第三話 俺がビルから飛び降りるまで その3

 対策を立てるには原因をはっきりさせないと。


(まぁ、真の原因はレポートに書けないネタだとは思うけどね……)


「このショボいシステム、転送作業を一日の内に二回やるとデータが0件で上書きされるんだ」

「ポンコツね。あっ、だから……」


 このパソコンの周りにはやたら貼り紙が多い。やれ『二度目厳禁』とか『実行前にチェックシート確認』とか呪物にお札が貼ってあるみたいに注意喚起が其処彼処そこかしこに貼られている。


「怖い……」

「だろ。これで二回目やるか?」

「あぁ……確かにね……」

「まぁ、やる時はやっちゃうんだけどね」


 ずっこけるまりん。無視してキーボードを叩く。


「さて……うむ。九日の二十一時過ぎに二回目が実行されてるな」

「えっ、じゃあ犯人誰なの?」


 海の方に、向き直して呟く。


さちさん」

「あら、じゃあやっぱり――」

「――幸さんが二十一時に戻ってきてやったならね」

「えっ……えーー!」


 うちのパートさんは基本十時から十六時だ。というより勤怠は毎日チェックしている。この端末にログインしたのが幸さんになってるが、パートさんのパスワードはログインIDと同じなのを全員知ってる。つまり誰でも偽装できる。


「俺もこの日は二十時に帰ってる。だから……」


 就業管理システムにログイン。そこから人事部の使うメンテモードにログインしてみる。


「えっ? 人事じゃないのにログインできるの?」

「昔取った杵柄だよ。システム移行で地獄を見た一人……だけど、ダメか。パスワード変えられてる」


 ある意味安心した。管理パスワードをずっと変えてなかったら、それはそれで怖い。


「では……」


 次の手段。データベースサーバのsa(管理ユーザ)のパスワードはどうかな……はいオッケー。saのパスワードを変えるのは影響調べるの面倒よねー。

 この辺りの解説は声に出さない。万一で共犯になっても可哀想だ。無言でキーボードを叩く。


「誰を疑ってるの……って、陽葵ひまりちゃん?」

「氏名コード……覚えてるのか?」

「経理部は数字を覚えるのが得意な人が多いから……私も例に漏れずにね」


 フリーのデータベース管理ツールで就業管理システムのデータベースに接続してSQL(専用プログラム)を即興で書いて実行。

 勤務データを確認。帰宅は十八時と記録されている。


「十八時じゃん。白ね……」

「いや、灰色」


 打刻訂正してる。訂正の承認は……っと。


「あーん……魔王岳まおうがだけですよねー」


 名前を見るだけで心拍数が上がる。

 気を取り直して打刻データを確認する。

 やはり胡桃沢くるみざわは二十一時から二十一時半まで会社に居た……のか。


「えー……犯人見つけちゃったのー?」


 海が顔をディスプレイに近づける、と当たり前だけど俺の顔とも近くなる。ダメよ。顔と顔が十センチ以内は恋人の距離よ!

