第七話 健康より大事な仕事なんて無い その1

「さて、どうするか……」


 シャホ経営の治療院を追い出されると、昨日割り当てられた寮の部屋に行くことにした。まだ家具も何も無い……というかベッドしかない。

 ここで前世の部屋が懐かしくなる。テレビにスマホに積まれたままの漫画雑誌。


「一度帰るか……」


◇◇◇


 思い立ったが吉日。シャホ事務所の窓口で『帰還』を申請すると、待合室で十分ほど待たされた。名前を呼ばれて小部屋に連れて行かれると、そこは魔法陣みたいな模様の床だけがある部屋だった。


「では、真ん中で寝てください」


 露出少なめで聖職者っぽいローブに身を包んだ若い女性が一人。畳四畳くらいの狭く薄暗い密室なので別の意味で緊張する。


「はい……」


 こちらが寝っ転がると横まで来てしゃがみ込んだ。


「心配しなくて良いですよ。この世界に戻った時は寝ている方が混乱が少ないですから」

「ん? 帰還するとこちらの身体はどうなるの?」


 思わず顔をお姉さんに向けると、目の前にはローブの隙間から足が際どく見えていた。下着が見えそうになって急いで反対側を向く。


「んふふ、寝たままの状態になります。異界側の時間は大体七分の一くらいの進み方と聞いています。あなたが七日間こちらにいるとしたら、異界では一日経過しているということですね」

「なるほど……」

「ちなみに逆も同じだそうです。例えば一週間ほどに滞在するのであれば、この部屋で一日寝ていることになります」


 受付窓口で立った状態で帰還させてしまうと、事務所が意識不明の人で溢れかえるわけか。


(あれ? 俺、丸二日こっちに居たから……半日ほどビルの隙間で寝てるってことか?)


 警察のお世話になってないと良いけど。よし、早速一度戻ってみよう。


「じゃあお願いします」

「はい。先ほどレクチャーを受けたと思いますが、シャホへのデンワ受付で戻って来れますので、番号をお忘れないようにお願いします」


 番号はらしい。三桁なら忘れないだろう。戻ったらまずアドレス帳に登録、ともう一度復習する。


「メモもしたしな……」


 手に握っているものは持ち込めるらしいので、稼いだ数枚の銀貨を手に握っている。その銀貨に『484』の数字をメモしておいた。寝たまま手の感触を確かめると、カチッと音が聴こえた。


「それでは目を瞑ってください」

「はい」


 言われるままに目を瞑る。その瞬間、頬に柔らかい何かがそっと当たった。


「えっ?」


 思わず目を開けると、お姉さんとの距離が凄く近い。


「おまじないですよ」


 感謝の祈りを捧げる暇も無く、お姉さんはさっと立ち上がって舞を踊り始めた。すると、急に眠気が襲ってきたので、優雅な舞を眺められたのは数秒だった。


◇◇◇


「うひゃあ!」


 起きた瞬間に忘れてしまったが、悪夢を見ていたらしい。のそのそと起き上がると、何故か薄暗いビルとビルの隙間に居た。

 夢見はここ最近で最下位だ。


(そりゃそうか……自殺したんだから……って)


 頭が混乱する。吐き気が止まらない。額を拭うために手をやると、手の中から何かが数枚地面に落ちた。大事なモノという記憶……記憶? 何か変な記憶があるので拾い上げてよく見てみる。


「4・8・4……シャホ……」


 脂汗をかきながら口走った数字と言葉を反芻するように頭の中で繰り返す。その時、突然に異世界での記憶が戻ってきた。


「ホントに俺、異世界転生して来た――ウゲロロロ……」


 ここで胃の中が空っぽになるまで吐き続けた。


「うぷっ……だから『帰還』前はご飯を食べちゃいけないんだ」


 胃が落ち着くと、頭も冷静になってきた。


「早速、登録だな」


 ポケットにそのまま入っていたスマホを取り出してタップすると、着信やメールやメッセージが山ほど入っていた。とりあえずアドレス帳に『シャホ』と登録する。


「ふぅ……」


 一息ついたところで、電話が鳴り始めた。つむぎだ。


「はい、四条で――」

「――労基行くぞ、コラ!」


 元気な声が聞けて嬉しくなる。


「何回くらい電話した?」

「あと三回掛けたら捜索願い出すとこだった。バカ。心配かけ過ぎ!」

「すまんね……」


 暫し無言。電話越しで鼻を啜る音が聴こえた気がした、が指摘はやめておいた。


「上層部も取り込み済みだった。内部からは既に手が出ない。だから社外から攻めるぞ」

「元気だなぁ……」


 この台詞に対して怒りを電話越しで感じた。少しスマホを耳から離す。


当たり前たりめーだ! 正社員を即日パート勤務に降格なんざ聞いたことねーんだよ! 監査部の私の目を盗んで劣悪な就業規則作るなんて許せるかよ! ほら、出陣する――」

「――有休取ろうと思って……取り敢えず五日くらい」


 まず、何はともあれ休みたい。


「あっ……うん、分かった。有休の申請はこっちでやっとくよ」

「すまんね」


 微妙な雰囲気が暫し流れた。


「じゃあ、ゆっくり休んで。再来週はバトルだから」


(またかよ……と、これは言えないか)


