第二話 俺がビルから飛び降りるまで その2

「先月の収支が二億ほど合いません!」

「えーっ! もう締日過ぎてるわよ、何でー?」


 隣のトラブルは祭りみたいなもの。見てるだけなら楽しい。まりんが元気に金切り声を上げているのを見守る。


「何よ、このデータ。八日のデータ空っぽじゃん」


 その台詞にふと、何故か寒気がする。


(うち関係無い……よね? 一応確認するか……)


 データ転送端末、という名のパソコンの前に座る。机に置いてある送信チェックシートを確認。全て日付が記入されている。問題無し。


「そりゃそうだよな……日々の運用にミスは無い筈だ」


 毎日確認してる。そう、実は毎日データの送受信が正常にできていることを確認しているのだ。伊達に残業六十時間(申請は二十時間迄しか出来ない)しているわけではない。


「ふふん!」


 鼻で笑ったあと、念の為、受信データと送信データを表計算に入れて合計してみる。


「…………ひいっ」




(何故かほど合計金額が合わない)




 体温が二度下がり、心拍数が二割上がる。全身にブワッと汗が出るのも感じた。

 ここで、いつの間にか全員が自分の後ろに立っていることに気づいた。指を震わせながら送信データを開くと八日だけが空白だった。


(あぁ、平和な日常がたった今壊れてしまった……)


「坂本、課長に報告!」

「は、はい!」


 走って隣の部屋に駆け込んでいく若い男の社員をぼーっと目で追ってしまう。


「四条、正しいデータ送って」

「あ、あぁ、分かった。胡桃ざ……居ない」


 突然の『くん』呼びに動揺しながらも、一応上司なので報告しようと思ったら姿を消していた。


「マジか……」


 取り敢えず、他の原因を探る。今の自分の確認方法が間違いなことを祈りながら他のエラー原因を探る。


「他は合ってるよねー……」


 勿論他の原因が見つかるような幸運は起きない。

 他に何も思いつかなくなって溜息を吐く。指が完全に止まったところでパートさんから不安そうな声が聞こえてくる。


「私、しっかりやったと思いますけど……」


(そう。きっちり転送されている。


「はい。さちさんはしっかり作業されてると思いますよ。大丈夫です」


 ここでパートさん達の不安解消している時間は無い。まずは正しいデータを経理部に渡す。


「海、八日分のデータ。何処に――」

「――サーバの保存フォルダにお願い。パスはチャットして」

「分かった。他には?」


 想定通りだったので、コピーしてパスをチャットに貼る。


「んー……取り敢えず一緒に来て」

「ぐっ……はい」


 立ち上がると幸さん含めてパートさんが心配そう。


「私やったわよー」

「はい。まずは日常業務をしっかりこなして下さい。幸さんも動揺せず、まずは今日の業務を終わらせましょう」

「聞いてるっ? 私やったって!」

「えっ……よ、よ呼ばれているので行きます! ででは、今日の仕事、任せましたよ」

「任せときなさい。こういう時はパート勤務も正社員も無いわ。気合い入れなさい!」

「す、すみません……」


 淑子としこさんが少し大きめの声で激励を返してくれた。少しだけホッとする。正直パートさんに構っている暇がない。

 海の背後をションボリと付いていく。


「またねー」「ふぁいとー」


 祭り見物の調達製造莉子は既にあまり興味がなさそう。心春も既に姿がない。胡桃沢も戻って来ない。紬は三つ目の饅頭を食べながら連行される俺に手を振っている。


「後で監査部にも報告回してねー」


(太れ!)