 ソワソワし始めると海に気付かれたようで、少しだけ距離を離してくれた。


「違法な行為で入手した証拠は証拠にならない。秘密にしといてくれ」

「えっ? でも――」

「――頼む」


 真剣な顔で海を見つめる。一瞬見つめ合うと、何かに気づいたようにハッとして目を背けた。少しだけ震えながら力無く呟き始めた。


「陽葵ちゃんの為……なの?」


 少しだけ苦しそうな海。


「陽葵ちゃんのことがそんなに大事――」

「――だって……」


 思わず海の言葉を遮ると、またこちらを向いてくれた。今度はこちらが目を背ける。


「だって、だって魔王岳と対決なんて無理だよー。そんな怖いコト出来るかーーい!」


 思いっきり情けない声が事務所に響き渡る。ふと海を見ると汚物でも見るような白い目を向けられていた。


「し、しょうがないだろ! 怖いモンは怖いんだから……」

「アンタ……ホントに……情けない……」


 呆れる海。

 でも仕方ない。徹底的にやられたんだ。今でも忘れない。二十九歳の時だ。最初の評価面談で二時間だぞ。会議室で二人きりの二時間、罵詈雑言の嵐の二時間。

 たかが『業務影響なしのトラブル一件』と『納期二日遅れの開発一件』で、それだけやられてみろ! パーフェクトなトラウマが形成されたぜ。

 だから、もう極力アイツとは関わりたく無い。


 それに……。


「それに、そんなことする子じゃないと思うんだ」

「えっ? 陽葵ちゃんのこと?」


 ここで騒げば間違いなく胡桃沢は切り捨てられる。


「そう……だから、まりん、まだ秘密にしといてくれ」


 何か裏があるはずだ。今は考えても分からない。不安そうな海に微笑みかけた……つもりだが顔は引き攣っていたんだろう。複雑な表情を返してくれた。


「……うん。一旦は秘密にしておく」

「ありがとう。信じてるぜぇ」


 無駄に格好をつけてウインクしてみる。我ながら似合わない。すると横の海はプルプルと震え出した。


「こ、このお人好しー! 流石に優しす……ば、バカじゃ無いの?」


 突然立ち上がって腕をブンブン振り回す海の言葉を無視して椅子の背もたれに体重を掛けて背伸びをする。


「しっかし……どうなってんだぁ」


◇◇◇


 海はタクシーが来たので帰って行った。それまで何故か一人プンスカして怖かったので、居なくなってくれて安心だ。そこからは良くあるパターンで原因と対策を纏めると、何とか日が変わる辺りでレポートが完成した。


「メールで関係者にばら撒いて……っと。よし、帰ろ……とはいえ手段がない。漫喫か……な」


 トボトボと歩き出し、蛍光灯を全て消す。部屋が暗闇に包まれると、何となくこれから進む道を暗示しているような気がした。


「くそぅ。負けねーぞ……」


◇◇◇


「おはようございまーす?」


 周りの視線がおかしい。

 憐れみ……いや、どちらかというと奇異の目?

 何で?

 すれ違う人、全員がこちらを見ているように思える。小学生の時に見ていた悪い夢のよう。何故かパンツ一丁で学校に来てしまい、皆の視線が異常に気になる夢を良く見た。


(この雰囲気……思い出すと今でも死にたくなる)


 取り敢えず事務所に入ると……そこにはパワハラの権化が居た。パートさんはまだ来ない時間帯だが、代わりにシステム課の面々も四、五人居た。

 こちらは既に声も出ない。瞳孔も開きっぱなしだ。


「見たか?」

「な……何をですか?」


 するとバカにしたような含み笑いが充満する。


「お前の辞令だよ。ほら、そこにも貼っておいたぞ」

「あははは……」

「ははは、あははは……」


 笑い声が響く。思わず俯瞰ふかん的にこの光景が見えてくる。もはや他人事……いや、他人事と考えないと精神が保たない。


 いやらしい笑い声の中、無言で貼られた紙を見てみる。




『四条雷斗はパートタイム勤務者に降格する』




「な、何だコレ…………」


 周りの社員達がやっと気付いた、と色めき立つ。


「ぷっ。見りゃわかるだろ」

「なぁ、辞令交付に決まってる。ははは」

「まぁ、こんなのはオレ達も見たことないけどな」


 理由……会社に億を超える損害を与えた?


「実害は無かったと――」

「――言い訳だ」


(な、何が言い訳……損害の定義……いや、不法行為……労基に……)


