新人冒険家エリカの場合 ⑤

 木々の合間を抜けるとにわかに視界がひらけ、目の前に泉が出現した。

 陽の光が差し込んだ水面を光が乱反射し、森の薄暗さに慣れた目に眩しい。

 泉の畔には色とりどりの花が美しく咲き、泉の向こう側では大きな角を持った鹿のような動物や見たことのない小動物が水を飲んでいたが、皆こちらに気がつくとばっと森の中へ消えていった。


「どうやら到着したようですね」


 突然現れた清浄な空間に呆けていたエリカは、ヴェロニカの言葉にようやくここが目的地であると気がつく。


「ここが、ユニコーンの泉……」


「エリカさんが聞いた話の通り、水質が非常に良いですね。……ん。ほら、エリカさんも」


 エリカが自然豊かな情景に圧倒されていると、いつの間にか水辺に近寄ったヴェロニカが水を手で掬って飲んでいる。

 彼女の手招きに応じてエリカも水辺に寄り、同様に湖に手を差し入れる。

 思った以上に水が冷たい。掬って口に含むと、エリカは目を丸くする。

 ──美味しい!

 VR内で擬似的に味を感じることは既存の技術だ。エリカも別のソフトで経験したことがある。だが、ただの水を美味しいと感じたのは初めてのことだった。それどころか、現実世界で市販されているミネラルウォーターを飲んだ時でもこうは感じることは出来ないだろう。


「ただの水がこんなに美味しく感じるなんて……」


「ここの水は特別なんでしょうね。こんなに驚いたのはドラゴンの肉を食べた時以来ですねえ」


「ドラゴンのって……食べたんですか!?」


「ええ。先ほど突然ドラゴンが街の近くに飛来した話しをしたでしょう?あの時街の防衛に参加したプレイヤーで討伐記念にバーベキューをしてぱあっと。現実のどんな肉とも違った味で、とても美味しかったですよ。この世界にはそういう現実にない食材もたくさんありますから。……まあ、食材の当たり外れを見極めないといけないのが難点ですが」


 目を見開くエリカに、ヴェロニカが前半は楽しそうに、後半は微妙な表情で語ってみせる。なにか過去によくない思い出でもあるのだろかとエリカは首を傾げる。


「そうだ。私も用事を済ませてしまいますね」


 誤魔化すようにヴェロニカは泉の前で跪き、胸の前で両手を合わせた。

 エリカが見た画像と同じように、彼女は祈りを捧げる。

 その姿は美しく、一枚の絵画を見ているように錯覚する。これが彼女の目的なのだろうか。

 エリカがわざわざこのような所まで出向いて泉に祈りを捧げるヴェロニカに身惚れつつも不思議に思って見ていると、がさりと何かが奥の茂みを掻き分けて進み出てきた。先程の動物が戻ってきたかとそちらを見て、エリカは目を丸くする。

 どこまでも純白に、陽光を浴びて艶やかに輝く白毛。

 たてがみは薄く青みがかった月白色で、真っ白な身体に映えている。

 そして、額から生えた一本の角がその生物が何者であるかを現していた。


「ユニコーン……」


 ユニコーンはゆっくりとした動作で進み出ると、泉の中に入り込んだように見えた。

 しかしその脚は沈み込むことは無く地を進むかのように水面を踏み締め、泉をまっすぐ縦断してくる。

 ユニコーンの進む先──ヴェロニカの元に目を向けると彼女は既に立ち上がっており、目の前まで近寄ったユニコーンを見上げている。


「いやあ、まさか本当にユニコーンが存在するとは。おそらくティーガーデンのサービス開始以来初めての遭遇ですね」


 驚きで声もあげられないエリカとは対照的に、ヴェロニカは落ち着いた様子で、呑気そうにつぶやいている。

 彼女が手を差し出すと、ユニコーンはその手に頬ずりするように顔を押し付けている。


「けっこう人懐っこいですね。ほら、エリカさんも」


「えっ……!?わ、わたしが側に行っても大丈夫でしょうか……?」


「大丈夫だと思いますよ。不味ければそもそもこちらに寄ってこないでしょうし」


 ヴェロニカの言葉にエリカは恐る恐る近づいて行く。ちらりとユニコーンがエリカの方を見たので思わずエリカは身を震わせるが、ユニコーンは警戒を露わにするでもなくいたって落ち着いた視線を投げかけてくる。

 エリカはそのままヴェロニカの隣に立つと、おっかなびっくり手を差し出した。

 急に噛まれたりしやしないかと内心緊張していたのだが、そんなエリカのことなど気にもせずユニコーンは差し出された手に鼻先を押し付けてきた。


「わ、わっ……!」


 本物の動物に触れたような温かさと、ユニコーンの吐息を手のひらに感じて、エリカは思わず声を上げる。

 エリカの人生でこれ程大きな動物と触れ合った記憶は無い。初めての経験に興奮より戸惑いの方が大きかった。


「どうですか、初めての冒険の成果は。中々刺激的でしょう?」


 ヴェロニカは微笑みを浮かべながらも、エリカの目元をそっと拭ってくれる。

 その動作で、エリカは自分が泣いていることを自覚した。


「あ……。う……」

 