 心の中で悪態を吐いてから視線も向けずに手だけフリフリして隣の事務所に入っていく。

 入った瞬間から一斉に視線がこちらに刺さる。


「犯人だからなぁ……」


 思わず海だけに聞こえるよう呟くが無視される。まっすぐ田中課長のところに行くらしい。


「やっちゃいましたね。億を超えてるし、月の収支を計上した後だから訂正は面倒ですよ」


 経理部の課長さんは大層穏和だと噂されている。

 だけど俺は知っている。ほんの五、六年前迄はベンダー業者の営業の首根っこを持って怒鳴りつける武闘派だということを。だからある一定以上の年齢の社員はこの課長に対して凄く丁寧に対応する。


「はい……もも申し訳ありません……」


 ただ、金額の割に落ち着いている。もしかして実影響は少ないのかな?


「では、対応からやりましょう」

「あの……業務影響は……」

「明日なら仕入れ先と国税に謝りに行くところでした。今日はギリギリセーフですよ」


 だから少しだけ余裕を感じられたのか。九死に一生を得た!


「よ……良かったぁ!」


 涙が出そうだよ。


「さぁ、二十二時迄にやり切りましょう」


 ポンと肩を叩かれた。


(いい課長さんだ。ウチと全然違う)


 その瞬間、扉が物凄い勢いで開いてバンッと大きな音を立てた。


「四条! 何やらかした! お前、いい加減にしろよ!」


 その音より大きな声で叫びながら近づいてくる。


(パワハラの権化がキターーーッ!)


 もはや声も出ない。この上司はもはや苦手とかじゃなく天敵だ。出会えば一方的に蹂躙されるだけ。


魔王岳まおうがだけ、あまり強い言葉を使うな。パワハラだぞ」


(そうだよ。名前もこんなんなんだよ。笑えねーよ!)


「甘い! そんなことだから、コイツらがつけあがる」

「か……課長、すみませ――」


 声を震わせないように、できる限り落ち着いているフリをして謝罪の言葉を出そうとする。


「――言い訳など聞かん。今日中に原因と対策まで提出しろ」


 そんなモノもアッサリとぶった斬ってくる。頭の中がグルグル回って何も考えられない。


「原因など後回しだろ? まず対応させろよ!」


 ここで田中課長が助け舟を出してくれた。

 少し沈黙すると、今度は顔だけ向けて睨みつけ始めた。まさに悪役が似合う。


「俺に指図さしずするなよ。お前のところのチェックが甘いのも原因の一つだからな」


 何と隣の課長を威圧し始めた。ここで思ったことは『ターゲットが移ったから良かった』だった。我ながら情けない。


「四条! どうせパートのババア達が作業を忘れたか二重にやったんだろうから、お前がキッチリ対策出せよ。他責なんて書きやがったら殺してやる」


 残念ながら解放されてないらしい。


(しかし無茶苦茶だ。決めつけ、パワハラ、いや脅迫だ。ホントに昭和かよ! ねぇねぇ、今は令和だよね。タイムスリップでもしちゃった?)


 一時的にトリップしたので何も喋れない。周りも唖然として重い沈黙だけが部屋に立ち込めている。


「オレは部長と役員に報告してくる。覚悟しとけよ!」


 無意味な威圧。何故こちらを威圧する?

 流石に田中課長も異常と思ってくれたようだ。


「影響無しの見込みだぞ。何を報告――」

「――バッドニュースファーストも知らんのか」

「……いや、そりゃそうだが……」


 正論! 正論を押し付ける人キライ!

 だが、ここはもう飛び込むしかない。待っていても悪くなるだけだ。


「俺も報告に行きま――」

「――アピールの場じゃねーんだ! 勘違いすんな、ボケっ!」


 これには、もう……何も言えない。


「はい……」

「オレは報告したら直帰する。きっちり終わらせろよ! ビル管なら掃除でもしてりゃ良いんだ。もう二度と邪魔だけはするなよ」


 指を刺されて最後まで脅される。

 正直、涙が出てくるのを我慢するだけで精一杯だ。パワハラの権化が去っていくと場の雰囲気が柔らかいものに変わったのを感じた。

 引き続き涙だけ流さないように頑張る。


「四条……大丈夫? しかし掃除してろ、とか本気でヒドくない?」

「ははは、運用チームが解散になったら掃除したり蛍光灯を変えたりして会社の皆さんの役に立ちたい……」


 これは本心だ。

 隣の事務所でパートさんを使って工場や仕入れ先、取引先から配送されてくる大量の伝票をキーパンチデータ入力するのがウチの『運用チーム』。パート六人と胡桃沢と俺の八人のチームだ。元々はシステム課所属だったが魔王岳が課長になった瞬間、総務部ビル管理課の下に配置された。