 考えが纏まらない。そのうちに珍しいことに魔王岳が破顔した。


「あははは、本気にしたか?」


 その台詞に、心底ホッとする。悔しいが……この歳になってドッキリかよ、と思うが仕方がない。


「こ、こんなの悪質なイタズ――」

「――本当だ」

「ハァ?」


 この日一番の大声が素っ頓狂な『ハァ』だった。


「あははは、昨日人事役員と社長に承認された人事制度だ。正社員扱いしない正社員を作りたいと言ったら乗り気になってくれた」

「何を言って……」

「人件費の圧倒的な圧縮だ。役立たずには、それなりの待遇じゃないと他の者のやる気が削がれる」


 ここで周りのシステム課の社員が拍手を始めた。あまりに醜悪で思わず耳を塞ぐ。


「お前から削った給料は、今回の危機を救ったコイツらに配布される。新システム導入ご苦労だった」

「いえいえ。今後ともよろしくお願いし――」

「――どういうことだ!」


 流石に大声が出る。昨日深夜まで働いたのは俺だ。経理部だ。システム課のメンバーだとしても、維持メンバーだった。間違っても新規構築を担当するコイツらじゃない!


「それに――」


 胡桃沢元部下の現上司が彼等の背後に隠れていた。今にも泣きそうな顔をしている。


「んー? 何か言いたいことがあるのかな? なぁ、胡桃沢」

「ぁ……ぃ……いえ、ありま……せん」


 消え入りそうな声でそれだけ伝えると、俯いたまま事務所を飛び出て行った。


「四条、どうした。ほら、言ってみろ。弁明のチャンスを与えよう。不当な処罰だ、などと喚き散らかされても困るからな」


 頭がグルグルして何も口から出てこない。いや、吐き気が襲う。ゲロが出そうだ。


「魔王岳……」

「弁明終わり。反論無しだな」


 突然の無意味な終了宣言。意味は無くとも無駄に焦って汗だけが噴き出る。


「あ、お、お前が……」

「うるせえ! パートの出勤は十時からだ。早出したって残業代はやらんぞ! 帰れよ!」

「な、な何を……」


(パートの出勤……パート、俺の七年はこんな価値しかないのか……)


 ここで何かが切れてしまった。


「うわーーっ!」


 一目散に事務所を出る。途中で机にぶつかってよろけるが、振り返らない。もうこんな場所に一秒も居たくない!


「パートのお帰りだ。お疲れ様でしたー」

「ははは……」


 笑い声が響く中、一目散に出口を目指す。


「何で……何で……何で……」


 何も思い浮かばない。すると、受付ロビーの前で胡桃沢がウロウロしていた。こちらに気付くと思い詰めた表情で何かを喋り始めた。


「あの、実は――」

「――さよなら」


 無視して……無視し切れず『サヨナラ』だけ伝えてしまう。そんな自分に自己嫌悪する。だから、走る速度を上げた。

 出口の自動ドアのガラスに唖然とした姿でポツンと取り残された胡桃沢と薄汚れた男の姿が写っていたが、扉が開くと同時にその姿は消えた。

 あたかもこの会社には不要だと言われたようだった。


◇◇◇


 どこをどう帰ったかは何も覚えていない。知らないビルの非常階段に立っていた。


「俺が死ねば……」


 会社には迷惑を掛けることができる。日々の運用の細かいところはマニュアル見たってすぐに真似出来ない。


「俺が死ねば……」


 流石のアイツらだって悔恨の念を感じるだろう。魔王岳だって涙の一つも溢すかもしれない。

 手すりに手をかける。


「俺が死ねば……」


 パートの皆さんや、同期のアイツら……皆んな悲しんでくれるだろう。もしかしたら好きだったよ、なんて言ってくれるかもしれない。

 片足を中空に差し出す。


「俺が死ねば!」


 もう、苦しまなくて良い!

 恐怖より、悦びが勝った。




 もう会社行かなくて良いんだーー!



 

 そのままビルの階段から勢いよくダイブした。

 意識は浮遊感の次に現れた衝撃に消えていったが、六人の女達の怒る顔だけが最後に浮かんだ。


 少しだけ後悔した。


◇◇◇


 白い部屋、壁は見えない。どこまでも続く、ただ白い部屋。


『わしゃ神様じゃ』


 ふと前を見ると、何故か外国人風のオッサンが突っ立っていた。


――――――――――――


【sa】

データベースの管理ユーザ。パスワードが「admin」はダメだよ。


【お札】

特級呪物と障害が多発するサーバに貼られる。

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