺みたいに極端な選択をしてしまう。それはダメだ。
「気にするな」
「でも……怖い……」
するとサーバー室のドアがバタンと勢いよく開いた。
「四条、どんな話だ……って、
「紬さん……うぅ……」
こちらを怪訝そうに見るとそっと二人の間に入ってきた。俺と間近で睨み合う形になる。
(近いよ! こっちは同期だって見つめられたら緊張するの。そうだよね、美人はそういうの気にしないよね。ホントにやめてくださいね)
頭の中で長文のクレームを言いながら後退る。
「お、俺じゃねーぞ?」
「知ってる。半分冗談。他の人からは密室でスカート捲れてるからセクハラに見える」
そういえば生足が際どく見えていた気がする。慌てて直す陽葵。
「ありがとう。やっぱりお前が一番適任だな」
フフンと腕を組む紬。
「
「いいね。話が早い」
「えっ、えっ?」
話の展開についていけない陽葵。逆に二人して笑顔を向ける。
「おれ、紬と飲み友達なんだ。こういう時は一番頼りになる」
「そうよ。じゃあ、お話ししてね。陽葵ちゃん」
「……はい」
◇◇◇
スマホでどこかと通話している紬。いつもの
「じゃあ今日は帰りなさい。人事の了承も得たわ。明日は休みね。八連勤も二徹も法律違反よ」
「えっ」
「明日にでも病院で診断書貰いなさい。日々三六違反だから診断書無いと就業不可よ」
「えっ」
「会社携帯は電源切りなさい。私用携帯は非通知と会社からは出なくて良いわ。そうね……私の携帯番号を伝えておきます」
「えっ」
陽葵は展開の速さについていけない。
「つまりだ、帰って寝ろ」
みるみる瞳に涙が溜まる。
「…………うぅ……何にも考えられなかった……うぅぅっ……」
「そういうことな」
「これが……これが続くなら死んじゃた方がマシだと思ってた……」
紬と顔を見合わせる。片眉が上がっている。コレはよっぽど不機嫌な時の顔。
「紬、家まで送ってくれる? 今、魔王岳に会ったらホントに自殺しちまう」
「当たり前よ! あとアンタは自分の心配しなよ。どうするの?」
ニヤリと思わず微笑む。
「ムカつくから、後片付けしてやろうと思って」
ここで陽葵がこちらをじっと見詰めていることに気付いた。
「どうした?」
思い詰めた顔をしている。俯いたと思ったらすぐに顔を上げた。覚悟を決めた顔をしている。
「あのっ……実は、あの日――」
「――俺さぁ……」
今は懺悔なんて聞きたくない。だから言葉を遮る。これは優しさじゃない。面倒だ・か・ら。
「今パートだから難しいこと言われても困るんだよね」
「えっ?」
「今日は寝ろ。また聞かせてもらうよ」
優しい声を出してしまう。自殺に追い込んだ一味の一人に対して嫌味の一つも言えない。こんな弱っちい自分にほとほと呆れてしまう。
すると、目の前の弱り切った上司は少しだけ穏やかな顔で涙を流し始めた。
「はい……ずみばせーん……えーん」
(まぁ、良いか。小生意気な胡桃沢の泣き顔が思う存分眺められたんだ)
そんなやり取りを見てニヤニヤと笑う紬。
「アンタ……なんか変わった?」
「いや、変わってないよ……」
ニコリともせずに呟く。
「だって、まだレベル1のままなんだ」
紬はキョトンとしていた。
――――――――――――
【36協定】
労働者の最後の砦。
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