 それ以降、魔王岳は旧システムの再構築に邁進していてこちらを無駄に敵視してくる。


(昔が懐かしい)


 それなりに矜持を持った運用のプロが沢山いた。しかし、当時最年少だった自分に全てを残して押し付けて全員が退職か部署異動となってしまった。

 疲れ果ててしんみりしてしまう。

 すると、田中課長が少し労りの色が混じった声で皆に声をかけてくれた。


「さぁ、今日はすまんがもう少し残業だ」

「皆さん……すみません……」


 もう、頭を下げるしかない。暫くの間経ってから頭を上げると、さっきまで睨みつけていた経理部の他の社員の目が優しくなっていた。


「……あんなもん見せられたらなぁ」

「やるしかないでしょ」


(うぅ……優しさが身に染みる)


「あ、ありがとうございます」

「では、システム部に行こうか。電話はしてあるが、説明に来いとのことだよ」


 ガクッと首が下がる。『元職場』であり、パワハラの権化の精神が行き届いた部署だ。


「四条……気にしない――」

「――課長、行きましょう」


 海の言葉を遮って課長に目を向けた。頷いてくれたので、早速向かうことにした。


(今、優しい言葉は流石に泣いちゃうよ。うん、号泣する自信あり)


 二人で足早に経理部の事務所を出ていった。


◇◇◇


「酷い目にあった……」


 これは課長の台詞。既に二十一時半。経理部の事務所には我々二人の他はまりんしか居なかった。


「はい……」


 こちらからは他に言葉も出てこない。あの部署は魔王岳まおうがだけのポリシーが根付いている。『タダで動くな』とか『利益を求めろ』とか『受益者じゅえきしゃが負担すべき』とか。闇金の取立てもかくやといった感じだ。


『お前らが手で直せば良い』

『何故にこちらが工数をかけねばならん』

『お前らのミスを何故にこちらが対応する義理があるんだ?』


 同じ会社の間接部門同士でどちらが工数を負担するかなんて会社の活動からすると割とどうでも良い話だ。そこは効率を求めれば良い筈だけど彼等は違うらしい。


「魔王岳を相手にしているかと錯覚したよ。ある意味、教育が徹底してるな……」

「はい……すみません」

「四条……田中課長、ありがとうございました」


 海がぺこりと頭を下げた。俺も合わせて頭を下げようとすると恐縮したように手を数回振っている。


「いや、アイツのパワハラを止められなかったからな……同じ会社の管理職として申し訳ないね」


(やべえ、涙出てきちゃう。男二人だったら絶対泣いてるよ)


「じゃあ僕は帰るね。青山くんも遅くならないように」

「あっ、はい。お疲れ様でした!」


 田中課長はスマホを取り出すと電話をしながら急ぎ足で事務所を出て行った。殆ど電気の消えた事務所。『働き方改革』のお陰か例のシステム課は繁忙期を除いてほぼ残業をしなくなった。


「海、もう遅いからタクシーで帰った方が良いよ」

「あっ、四条は……って今から対策?」


 タクシー呼べよ、とジェスチャーしながら隣の昭和チックな事務所に戻る。海もアプリでタクシーを呼びながらついて来た。

 早速、件の転送端末の前に座る。


「何してんの?」

「うーん……犯人探し……かなぁ」

「えっ?」


――――――――――――


【キーパンチ】

大変昭和っぽい。特殊キーボードを巧みに使いこなす職人。昔は女性の憧れの職業。今は絶滅危惧種。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る