 すると、違う声が立て続けに聞こえてきた。


「あ、アンタは本当に優し……ゲフン。し、しっかりしなさい!」

まりん、ありがとう」

「カチコミかける時は言いな。付き合うぜ」

「助かるよ、莉子りこ

「四条、ここは勝負だろ。ナヨナヨすんなよ!」

「心強いぜ、あおい


 しかし心春こはるの声は聞けなかった。


「心春もすっごい心配してたよ。ただ、電話に呼び出されてどっかに飛んでっちゃった」

「ははは、そっちの方が心春らしいよ。俺の心配をしてても売上は上がらないからな」


 また、暫しの沈黙。


(あれ? ウケなかったな……)


 すると、電話越しに小声でボソボソと話し合う声が所々聞き取れた。


「……ぐぬぬっ、心春が一歩リード……」

「……心春も分かんねーけどアイツも……」

「……や、優しいなぁ……」

「……コチラの負けだ。全力で……」


 やっぱりこいつらは楽しい。元気を貰える。


「じゃあ、また再来週――」

「――わー、スピーカーじゃん!」

「……あわわ、どこまで聞こえ……」

「……うぐぐ……もはやバレないの鈍過ぎ……」

「……ちょっと落ち着け……」


 やはり騒がしくて面白い。


「お前ら、ありがとな……」

「……」


 電話越しでも感じる困惑の中の沈黙。


「生意気!」

「優し過ぎ!」

「意気地なし!」

「もーっ、一旦作戦会議! 辞める時と闘う時は言いなさいっ!」


 ここで突然電話が切れた。


「さて……少し元気も出た」


 突如降って湧いた九連休。まずはアパートに帰ることにした。


◇◇◇


 結局アパートに帰ったら着替えもせずに布団の上で即落ちだった。そのまま翌朝にスマホのアラームで叩き起こされた。


「うぅあっ! 骨――」


 目を覚ますといつもの部屋。昨日のことは夢じゃ無いという確信はあったがやはり疑ってしまう。上半身を起こしてテーブルに無造作に置かれた五枚の銀貨に目をやる。


「だよな……」


 のそのそと起き上がりテーブルの前に座る。一枚の銀貨を手に持ちマジマジと眺める。そこには『484』とだけ書かれていた。


「五時間分の給料……」


 死戦を潜り抜けて五枚の銀貨。


「一枚で一週間は暮らせると言っていたが……」


 それはアチラの世界の話。こちらでも生活しなきゃいけない。ふとパート勤務に降格したことを思い出す。


「控えめに言って死にたくなるな……」


 一人呟いてみるが、実際には死ぬほどのショックはもう無かった。現世で起きたトラブルの数々が、小さなものに思える。


(あっちでも死にかけたし、そもそもこっちでは一度死んだからな……)


 ここで思い出すのはスケルトンとの激闘。そして『おねショタ』シチュエーションの数々。どちらかというと後者の印象が強い。思い出すと顔がだらしなくなりニヤニヤしてしまう。


「へへへ、生きる気力が湧いてくるってもんだぜ!」


 一枚はあちらの世界の生活費。『484』は御守り。残り三枚をこちらの生活費と決めた。


「ところで幾らくらいの価値があるんだ?」


◇◇◇


「水道の蛇口や銅線とかは警戒しちゃいますけど、銀貨は盗むの難しいですからねぇ。ははは、冗談ですよ。はい、こちらへどうぞ」


 古い蔵から出てきたと言ったらすぐに買取カウンターを案内された。おずおずと座って目の前のトレイに銀貨を三枚置いた。重さを測ったり一通り鑑定が終わると営業スマイルを向けて話し始めた。


「1オンス銀貨……という感じですかね? 珍しい紋様ですけど骨董価値は良く分からないなぁ」

「へー……」


(1オンス……単位だよな。イメージが掴めない)


「ほぼ純銀のようなので相場での買取ですね。今は大体グラム百三十円です。買取となると……三千七百円でどうでしょう?」

「一枚?」

「はい、一枚の価値ですよ」


 一時間で銀貨一枚を貰えるなら時給三千七百円ということか。パートさん達より大分高い。週二十時間働くとなると七万を超える。四週働いたら三十万程度は稼げそうだ。

 妄想が捗り異世界と現世の両方で子供が出来て二人の妻から悪態を吐かれている所で店主の声が聞こえてきた。


「どうしますか?」

「あっ、三枚とも買取でお願いします」


◇◇◇


 給料以外の臨時収入なんて初めてで嬉しくなる。しかし、現実世界でもパート社員になったことを思い出すとやはり凹む。


(まぁ、神様が休めと言っているんだろう)


 実際には神様に『もっと働け』と言われたようなモノだが、そこは前向きに捉えることにした。


「旅行でも行くか……」


 誘うような友達も居ない。そもそも平日だ。押し入れの奥からキャンプ道具や釣竿も出して車に詰め込む。当てもなく旅に出ることにした。


――――――――――――


【1オンス】

28.35グラム

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