 ヴェロニカに言葉を返したいのに、様々な想いが溢れ出てきて口から漏れるのはうめくような声ばかり。

 そんなエリカに寄り添うようにユニコーンが身体を寄せてくる。

 エリカは思わずユニコーンに抱きつくとたてがみに顔を埋め、声を押し殺しながら涙を流した。



    *



「ヴェロニカさん、ありがとうございました。ヴェロニカさんのお陰で、こんなに早く夢が叶っちゃいました」


 泉からの帰り道。

 目を真っ赤に腫らしながら、それでも笑顔を浮かべてエリカは感謝した。


「良いんですよ。これでエリカさんがこの世界を好きになってくれるのならば安いものです。それが私の使命でもあるのですから」


「使命、ですか?」


「そうです。我々聖教の教義はこの世界を愛し、みなさんにこの世界を愛してもらうことですから」


「聖教……」


「この世界の宗教ですよ。何を隠そう、私はその聖教の司祭なのです。エリカさんを治療した法術も聖教司祭の専売特許なのです」


 えっへん、と胸を張るヴェロニカ。

 彼女は相当な美人であるのだが、とても可愛らしい性格をしているなとエリカは思う。それが彼女の魅力でもあるのだが。


「そうすると、法術を使うには聖教に入信しないといけないんですか?」


「ええ、その通りなんですが……」


 急に歯切れの悪くなるヴェロニカに首を傾げる。ヴェロニカは言いにくそうに言葉を続ける。


「法術目当てにけっこうな数のプレイヤーが聖教徒になったのですが、何故か皆さん私ほど法術が使えなくて。今では金銭で解決できるポーションの方が重宝される始末でして……」


「ええ……」


 しょんぼりと肩を落とすヴェロニカに事情をよく知らないエリカはかけることばが見つからなかった。

 やがてフローベル村の入口に到着する。


「さて、無事に到着しましたね。……今日はお疲れ様でした」


「ヴェロニカさん、今回は本当にありがとうございました。……あの!」


「はい?」


「あのスクリーンショットにあったエルフの森に行くには、どうすればいいんでしょうか?」


 エリカの問いにヴェロニカはおとがいに指をあてて視線を中に漂わせる。


「そうですね……。エルフの森は未開拓地域の奥にありますから、ダンジョン探索の知識と戦闘技術の研鑽は必須です。その上で同じ目的のパーティーメンバーを募って、十分な装備を用意して……。それだけを目標にしてやりこんでも半年以上はかかる計算ですね」


「そうですか……」


 灰色狼を軽々とあしらったヴェロニカと同等の動きが半年程度で身につくとはエリカには思えなかった。恐らく自分ではヴェロニカの予測よりもさらに時間がかかってしまうだろう。それ以外のことを考慮しても一年は見積もった方がいいに違いない。

 それでも。


「それでも、私は自分の足であの森に行ってみたい。エルフに直接会って、あの大きな樹の前に立ってみたいです。それが一年がかりでも、仮にそれ以上かかったとしてもかまわない」


 エリカはヴェロニカに、決意を持って宣言した。

 今までなら夢に見ることすらできなかったのだ。それが自分の足でたどり着ける場所にあるならいくらでも研鑽を重ねる覚悟。この胸の高鳴りが続く限り、エリカが歩みを止めることはない。


「あのエルフの森だけじゃなくて、いろんな所に行ってみたいんです。誰もがたどり着いたことのない場所に」


 突然のエリカの宣言を聞いて目を丸くしていたヴェロニカだが、やがてその美貌に微笑みをたたえて首肯した。


「ええ、エリカさんならできますよ。私が保証します。あなたなら、誰よりも素晴らしい冒険家になれる」


「冒険家……」


 ヴェロニカはその言葉を何気なく使ったのかもしれないが、エリカにはその肩書きが自分の心にすとんと落ちるのを感じた。冒険家というのはエリカがやりたいことを一番言い表しているだろう。


「そうですね。私は、この世界で一番の冒険家を目指します!誰も見たことのない世界を、私の足で見つけてみせます!だから、その……。今日はヴェロニカさんに助けられっぱなしの冒険だったんですけれど、こんどは自分の力で頑張りますから。……えっと。それで……」


 気持ちが先走って上手く言葉が出てこないエリカのことを、ヴェロニカは優しく待ち続ける。


「それでその時は。また一緒に冒険してくれますか?」


 恐る恐るといった風にエリカは言葉にする。

 そんなエリカにヴェロニカは、なんでもないように請け負った。


「もちろんですとも。けれど、そんなに固く考えないでも良いんですよ。これはゲームなんですから。困ったらいつでも呼んでください。あなたがこの世界を愛する限り、私はいつでも駆けつけますから」

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